第45話 和解と忠誠

 そしてその日は意外に早く訪れた。やはり狩りたての特大バラーモンの肉というのは、殊に剣闘士、それも負傷して療養中の剣闘士にとってはかなり食指を動かされる代物らしく、二つ返事で了承した者が殆どであった。


 だがやはりというか、ジェラールとブロルに関してはかなり難色を示され、呼び出して毒殺でも目論んでいるのではないかと疑われた程だった。


 しかしそこはサイラスが【ヒーロー】ランクの強権を発動し、また自分の名前を賭けて安全を保証するとまで言われ、彼等も渋々了承したのであった。


 また同じ【グラディエーター】ランクという事で、ロイヤルランブルには参加していないが、ヨーンにも声を掛けてもらった。これは私の希望だ。本当はデービス兄弟も呼びたかったが、周りが皆上位の剣闘士ばかりでは彼等も落ち着かないだろうとサイラスに諭されたのでやめておいた。


 それにあの兄弟とは昇格試合以降も何度か顔を合わせる機会があり、ある程度交流が出来ていたのでまあ良しとしておこう。




 このフォラビア大闘技場には、普段剣闘士達が(私もだが)食事を摂る食堂とは別に、階段を上がった2階の一角に大きな会食室があった。長く大きい立派な卓に、質の良い椅子が並べられている。バルコニーが備え付けられていて、フォラビアの街並みを一望できる。


 基本的にはシグルドやルアナを始めとしたこの街の高官が、来賓を迎えて食事をしたりするのに使われる部屋だが、そんな機会が頻繁にある訳ではないので、そういった行事が無い日は申請して使用料・・・さえ払えば、一般の市井にも解放はされていた。


 庶民には敷居の高い額の使用料も、【ヒーロー】ランクの剣闘士たるサイラスにとっては、庶民が1回の外食で使う程度の感覚で支払える物だった。



 という訳で……



「よう、姫さん! ご招待されてやったぜ? 今日はたっぷりと馳走になるぜ!」



 会食室の上座に座って(サイラスの指示だ)招待客・・・を待つ私に向かって、最初の来客・・・・・は陽気に片手を上げてそんな風にのたまってきた。


 私は呆気に取られた。


「あ、あなた……私に対して何も言う事はないの?」

「あん?」


 客――【毒牙】のレイバン・コールは、不思議な言葉を聞いたかのように私を見やった。私はこの男に殺されかける直前だったのだ。それまでにも散々痛めつけられ、最終的には『呪い』の力を使わされた。


 そのせいで私は今こんな身体になって、必死にリハビリしているというのに――


「ケケッ! 試合が終わったら全部の遺恨は水に流す……。それが今回の目的って聞いたぜ、姫さんよぉ?」


「……ッ!」


 私は見えない所で拳を握りしめた。隣に座るサイラスが、そんな私の拳に自分の手を重ねて落ち着かせてくれる。反対側の隣の席にいるミケーレがレイバンに対して獰猛な唸り声を上げる。


 しかしそのミケーレの唸り声が、逆に私に冷静さを取り戻させてくれた。


 そうだ。まず私自身が遺恨を忘れ歩み寄らなければ何も始まらない。握っていた拳を解き、フゥ……と大きく息を吐いた。


「……よく来てくれました。招待に応じて頂き感謝します。今日は……存分に試合の傷と疲れを癒しましょう」


 レイバンがちょっと意外そうに目を見開いた。しかしすぐにふてぶてしい表情に戻る。


「へっ! 特上のバラーモンステーキと聞いちゃ来ない訳には行かねぇからな! お言葉に甘えて存分に堪能させてもらうぜ」


 両手を頭の後ろで組んで、ドカッと空いている椅子に腰かけるレイバン。ミケーレも私の態度を見て、とりあえず怒りを収めてくれたようだ。



 そう間を置かずに次の客が現れた。



「くくく……殺し合いを演じたばかりの俺達を呼び集めるとは……隣にいる【烈風剣】の入れ知恵か?」



 2メートルはある巨躯で扉を潜るようにして入ってきたのは……【暴君】ルーベンス・ゴディーナだ。私はお腹に気合を入れた。


「……ようこそおいで下さいました、ルーベンス。確かに発案はサイラスですが、決めたのはあくまで私の意思。アリーナ外でまで余計な遺恨を引きずる気はありません。だから私もあなたに殺されかけた事を忘れます。あなたもこの会に出席したからには、私や他の闘士達への遺恨を忘れて頂きます」


 そう宣言してルーベンスを睨み付けるように正視する。ルーベンスはしばらく私の視線を受け止めたかと思うと、ふっと苦笑するように肩を竦める。


「ふ……豪胆な女だ。増々気に入ったぞ。【烈風剣】のお手付き・・・・でなければ俺のモノにしている所だったがな」


「な……! 何故それを……」


 私は思わず動揺して顔を赤らめてしまう。サイラスとの関係は公にはしていなかったが、見る者が見れば解ってしまう物なのだろうか。


 すると何故か横でサイラスが盛大な溜息を吐いた。レイバンまで呆れたような顔をしていた。


「サイラス?」


「カサンドラ……。彼はを掛けただけだよ……」


「え…………?」


 意味が理解できるにつれ、私の顔は赤から青へ変化した事だろう。ルーベンスが肩を震わせながら空いている席に腰掛ける。


「くく……元王女という割りに腹芸は苦手のようだな。隠し事には向いていないようだ」


「うう……!」


 そして再び顔が熱くなる。穴があったら入りたいとは、まさに今のような気分に違いあるまい。だが当然私にはそんな逃避は許されていない。既に次の客が扉を潜ってきていたのだ。



