第44話 もう一つの戦い

 その日から私のもう一つの戦い――リハビリの日々が始まった。


 食事は重湯やスープから始め、徐々に柔らかい固形物へ。自分で寝台から降りる事さえ出来なかったので、サイラスの連れてきた奴隷に清拭や下の世話までしてもらう状態だった。


 最初は何とサイラス自身がやろうとしたのだが、流石に私の方で頼み込んでそれは遠慮してもらい、ならばと年配の女性の奴隷を連れてきてくれて任せる事になったのだ。


 そしてリハビリだ。この闘技場にも専属の医療士が何人かいるのだが闘士の怪我はしょっちゅうの為、彼等は忙しく、1人の闘士に付きっきりで診てくれる事は殆どない。そこでやはりサイラスが私財に飽かせて評判の良い市井の医療士を雇い、専属で私の治療とリハビリに当たらせる事になった。


 彼には本当にお世話になりっぱなしだ。いつかこの借りを返さなくてはならない。だがその為にもまずは自分が回復せねば何も出来ない。私は割り切って、サイラスの雇った医療士の世話になる事にした。




 まずは寝台の上で、出来る範囲で少しでも四肢や体幹を動かしていく。そして徐々に動かせる範囲を増やしていく。最初は動かすたびに激痛が走り、苦痛と共に私の心を不安で苛んだ。


 しかしそれでも訪れたサイラスに励まされ根気強く続ける事で、徐々にだが痛みのない範囲が増えてきて手足が軽くなってくるような感触があった。


 その頃にはある程度の固形物がムセなく食べられるようになってきており、体力も少し戻ってきたという事で、いよいよ寝台から起き上がっての訓練を開始する事になった。


 まずは起き上がってベッドの端に腰掛ける練習から始まり、徐々に立ち上がり、立位の保持と繋げていく。勿論その間にも四肢体幹の運動は継続する。


 最初はまるで自分の足ではないかのような違和感があり、立ち上がると床に付けた足の裏から腿の付け根まで鈍い痛みが走る状態だった。


 だが骨や筋肉にしっかりと重さを掛けてやる事は、リハビリに於いては非常に重要な事だと医療士に諭され、私は鈍痛と違和感に耐えながら必死に立位の訓練を続けた。


 尚、この身体のリハビリと並行して、少しでも闘いの勘を鈍らせない為のイメージトレーニングや簡単な反射の訓練も随時行っていた。こちらはサイラス自身が色々とアドバイスしてくれた。


 立つのに慣れてきたら、次は歩行訓練だ。二本の手すりが同じ高さ、長さで並んでいる、いわゆる平行棒を利用して腕の力で補助しながら歩く練習を行う。この訓練がまた大変だった。


 人間は普段から全く意識せずにこんな高等な動作を何気なく行っているのかと驚いた程だ。自分で意識して歩くという行為はこんなにも大変なのかと思い知らされた。


 それでも医療士の指導に従い、徐々に筋力や体力、そして何より感覚を取り戻していった。この辺りでようやく食事の形態が完全に一般と同じになり、またトイレにも自力で行けるようになった事で、サイラスの連れてきた女性の奴隷がお役御免となった。


 別れる際、私は彼女に深く礼を言った。彼女も私の快復を心から願ってくれた。





 そしてそれと入れ替わるように、闘技場の矯正室でリハビリに励む私の元に、意外な来訪者が姿を現した。念の為・・・サイラス立ち合いの元で、私を訪ねてきたのは……


「グ……ウ……。カ……カサン、ドラ……。マダ……治ラ、ナイ……?」


「……! あ、あなたは……」


 10代半ばを過ぎたばかりらしい、幼いとすら言えそうな容貌。アリーナではないというのに、腰と肩に粗末な毛皮を引っ掛けただけの魁偉な出で立ち。



 先のロイヤルランブル戦で死闘を繰り広げた闘士の1人、【獣王】ミケーレ・ヴァルガスであった!



