第四章 愛と絆
第43話 過ぎ去りし日々
「――姫? 姫様? どうかなさったのですか?」
「――え? あ……」
今はロマリオン帝国との戦で局地的な大勝を収めた、『戦勝祝い』のパーティーの真っ最中であった。城の2階にある大広間には大勢の貴族や将校が集い、泥沼の戦乱において久しぶりの明るい話題に盛り上がっていた。
一流の楽団が奏でる楽器の音色がパーティーに華を添える。給仕達がボトルやグラスの乗った盆を片手に忙しそうに参加客の間を行き交う。
私も久しぶりに上機嫌なお父様やお母様、他の皆の雰囲気に釣られてついお酒を随分と飲んでしまったのだった。今は広間と繋がったバルコニーに出て夜風で涼んでいる所であった。
「酔い醒ましの夜風もあまり当たり過ぎるとお身体に障ります。そろそろ中へ戻られませんか? 貴族や将軍たちも皆、姫の麗しいご尊顔を心待ちにしていますぞ」
アルバート……アルがそう言って恭しい仕草で私を促す。彼は私の護衛も兼ねているので、パーティーであっても帯剣を許されている。
「まあ……ふふ、いつも上手ですね、アル。そういう事なら皆様のご期待に応えなくてはなりませんね?」
アルの言葉に気分を良くして再びパーティー会場に戻ると、その言葉通りすぐに大勢の参加者たちが私の周りに群がってきた。
「王女殿下、お姿が見えないから心配致しましたぞ――」
「相変わらずのお美しさ。まさに『エレシエルの至宝』――」
「殿下。是非一度我が領内にお越し下さい。王女殿下のご尊顔を領民達に――」
「息子が先日成人しましてな。王女様に是非お目通りをと――」
「是非私めと一曲ダンスを――」
様々な声が重なり合って、一塊のノイズとなる。本心から私を讃える声、お父様に
市井の人間や、慣れていない者なら四方八方から浴びせかけられる声の合唱にパニックに陥っているところだが、物心ついた時からこの環境で育っている私にとってはどうという事も無い。
一つ一つの声を選り分けて、相手に失礼のないように上品にあしらっていく。
「カサンドラ……!」
私がそうして参加者達を上手くあしらっていると、私の名を呼びながら近づいてくる者があった。王女である私の名を呼び捨てに出来る者は限られている。この声は……
「……コーネリアスお兄様!」
それはこのパーティーの
エレシエル人特有の美しい金髪碧眼の美丈夫で、私の自慢の兄でもあった。
「皆様へのご挨拶はもう宜しいのですか?」
そう問いかけると、コーネリアスは苦笑しつつ肩を竦めた。
「おいおい、勘弁してくれよ。パーティーが始まって以来ずっと挨拶地獄だったんだ。ようやく一段落付いて、滅多に会えない可愛い妹と話す時間が作れたんだぞ? そんな残酷な事を言わないでおくれよ」
「まあ! お兄様ったら……」
今回の『戦勝祝い』の要因となっている勝利は、このコーネリアスがもたらした物であった。民や貴族達の熱狂は相当な物で、コーネリアスはパーティーの開始からずっとひっきりなしに訪れる来賓達への対応に追われ続けていたのだ。
私に付いていたアルが、彼にしては人の悪そうな笑みを浮かべる。
「姫。コーネリアス殿下は
「……! おぉい、
コーネリアスは一瞬情けなさそうな顔になってから、すぐにアルが先程の言い回しを
いくら貴族出身の近衛騎士とは言え、主君筋の王族に対して窘めるような言動を取るアルと、それを当たり前のように受けて気安い態度のコーネリアス王子……。
勿論通常ではあり得ない事だが、実はコーネリアスの子供時代に乳母を務めた女性がアルの母親だったのだ。
2人はその縁で幼少時から幼馴染の親友のような関係で育ち、これは私や互いの両親しか知らない事だったが、密かに
お互いに公私共に様々な悩みを相談し合ったりしているらしく、「俺達の間には一切の隠し事はない」とまでコーネリアスが言い切る程の関係であった。
「解れば宜しいのです。……さあ、姫。他の客は私の方で止めておきます。折角の機会ですから、ご兄妹水入らずでご歓談下さい」
