第47話 奪われし『力』

 大量に食べたバラーモンの肉の影響か、あれから私の身体はどんどん回復していき、一週間後には手すり無しでの歩きも可能になり、ゆっくりではあるが走る事さえ出来るようになった。


 ここで基本動作のリハビリは完了したという事で、サイラスが雇っていた医療士がその役目を終えた。私は彼にも何度も礼を言い、彼もまた無事の社会復帰を願ってくれた。



 ここからは完全に応用動作・・・・の段階になる。剣闘士の応用動作……それ即ち闘い・・だ。


 サイラスだけでなく、ミケーレを始め会食で一緒した【グラディエーター】ランクの剣闘士達が自身のリハビリも兼ねて、と私の訓練に持ち回りで付き合ってくれた。


 何せ軽く一月以上、試合は愚か訓練すらしていなかったのだ。最初は思い通りに動かない身体に違和感が酷く、つい苛立って周囲に当たってしまう事もあった。


 だが一度身体に染み付いた技術や経験は、こんな短期間で無くなったりはしない。根気強く訓練を続ける内に、徐々に戦いの勘とでもいうのか、そういった物が自分の中に戻ってきているのが実感できた。




 そんな中、私は久しぶりにシグルドに呼び出しを受けた。


「……リハビリは順調に進んでいるようだな」


 執務室に入った私への第一声がそれであった。部屋にはシグルドの姿のみがあった。ルアナもクリームヒルトもいない。


「ええ、お陰様で」


 そう返してやると、シグルドは苦笑したようだった。


「ふ……本当にそうだな。お前がリハビリしている間、クリームヒルトを抑えておくのは中々に骨が折れたぞ?」


「……!」


 それは誇張でも無いのだろう。私を殺したがってるあの女が、私が弱っている間ただ黙っていたはずはない。



「だがそれもそろそろ限界だ。……という訳でお前には【ヒーロー】ランクへの昇格試合を受けてもらう事になった」



「……ッ!」


 確かにロイヤルランブル戦では私が『優勝』した扱いではあるが、あれは多分に運の要素も絡んでいた。1対1で戦っていたら勝てなかったと思う者も何人かいる。そんな状態で【ヒーロー】ランクへの昇格試合など……


「……クリームヒルトはあのロイヤルランブルで完全にお前が死ぬと思い込んでいたようだ。だがお前は生き残った……。あの時のクリームヒルトの荒れようは酷かったぞ?」


「…………」


「まあそんな訳で、お前をもっと上のランク・・・・・・・・の者と戦わせろと言って聞かなくてな」


「それで……この『昇格試合』という訳ですか……」


 【グラディエーター】より上の階級は、【チャンピオン】及び【ヒーロー】しかない。【チャンピオン】のマティアス、そして【ヒーロー】の3人……即ち【フォラビア四天王】しか。


 私の喉がゴクッと鳴る。シグルドはそんな私を揶揄する。


「どうした? 【チャンピオン】に……つまり俺への挑戦権・・・に近付けるチャンスだぞ? 嬉しくはないのか?」


「……ッ! そ、それは……」


 私は言葉に詰まる。確かにそれはその通りだ。だが今の私はシグルドに本当に挑戦したいのか……? いや、それ以前に死にたい・・・・と思っているのか?


 自分の心だ。はっきりと断言できる。今の私は……死にたくない・・・・・・。勿論シグルドは憎いが、自分の命と天秤に掛けてまで殺したいかと言われると……


 私は確かに剣闘士としては強くなった。だが精神面に関しては、この街に連れて来られた当初より格段に弱くなっているかも知れない。


「くく……断言してやろう。【ヒーロー】ランクの誰と戦ったとしても、お前に待つのは確実なる『死』だ」


「……ッ!!」


 思わず息を呑んだ。そう。私が1対1では勝てないと判断したあのヴィクトールですら、未だに到達出来ていない高み……それが【ヒーロー】ランクだ。私が勝てる道理が一切ない。



 いや、あの『禁死の呪い』を上手く使う事が出来れば或いは……



「ああ、そうだ。もう一つ、重要な要件を忘れていた」


 唐突にシグルドがそんな事を言って、大きく息を吸い込んだ・・・・・・・・・・


「な――!?」




『རྱུ༌ཨུ༌ནོ༌ས༌ཁེ༌རྦི༌ ནུ༌ཁུ༌རྗུ༌ཨུ༌』




 私が驚愕して身構えた時には、既にシグルドの口から強烈なエネルギーが発せられていた。


「……っ」


 思わず目を瞑って身体を固くしていたが、予想に反して何の衝撃も苦痛も無かった。だが確かに何らかの『力』が私の身体を通り抜ける感覚があった。


「……?」


 恐る恐る目を開ける。目の前には相変わらずデスクに座るシグルドの姿。何か物が吹っ飛んだりしている様子もない。至って平穏だ。


「い、一体、何を……?」



「ふ……咄嗟の事で声の種類・・・・を聞き分ける余裕は無かったか。ハイランズでお前に掛けた『服従』の呪い……あれをたった今解除した・・・・。お前はもう自由・・だ」



「…………え?」


 一瞬何を言われたのか理解できなかった。か、解除……? 何を……? 服従の呪い……つまりは、『禁死の呪い』、を……?