「……カサンドラ王女殿下。まさか貴女とこうして同席する事になると思いもしませんでしたぞ? 一体どういう風の吹き回しですかな?」



「……!」


 私は浮ついていた心を即座に引き締める。何故ならば確実に私を恨んでいるだろう男が現れたからだ。【闘爵】ブロル・エリクソンであった。


 私は乱れそうになる動悸を必死で抑える。私にとってある意味ではここが最も正念場だ。


「……エリクソン卿。まずは父に代わってあなたに謝罪させて頂きます。確かに父は臣下に対して少々行き過ぎと思える程に厳しく統制を課していました。見せしめの為とは言え、爵位没収は確実に超過罰だったと私も思います。本当に申し訳ありませんでした」


「……!」


 素直に頭を下げる。これは私の本心でもあった。ブロルはそこまでの重罪を犯した訳ではない。爵位没収と追放は行き過ぎ・・・・であった。


 お父様はロマリオンとの戦争が長引く事で焦りと疑心から、あのように苛烈な行動に走ってしまったのだ。


 ブロルが息を呑む気配が伝わる。私は顔を上げて畳み掛けるように言葉を紡ぐ。


「しかしあなたは処刑された訳ではない。命はあり、こうして別の道で栄達と名声を手にした。勿論決して平坦な道ではなかった事でしょう。しかし……それは私も同じ事なのです」


「……っ」


「シグルドに捕えられ晒しものにされ、女の身で過酷な剣闘士の世界で戦ってきました。先日はあなた自身にも傷を負わされ殺されかけました。またあなたを放逐した父もシグルドによって殺され、エレシエルという国そのものが滅びました。もう充分……罰を受けた、と思って頂く事は出来ませんか?」


「…………」


 語っている内に私の中に込み上げる物があり、いつしかまなじりから本物の涙が伝っていた。そう……私達は充分酷い目に遭ってきた。それくらいは自負しても構わないだろう。


「カサンドラ……」


 サイラスが痛まし気に私の手を握る。ブロルは何も言わなかった。しばらく何かを考え込んでいたかと思うと、おもむろに……


「……!」


 その場で床に片膝を着いて、両手を顔の前で組んだ姿勢で平伏した。それは……エレシエルの王宮で臣下が主君に対して取る、正式な臣礼であった。


「あ……」



「……王女殿下。これまでの数々の非礼、お許し下さい。私は自らの感情や見識ばかりに囚われて、殿下の心境や境遇をおもんぱかる余裕を失っておりました。確かに殿下がこれまで歩んでこられた艱難辛苦を思えば、私の境遇など吹いて飛ぶ程度の物であります。そして貴女は実際にそれらを乗り越えてこられた……」



「エ、エリクソン卿……」


 私は……正直、呆気に取られていた。今のブロルの様子は、アリーナで相対した時とはまるっきり別人のようになっていた。何というか……とても落ち着いた理知的な雰囲気を感じたのだ。……これが貴族としての彼の本来の姿?


「エレシエルは滅び、こうしてロマリオンの都市で剣闘士となっている私ですが、帝国に忠誠を誓ってその臣下となったつもりは毛頭ありません。殿下さえお赦し頂けるのであれば、今ここでエレシエル最後の王族・・・・・たる殿下に忠誠を誓わせて頂きたく存じます」


「あ……」


 私は再び言葉に詰まってしまった。この展開は完全に予想外であった。忌々し気に鼻を鳴らしてでも席に着いてくれれば万々歳だと思っていたくらいなのだ。


 余りの豹変ぶりに、もしかして私を騙して近付いて暗殺でも目論んでいるのかと疑ってしまう程である。私は無意識にサイラスの方を振り向いていた。どうすれば良いのか、私だけでは判断が付かなかったのだ。


 サイラスは一つ頷くと、自分に任せてとばかりに私を手で制しブロルの方に向き直った。


「ブロル。君はその場の逆恨みの感情でカサンドラに強烈な殺意を向け、彼女を傷つけ、そして殺しかけた。そんな相手からいきなり忠誠を誓いますと言われても、すぐには信用できないというのは当然解るよね?」


「……勿論です」


「ならその忠誠は、今は君の心の中だけで誓うといい。君の今後の態度で、本当に心を入れ替えたのだと彼女が納得してくれれば、改めて君の忠誠を受けてくれるだろう。そうだね、カサンドラ?」


「……! は、はい。そういう形であれば……」


 何も考えずに受けてしまったり、反対に頑なに拒絶するのも気が引けていたので、確かにそれが一番良い落とし所だろうか。私は心の中でサイラスに何度目になるか解らない感謝をした。そしてブロルに向き直る。


「……エリクソン卿。今サイラスが私の心を代弁してくれました。私とあなた、お互いの今後・・の為にも良き関係を築きたいと思います。今私から言える事はそれだけです」


「……ありがたき幸せに存じます、殿下。殿下の信用を得られるよう改めるつもりです。宜しくお願い致します」


 ブロルは一礼してからようやく立ち上がり、空いている席へと着席した。私は無意識に入っていた肩の力を抜いて、サイラスに目線だけで礼を言った。

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