第26話 初めての……

 サイラスに連れられて『市』を出たが、てっきり裕福なサイラスの事、この街でも一番の高級レストランにでも向かうと思ったのだが、意外にも彼が選んだのは『市』が開かれている広場の外縁に立ち並ぶ屋台であった。



 『市』に訪れる大勢の人間を当て込んで、その周辺には数多くの屋台が営業していた。そんな屋台群の中では比較的広いスペースを確保しているようで、いくつかの簡素なテーブル席が用意されていた。


 生憎テーブル席は満席となっていたが、屋台の方はまだ何人か並んでいるだけだった。


「いつも『市』の時だけこの街に来る店でね。ここの鶏料理が絶品なんだよ。もう少しすると長蛇の列が出来てたと思うけど、君の腹が早く鳴ってくれて良かったよ」


「……! も、もう……!」


「ははは! おっと、丁度席が一つ空いたようだから取っといて貰えるかな? 私はその間に買ってくるよ」


 見ると確かに丁度食べ終わった客が席を立って、従業員の1人が席を直していた。私はすかさずその席に陣取った。しばらくするとサイラスが何本かの串焼きのような物と、更に盛り付けられた揚げ物のような料理を手に戻ってきた。



「サ、サイラス……それは、もしかして『焼き鳥』という物ではありませんか!?」



「というも何もまさに焼き鳥だが……もしかして見た事が無い?」


 知識だけはあった。庶民の食べ物として屋台で売られている料理の代名詞的存在だ。どんな味か興味はあったのだが、以前アルと2人でお忍びで街に行った時は食べれなかったのだ。その香ばしい匂いに喉がゴクッと鳴る。


「はは、お姫様は存外庶民派らしい。ここに誘った甲斐があったというもの。タレと塩の2種類があるけどどっちがいいかな?」


「そ、その……出来れば、両方を……」


 私の目の色に気付いたのか、サイラスが呆れたように笑う。だが今の私にはテーブルに並べられた串焼きしか目に入っていなかった。


「沢山あるから、気にしないでどちらも好きなだけ食べたらいいさ。私にはこの『唐揚げ』があるからね」


 鶏の唐揚げは王宮でも何度か食べた事があった。その為優先順位は焼き鳥の方が上だ。サイラスの許可を貰った私は空腹と興味が合わさって、はしたなくも焼き鳥にかぶりついていた。