 意味が浸透してくるにつれて、私の目がこれ以上ない程見開かれる。


「――ッ!! な、何故! 何故ぇ!?」


 私は思わずデスクに詰め寄っていた。なりふり構っている余裕は無い。


「ふ……おかしな奴だ。呪いを解いてやったのだぞ? 今なら俺を攻撃する事も、そして自殺する事も思いのままだ。本来喜ぶべき事であろう?」


「……っ!!」


 そんな事・・・・どうでも良かった・・・・・・・・。重要なのは私にとって非常に強力な武器・・が封じられたという事。


「何故……! あなたと戦う時までは解除しないと……!」


「状況が変わったのだ。あのロイヤルランブル戦の最後に使った『力』……。あれはお前の身体の見えない部分に深刻なダメージを与えた」


「……!」


 確かに生き残っても障害が残るかもと危惧したのは事実だ。そして実際、10日間も意識を失う程の衝撃に襲われた。だが……


「い、今はこうして順調に回復していますし、何も問題は……!」


「見掛けはな。あの『力』さえ使わねば何も問題ないだろう。だが……あの『力』を後1回でも使えば、お前は確実に死ぬ事になる。俺の力だからこそ解るのだ」


「……ッ!」

 そんな……そこまで私は自分の身体を酷使していたというのか。


「しかもあのロイヤルランブル戦にはサイラスだけでなく、他の2人も観戦に来ていた。それが何を意味するかは解るな?」


「それは……」


 あの『力』の発動する所を直に見られていたという事だ。あれは初見でこそ絶大な効果を発揮する。ましてや相手がエリートたる【ヒーロー】ランクでは、確実に対策されると思った方がいいだろう。


「…………」


 それでは……本当にやるしかないのか? 最後の砦であった呪いの力も失った状態で、【ヒーロー】ランク相手の『昇格試合』を……!


 シグルドがゆっくりと席から立ち上がる。


「……カサンドラよ。お前は俺が失うには惜しいと感じる程の、いい剣闘士に成長していた。……残念だ」


「あ…………」


 それは実質的な死刑宣告であった。私の膝から力が抜ける。


「今から二日後、【ヒーロー】ランクの3人を同時に出場させる特別試合を行う予定だ。少なくとも連中の戦いぶりは事前に見られる。……俺からのせめてもの情けだ」


「…………」


 せめてそこで研究して対策しろと……そういう事か。例えそれが【ヒーロー】ランクの壁の高さを認識するだけの結果に終わろうとも……


 こうして、私の『処刑』へのカウントダウンが始まった……



****



 いつものように私の見舞いに訪れたサイラスだが、青ざめている私の様子からすぐに事情を悟ったらしい。


「……予想より遥かに早かったね。あの皇女様の影響か。あと少し時間さえあれば……」


「サイラス……?」


 私が訝しむと、彼はじっと私を見つめてきた。


「遅かれ早かれ……君が試合に勝ち続けるなら、この事態は避けられなかった。君が【グラディエーター】に昇格した辺りで私はそれを確信した。だから……彼女・・に協力する事を決めたんだ」


「か、彼女……? サイラス、何の話をしているのですか?」


 まだ他に付き合っている女性がいるのだろうか? いや、今の台詞はそんな感じではなかった。


「……ごめん。まだ詳細は明かせないんだ。でも……『計画』があるんだ。君を絶対に死なせはしない。私を信じてくれ」


「サ、サイラス……」


 計画とは何の話だろう? だがサイラスはその場凌ぎで適当な事を言う人ではない。彼にはこれまでにも何度も助けられてきた。彼が信じてくれというなら私は彼を信じるまでだ。


 だから私は敢えて何も聞かなかった。彼が私に話せないというならそれ相応の理由があるのだ。


「だから……決して自暴自棄になったりしないでくれ。君が今やる事は、全力でリハビリを完了させて万全に状態に戻る事だ。いいね?」


「は、はい……!」


 サイラスの言葉に頷く。不思議な安心感が私を満たした。もしかしたら私は助かるのかも知れない……。目の前に開けた希望の光は、私に目の前の事に集中する活力と意欲を与えたのだった。

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