 驚くべき事に既に試合でのダメージは完全に癒えているようだった。文字通り獣や魔物じみた驚異的な回復力と言わざるを得ない。


「……ッ!」


 試合でこいつに凌辱されかかった記憶が脳裏に甦る。その外見からは想像もつかない怪力で私を押さえつけ、私は全く抵抗も出来ずに、あのままルーベンスが割り込まなかったらどうなっていた事か……


「グゥ……」


 私が緊張に青ざめ身を固くするのを見て取ったミケーレが、小さく唸ってしょんぼりとした様子でうなだれてしまう。


 私がその様子を訝しむと、サイラスが苦笑しながら説明してくれた。


「彼はその生い立ちや言動から想像できるように、何というか……非常に本能的・・・な性格でね。咄嗟に目に入った君の姿が余りにも美しく魅力的だった事で一瞬我を忘れてしまったらしいんだよ」


「まぁ……」


「本人は凄く反省してるようだし、まだ子供だ。君の事も本気で心配している。一度だけは水に流してやってはどうかな?」


「…………」


 ミケーレの方を見ると、彼は相変わらず悄然と俯いたままだった。



 私はロイヤルランブルの試合内容を思い返していた。特に終盤ではこのミケーレに助けられた事が何度かあった。レイバンのような策略による救援ではなく、本気で私を護ろうとしていたように……思う。レイバンはそれを見越してブロルより先にこのミケーレを潰したのだ。


 私は溜息を吐いた。


「はぁ……。ミケーレ、私を見て」

「ガゥ……?」


「反省してるという事は解ってるんだと思うけど、人間の女はちょっと複雑なの。少なくとも本人の意思を無視して無理矢理というのは絶対ダメよ? お互いの意思の尊重が必要なのよ。解る?」


「グゥ……」


 自身の言葉は拙いが、一応こちらの言う事は理解出来ているらしい。再び落ち込むミケーレ。


「でも……あなたがこれから人間の事をちゃんと学習して、もう二度とあんな事はしないと約束出来るなら、私もあなたの事を許すわ。どうかしら?」


「……!!」


 ミケーレが弾かれたように顔を上げた。そして身体ごと折り曲げる勢いで、何度も首を縦に振った。


「グ……オ、俺……二度ト、シナイ……!」


「そう。解ってくれて良かったわ。ありがとう、ミケーレ」


「グ……オォ……! オォ……! オ、俺、嬉シイ! マ、待ッテロ! 土産・・、アル……!!」


 ミケーレは飛び跳ねるように喜んだと思うと、物凄い勢いで部屋を出て行ってしまった。私は呆気に取られた。サイラスが再び苦笑した。


「実は彼、傷自体は試合から二週間程度で全快していたんだよ」


「え……ええ!?」


 あれだけの傷をたった二週間で!? という事は私が昏睡から目覚めた時には、ほぼ回復していたという事になる。思わず絶句してしまう。


「で、それから今まではこの街の外に出掛けていたらしいよ? 君への手土産・・・を手に入れる為にね。そしてまさに今日この街に戻ってきたらしい」


「ま、街の外へ……?」


 どこかに買い付けにでも行っていたのだろうか? だとすると服や宝飾品の類いか。正直あのミケーレがそんな事をするイメージが湧かなかったが。 


「まあ、見てのお楽しみ…………って、もう戻ってきたようだね」


「え……?」


 言われて気付いた。何やら部屋の外が騒がしい。悲鳴じみた声まで聞こえてきた。


「い、一体――」


「――カサン、ドラ! オ前、コレ、食エッ! 精、付ク! 元気……出ル!」


「え…………きゃあぁぁっ!?」


 私の目の前に、焼け爛れたような皮膚をした頭が二つある巨大な角牛がいた。これは……双頭の魔獣バラーモンだ。レベル3……いや、この大きさならもしかしたらレベル4相当かも知れない。