 時間にすれば5分も経ったかどうか……。気付くと私の前には10本以上の何も刺さっていない串が並んでいた。サイラスも半ば呆気に取られていた。


「その……美味しかったかい?」

「はい、とっても……!」


 この店が人気があるのも解る気がした。この街の闘技場に押し込められて以来、大麦や大豆を中心とした機能面一点張りの味気の無い食事ばかりであったのだ。


 久しぶりに食べた濃い味付けの鶏肉は、私に得も言われぬ充足感をもたらしていた。今なら誰にどう思われようとも全く気にならない。


 だがそこでハタと、そもそもこの昼食はサイラスの奢りだという事実を思い出した。


「あ……ご、ご馳走様でした……」


「ふふ、どう致しまして。気に入って貰えたようで何よりだよ」


 口の中をすっきりさせる為の、食後の水を飲んでいると私達の席に近付いてくる足音が……



「あ……あ、あの……【烈風剣】のサイラスだよね!? ぼ、僕ファンなんです!」



 10歳行かないくらいの小さな男の子だった。母親と思しき女性がひたすらに恐縮していた。どうやら制止を振り切って突撃してきた模様だ。


 【ヒーロー】ランクの剣闘士であるサイラスの知名度はかなりの物のようで、実はこれまでにも同様の視線を感じる事は多々あった。


「おや? これはまた元気のいい可愛らしいファン君だ。ありがとう、とても嬉しいよ」


 サイラスは特上のスマイルを浮かべる。男の子が興奮で顔を赤くする。


「あ、あの! 握手、してもらっていいですか!?」


 サイラスが快く応じると、気を良くした男の子は私の方を見ながら大胆な質問をしてくる。


「お姉さんはサイラスさんの恋人なの?」


「……ッ!」「こ、こら、エリック……!」


 私が思わず飲んでいた水を吹き出しかけるのと、男の子の母親が慌てて窘めるのが重なった。少年は私の事を知らないようだ。


 こ、恋人……。やはり傍から見るとそう見えるのだろうか……? チラッと横目でサイラスの方を窺うと、彼は何故か先程までより更に機嫌が良さそうにニッコリと微笑んだ。


「そう見えるかい? そうだね、私としては……そうなってくれると良いんだけどね」


「……!?」


 サイラスが笑いながらもその目はジッと私の方を見つめてくる。


 彼が明白に私に対して好意があると言葉にするのは初めての事であった。……何だか急に落ち着かない気持ちになってきた。心臓の鼓動が再び激しくなる。



「ほ、ほら、エリック。余りサイラス様達の邪魔をしては駄目よ。今日は子供用の木剣を探しに来たんでしょう? 行くわよ」


 空気を察したのか、母親が息子を促す。渋る息子を引っ張るようにしてペコペコと頭を下げながら離れていく母親。後には私達2人だけが残された。


「あ、あの、サイラス……?」


「さあ、もうお腹は膨れただろう。そろそろ出るとしようか」


「あ……は、はい」


 何となく今の発言を追及するのがはばかられて、私はサイラスに促されるままに席を立った。





 その後も市を散策し、工業区の方まで足を延ばし気付けば夕刻となっていた。そして私は現在……サイラスの自宅・・・・・・・のソファに座っていた。


 何故こうなったのか……。勿論彼の言葉巧みな誘導もあったが、何よりも私自身がこのまま彼と別れて帰る事を躊躇ってしまったというのが大きい。もっと端的に言えば、まだもう少し・・・・彼と居たかったのだ。


 これは私自身の選択であった。私とて幼児ではない。このような状況で男性の家に上がるという事がどういう意味を持つのか知らない訳ではなかった。


 強く……妖しいと言ってさえ良い妙な気持ちの昂ぶりを感じていた。同時に脳裏にアルの顔がチラつく。チクッと胸に針が刺さったような痛みを感じる。


 だが私は頭を振った。アルはもういない……。遠い所へ行ってしまったのだ。彼と愛を育む事はもう永遠に叶わない。だとするなら……コレ・・は罪ではない。私は……生きているのだから。



「カサンドラ……待たせたね。浴場の準備が出来たよ」

「……!」



 その声にビクッと反応してしまう。当然サイラスにもそれは伝わる。


「カサンドラ、本当に良いのかい? 君はまだ……」


「いえ、大丈夫です。私自身がこうしたいんです。……少し緊張しているだけです」


 それは嘘では無かったが、完全な真実という訳でもなかった。


「そうか……。君が望むならそれで良い。勿論私の方は大歓迎だからね」



 そうしてサイラスは私の手を取って浴室へと導く。【ヒーロー】ランクの剣闘士として莫大な財産を持つサイラスは自前で浴場付きの豪邸を所持しており、何人もの奴隷を所有しているようだった。


 そうした奴隷達に沸かせた浴槽には既に温かそうな湯気が立ち昇り、いつでも入浴できそうだ。湯加減は外に控えた奴隷に声を掛ければ、いつでも調節してくれるのだそうだ。


 併設された脱衣所で思い切って服を脱ぎ去って、手拭いで危うい所のみを隠した姿で浴室へと踏み込む。浴室内は湯気が立ち昇って視界が悪い。


「カサンドラ、こっちだ」


 そんな湯気の向こうに……サイラスがいた。思わず息を呑む。当然彼も全裸だ。その肉体は限界まで余分な贅肉を削ぎ落した鍛え抜かれた物であり、それでいてゴツい感じが無く均整の取れた優美さと柔軟さを兼ね備えていた。


 まるで超一流の芸術家が手掛けた精緻な彫像のような……男性としてはある意味理想的とも言える肉体がそこにはあった。


 その完璧な男性が湯気を割って近付いてきた。


「カサンドラ……綺麗だ。思わず見とれてしまった」


「あ、あなたも……その、とても精悍で……」


 彼の裸を見た事、そして私自身も全裸である事を思い出して、途端に羞恥心が沸き上がってくる。ハイランズにいた頃は、王女として入浴時には何人もの侍女と共に浴場へ入るのが当たり前だったのでそこまで抵抗感は無いと思っていたのだが、やはり好きな人・・・・の前となると勝手が違うようだ。



 サイラスが優しく私の肩に手を添えてくる。


「カサンドラ……最後にもう一度だけ聞くよ? 本当に良いんだね?」


 私は言葉を発する事無く、ただコクッと頷く。ゴルロフ達に穢されかかった恐怖はまだ身体に残っている。それを克服するには、別の……もっと素晴らしい体験で上書き・・・するしかない。


 そう……私自身も好意を抱いているサイラスとの体験はそれに相応しいはずなのだ。サイラスで無理なら他の誰であっても無理だろう。これはサイラス自身も了承している事だ。


 私は覚悟を決めて……サイラスに身を委ねる。当然こういった事は初めての経験なので、彼にリードしてもらわなければ何をしていいかも良く解らないのだ。



「カサンドラ、ありがとう。初めてだと少し痛い・・・・かも知れないけど、出来るだけ優しくするから……。さあ、力を抜いて……」



 彼の顔がゆっくりと近付いてきて、彼の唇と私の唇が重なり合う。生まれて初めての感触に、脳天が痺れるような何かが突き抜ける。同時に彼が私の身体を抱きしめる。そして……


 私の初めての体験と共に、浴場での夜は更けていった…………

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