第13話 儀式

 薄暗い石造りの部屋、かび臭い空気に、目に見えそうな冷気。明らかに遥香の家ではない。

「なっ、くそ、いつの間に」

 どういうわけか体が縄で縛られていた。力を入れてみるがしなるだけでまったく切れる気配がない。

 嘘だろ? 私の力でどうにかならないだと?

「膂力でどうにかなる代物ではない、せっかくの特等席なのだ、そこでとく見ておれ」

 その声の響きとセリフの相違に気づき、私は動きを止めた。

 コツコツと石畳を踏む靴音が聞こえ、私の前に人影が立つ。

「……お前」

「久しぶりですね、火花さん!」

「下手な芝居は止めろ、お前は誰だ?」

「ふむ、外見では惑わされぬか」

 遥香の姿をした何者かが、感情のない声を零す。

「この体には確かに遥香という少女の意識がある、しかし今は私のものだ」

「じゃあ私がブチ切れる前に遥香を解放しな、そうすればお前を殺すだけで許してやる」

「主はこの街がなぜ存在するか分かるか?」

「お前を封印するためだろ」

「そう、その通り、この街は陰陽師どもが私を封印するために作り上げた結界だ、では、私とは、何者なのかの?」

「……神だ」

「ご名答」

 証拠はいくらでもあった。違和感のある陰陽師の結界、空の神社、名前のない神、推測すればなんてことはない、可能性の一つとして容易に浮かぶ。

 ただ動機が分からない。陰陽師はなぜ神を封じた? 神は住民をどこへやった?

 そしてこいつは今から何をする気だ?

「少し昔ばなしに付き合ってもらおうか」

 遥香の姿をした神は滔々と語りだす。

「千と何百の月日も前の話だ、私は陰陽師どもに封じられた、しかしその封印には綻びがあり、隙をついて陰陽師どもの記憶を奪ってやった、あのときのことを思い起こすと、今でも腸が煮えくり返る、すべては陰陽師が仕掛けた罠だった、私は私を封印した陰陽師どもの記憶を奪った、その結果、私は私の存在を自ら消してしまったのだ」

 遥香なら到底しないような、年月を感じさせる深い無表情で神は言う。

「神とは所詮、人が生み出し未知の認知よ、故に信仰を集める、如何な強大な神とはいえ、神は認知されてようやくその存在をこの世に許される」

「マヌケめ」

「そう言ってくれるな、私は私である限り、そうせざるを得なかったのだ、主が正義から逃れられぬようにの」

「どういう意味だ」

「人間とは本当におぞましいものよな、陰陽師どもは私を知るもの全ての人間を丁寧に殺し尽くしたうえで私を殺しに来た、つまり私が目の前の陰陽師共の記憶を消せば、私の認知はこの世から消える、なんと手の込んだことよ、奴らは私に関する直接的な証拠は何も残さなかったが、示唆するものは残した、そうして他の陰陽師どもがこの街の意味に気づくよう誘導しようとし、見事その策略は実った。私の存在に気付いた後世の陰陽師どもはこの地に封印を施したのだ、しかして、この街は何とも知れぬ神を封印する街となった」

 神の声に熱がこもる。

「しかし、私の意識はそれでも微かに残った、土地に張り付いた地縛霊の如く微かな存在だったが、私の権能もまたこの街に染み付いた、しかしてこの街は人の記憶に残らぬ街となった」

「どういうことだ」

 神は薄く微笑むだけで返答を控えた。人の記憶に残らない、それがこの街がロミアの情報網にも引っかからなかった理由。神由来の現象であることはわかっていた、しかしそれならなぜ、私たちは記憶を残している?

「私は土地にしがみつき、何百年も揺蕩った、消え失せることもできず、在ることもできず、意識も失せはじめこのまま、自我が消えるのだろう、そう思い始めたころ、私は見つけたのだ、山に捨てられし、赤子をな」

 神は自らの体を、遥香の体を掻き抱いた。

「七つまでは神のうちというだろう? 私は赤子に私の意識を植え付け、そして憎き陰陽師どもを呼び込んだ、ああ、思い起こせば惚けてしまう、陰陽師共に嵌められたあの日の憎悪が、蜜をより甘くする記憶となった瞬間、私という赤子を抱き上げ、宥めすかす親の顔、世の赤子も仮に記憶があれば、感じるのだろう、あの、言い知れぬ安堵と喜びを」

「ド外道が」

「そして私はこの娘を操り、私を縛る結界を緩め、七つを越えても遥香を操れるようにした、準備は整いあとは待つだけだった、遥香は予想通り街の者たちに可愛がられ、かけがえのない存在となった」

 神は部屋の壁沿いを歩きだし、明り皿に火を灯していく。

「神とは人知を超えたものに、人格を与え、願いを託す存在だ、ただ単純に、願いを叶える道具と言ってもよい、願いが形なきものに形を与え、神を生む」

 片側の壁の三つの皿に明りが灯り、もう一方の壁を歩き出す。

「いくら意識を残していたとしても、器がなければ、私は現世に存在できん、存在を抹消された私が再び現界するためには、願いが必要なのだ、さて、では私は一体、何を叶える神なのかの?」

 神が中央に足を進め、そこにあった人一人収まるような大きな皿に火を投げ入れた。

 一転、部屋が煌々と照らし出される。

 神の背後に鎮座するお山を視認し、奥歯を噛みしめた。

「このド畜生が、てめぇ、なんてことを!」

「クハハハハハ! ここに大願は成就する! 神を縛りし不届きもの共の屍でな!」

 天井まで積み重なった死体の山。誰もが悲痛の顔を浮かべ、こちらを見ている。憎悪の結晶。神の怒りに触れた者たちの、無残な姿がそこにはあった。

「さぁ、目覚めの時だ、遥香、そして見届けよ赤き少女よ、貴様が神の証人だ」

 遥香の体が一度びくりと震える。

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