 声はこの巨大な魔獣の『下』から聞こえてきた。ミケーレがあの小さな身体で担いで運んできたらしい。この矯正室の出入り口は比較的広いので辛うじて入ったようだ。


「食エ! 食エッ!」


「ミ、ミケーレ!? こ、これ、あなたが……!?」


 食えと連呼するだけのミケーレに代わって、サイラスが補足してくれた。


「彼が単独で狩ってきたらしいよ。見た目はこんなだけど、バラーモンの肉や内臓は滋養強壮に効果抜群だからね」


「…………」


 それは事実であった。私も王女時代に病気をした際に、何度か食べさせられた事があった。勿論病人用に柔らかく刻んだ物だったが。


 だがれっきとした魔物である為当然養殖などは出来ず、かなり希少かつ高価であり、王侯貴族や一部の富裕層の口にしか入らないのが普通であった。


「それでも市場に出回る物は大抵鮮度の落ちた物ばかりだからね。捌きたての肉なら相当に効く・・んじゃないかな? 君さえ良ければ早速調理場に運ばせるよ」


 言いながらサイラスもゴクッと喉を鳴らさんばかりの様子であった。いかに【ヒーロー】ランクのエリート剣闘士とはいえ、鮮度抜群のバラーモンの肉にありつける機会などそうそう無いだろう。今度は私が苦笑する番だった。


「ありがとう、ミケーレ。あなたのお土産、喜んで頂かせてもらうわ。でも私一人じゃこんなに食べきれないし、サイラスも一緒でいい? ……それに良かったらあなた自身もどうかしら?」


「グゥ……? オ、俺モ……?」


 ミケーレの戸惑ったような声。するとサイラスが何かを思いついたように手を叩く。



「ふむ……確かにこれだけの量だ。我々3人で食べたとしても到底食べきれないね。……という事でどうだろう? いっその事あのロイヤルランブルに参加した他の闘士達も全員呼んでしまっては?」



「え……ええ!? あ、あの人達も、ですか……!?」


 直前まで死闘を繰り広げていた相手である。流石に心理的に抵抗感が……


「本来は試合中とそれ以外とで遺恨もなく、きっちりと切り替えができるのが剣闘士としては理想的なんだ。下手に遺恨が残ったまま放置すると良くないのは君も学習済みだろう?」


「……!」

 ゴルロフ達の件だ。サイラスが自嘲気味に笑う。


「……まあその遺恨にいつまでも縛られている者もいるんだがね」


 ジェラールの事だろう。恐らくサイラスの方からも何度か歩み寄ろうとしたのではないだろうか。だが拒絶された。勝者の余裕で見下しているとさえ思われたのかも知れない。


「そう……ですね。サイラスの言う事も尤もです。ちょっと怖いですが……私からも彼等に歩み寄ってみようかと思います」


「良く決断してくれたね、カサンドラ。私達もだが、彼等【グラディエーター】ランクも言ってみればこの街の『名士』のような物だからね。よしみを通じておく事は君にとっても悪い事じゃない。大丈夫。私が常に君の側に付いているから安心して欲しい」


「サ、サイラス……ありがとうございます。では、宜しくお願いします」


「了解した。……ミケーレ、君もいいね? このバラーモンはカサンドラにあげた物なんだから、後は彼女が決める事だ」


「グゥゥ……」


 やや不満げに唸るミケーレだが、私から改めて『お願い』すると、鼻の下を伸ばして喜んで頷いた。





 上機嫌でバラーモンを調理場に運んでいくミケーレを見送りながら、サイラスが呆れたように嘆息する。


「やれやれ、君も中々自分の『武器』を使うのが上手くなってきたみたいだね」


「も、もう……からかわないで下さい!」


「ははは! さあ、そうと決まれば私は場のセッティングに取り掛かるよ。その間君はとにかくリハビリを頑張って、少しでも身体を回復させておいてくれ」


「……! は、はい!」


 そうだ。曲がりなりにも『優勝者』の私が無様な姿を晒す訳には行かない。せめてまともに歩けるくらいにはなっておかねばならない。


 直近に目標が出来た私は、それまで以上に精力的にリハビリに取り組むのだった……

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