「ありがとうございます、アル。じゃあお願いしますね」
私はアルに礼を言って、兄と連れ立って再びバルコニーへ出る。
「カサンドラ……しばらく見ない内にまた一段と綺麗になったね。流石俺の自慢の妹だ」
「まあ、そんな……。お兄様こそ一層逞しくなられて……。お兄様は私の誇りですわ」
「はは、ありがとう、カサンドラ。そう言ってもらえると、俺も戦場で必死に戦ってきた甲斐があるというもの」
コーネリアスは朗らかに笑う。その言葉に嘘は無さそうだ。
「……お兄様。でもまたすぐに戦場に向かってしまわれるのでしょう?」
今回はエレシエル側が勝利したが、それでもあくまで局地的な勝利に過ぎない。戦争そのものは終わる兆しを見せない泥沼と化しており、私がこうして兄と話が出来るのも次はいつになるか……
「そうだな……。今俺達がこうしている間にも、他の前線では兵士達が頑張ってくれている。彼等だけに苦しい思いをさせる訳には行かないからな」
コーネリアスは優秀な将軍でもあるので、どの戦場でも引っ張りだこだ。戦争に勝つ為には仕方ないと解ってはいる。それでも寂しいと思ってしまう気持ちはどうしようもない。
また戦場に赴くからには、常に戦死の危険もあるのだ。毎回出征の度に兄達の無事を祈る事しか出来ない自分が歯がゆかった。
コーネリアスはそんな私の肩にポンと手を置く。
「カサンドラ。いつも心配を掛けて済まない。でも今回の勝利は大きな
「え……?」
私は頭を上げて兄の顔を見つめる。コーネリアスは頷いた。
「今回は帝国軍にかなりの損害を与える事が出来た。これくらいの勝利を後何度か重ねれば、帝国にも厭戦空気が蔓延するはずだ。民衆が反乱を起こしそうだという情報もあるから、皇帝もそれ以上の無茶は出来なくなる。そこを見計らって王国側から
「……!」
「その頃には向こうの皇帝も振り上げた拳の落とし所を探している状況のはずだから、必ず和平の申し入れに飛びつくはずだ」
「そ、それじゃあ……!?」
思わず意気込んで尋ねる私に、兄は再び力強く頷く。
「ああ。もうすぐだ。後何回か勝利を重ねれば、この泥沼の大戦そのものを終える事が出来るんだ」
「せ、戦争が……終わる……!」
物心ついた時から常にロマリオンと戦争状態だった私にとって、戦争が終わるという事そのものが夢のような出来事であった。
「そうだ。だからこそその為に俺はまた戦場に舞い戻らなくちゃいけない。この戦争を……終わらせる為に! だから……笑って見送ってくれるよな?」
「はい……はい! 勿論です、お兄様! ご武運、お祈りいたします!」
私は喜びの余り、兄に抱き着きそうな勢いで答えていた。兄はそんな私を見て苦笑する。
「よーし! じゃあ暗い話はここまでだ! 俺だけじゃなくてお前の話も聞かせてくれよ。アルとは……どこまで行ったんだ?」
「……ッ! お、お兄様!?」
急に話題が飛んで心臓が跳ね上がる。そうか……アルとお兄様は義兄弟で隠し事はなしの間柄なのだった。
「んんーー? その様子じゃキスもまだみたいだな。全く……あのヘタレめ。アルは家柄も良いし、お前達なら大歓迎なんだから、早く父上達を安心させてやったらどうだ? ついでに俺もな」
「も、もう! お兄様ったら、はしたない……!」
いつも戦場を駆け回ってるせいで、そうした所まで俗っぽくなってしまって……。私は赤面しながら兄の肩を叩く。
「ははは! 悪い悪い! でも俺が次の戦から帰ってきた時は、良い報告を聞かせてくれよ?」
そう言ってコーネリアスはおどけたように笑うのだった。
……そしてこの日が、私がお兄様と会話をした最後の日となった。兄は二度と帰ってくる事はなかった。
ロマリオン軍で頭角を現し始めていたシグルド・フォーゲルという男にコーネリアスが討ち取られたという報が王都に届くのは、それから数か月後の事であった……
*****
「――ンドラ。カサンドラ!? 解るか!? カサンドラ!」
……私を呼ぶ声がする。これは……アルとも、お兄様とも違う声……。ゆっくりと目を開ける。一瞬、照明の光に目を細めるが、徐々に慣れてくる。
「う……あ……。こ、ここ、は……?」
殺風景な室内。それはここ数ヶ月で見慣れた風景であった。
「……! カサンドラ!? 良かった、目覚めたのか……!」
「……サ、サイラス?」
その寝台の横で私の手を握りながら心配そうに覗き込んでいるのは……やはりここ数ヶ月で、非常に近しい間柄となった男性、サイラス・マクドゥーガルであった。
「な、何故……私は、一体………………うっ!?」
一瞬自分の置かれた状況が解らずに困惑した。だが寝台から身を起こそうとして全身に激痛が走り、その痛みが脳に強烈な刺激をもたらす。
そして……全てを思い出した。私の脳裏にあの地獄の死闘の光景がフラッシュバックする。
「カサンドラ、無理をするな! 君は冗談抜きに死にかけていたんだ。目が覚めたのは本当に良かったが、しばらくは絶対安静だ。いいね?」
痛みに呻く私に、サイラスが優しくも厳しい声で注意する。
「サ、サイラス……試合はどうなったんですか……? あれから一体何が……?」
私が憶えているのは、最後に呪いの力を発動してレイバンの攻撃を躱し、それから奴の身体に剣を突き立てた所までだ。その直後に意識を失い、気付いたら先程ここで目が覚めた、という状況なのだ。
「落ち着いて、カサンドラ。試合に関しては……大丈夫。君が優勝したという扱いだよ」
「そ、そうなんですか?」
よく憶えていないが、私が倒れたのはレイバンより後だった気はする。一番最後まで立っていたという意味で、私の勝利となったようだ。
意識を失った私は他の闘士もろともそのままアリーナから担ぎ出されて、今日まで治療を受け続けていたらしい。
「驚かないでくれ……君は約10日ぶりに目を覚ましたんだよ」
「……!!」
驚くなという方が無理だった。十日間も生死の境を彷徨い、当然その間ろくに何か口に入れる事さえなく昏睡状態だったというのだ。試合で受けた傷やダメージは勿論、身体自体の衰弱ぶりも相当な物のようだ。
「信じられるかい? 君は優勝したというのに、目を覚ましたのは一番最後……他の誰よりも遅かったんだよ?」
サイラスが冗談めかして言う。
因みにあの試合に出た他の選手達も、命を落とした者は誰も居なかったらしい。そこは流石に【グラディエーター】ランクと言うべきか、下位の剣闘士なら確実に死んでいるような攻撃を受けながら、それでも辛うじて致命傷は避けていたようである。
現在はそれぞれの自宅(通常【グラディエーター】以上の剣闘士は、全員街に奴隷付きの自宅を所持している!)で療養中との事。そして意識が戻ったのは、私が一番最後だったという訳だ。
私は痛みのない範囲でゆっくりと身体を動かそうとして、まるで他人の身体であるかのように重く、弱々しい動きしか出来ない事に愕然とした。
これでは歩く事すらままならない。ガントレット戦の時の後遺症など比較にならない状態だ。私は急激に不安を感じた。もしかしてこのまま寝たきりにでもなってしまうのだろうか。
サイラスがそんな私の様子を見て取って、私の額に優しく手を添えた。
「……大丈夫だ。焦らないで。目を覚ましたなら、食事も摂れるようになる。そうすればリハビリも出来るようになる。……すぐに回復するはずだよ。私が保証する。一緒に頑張って行こう」
「サ、サイラス……私……」
今の身も心も弱った私には、彼の優しい言葉は何よりの励みになった。いつの間にか
サイラスがふっと笑う。
「大丈夫。大丈夫だ……。君が落ち着くまで私はここにいるよ。落ち着いたら何か口に入れる物を持って来よう。最初は
そうして彼は私が泣き止むまで、いつまでも優しく私の頭を撫で続けてくれた……
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