第27話 更なる高みへ

 それから数日後。現在の【ウォリアー】の一つ上のランク、【グラディエーター】ランクへの昇格試合を告げられた。


 【グラディエーター】。上から3番目の階級で、サイラスの所属している【ヒーロー】ランクの一つ下の階級でもある。剣闘士としても精鋭クラスで、軍隊に当てはめると上級の騎士や騎士隊長クラスとの事。


 既にゴルロフやロゲールを始め、通常の【ウォリアー】ランク相手に勝利を重ねていた事もあって、昇格試合を告げられてもそれ程驚きはなかった。


 しかしどんな試合内容になるのか、という不安は当然あった。またあのガントレット戦のような無茶振りを要求して来られたら……



 そんな私の心情を知ってか知らずか、ルアナは人の悪そうな笑みを浮かべる。


「そんなに警戒しなくてもいいわよ。今回はガントレット戦は無しだから」


 ホッと息を吐く。しかしルアナがそんな笑みを浮かべているのには理由があった。


「その替わり【ウォリアー】ランクの剣闘士を、2人同時・・・・に相手してもらうだけだから。簡単でしょう?」


「……!」


 吐いた息をすぐに呑み込む羽目になった。それはつまり2対1という事か。



 今までの試合は基本的に全て1対1であった。が唯一の例外はゴブリン戦だけだが、最下級の魔物と【ウォリアー】ランクの剣闘士とでは比べるべくもないだろう。


「……先日は随分お楽しみ・・・・だったようじゃない。だったらこのくらい楽にこなして貰わないと困るわね?」


「…………」


 ルアナは過去にサイラスと関係があるような口ぶりだった。だとすれば私が彼と関係を持った事は、この高慢な女からすれば実に不愉快な出来事なのだろう。


 シグルドに叱責されない程度に、こちらに嫌がらせをしてくる可能性は充分に考えられた。これもその一環だろう。だったら負けてなるものか。


「……お話がそれだけなら、部屋に戻らせて頂きます」


 殊更冷たい声音を意識してきびすを返す。背中にルアナの声が掛かる。


「彼、相当の床上手・・・だったでしょう? 数えきれないくらいの女を抱いてきた証拠よ。あなたも妙な勘違いはしない事ね。相手がどんなタイプの男が好みなのかを瞬時に見抜いて、理想の男を演じる……。それが彼のいつもの手口・・なのよ」


「……! 失礼します……」


 不覚にも一瞬足を止めてしまったが、すぐに己を律して極力冷静さを保ったままルアナの執務室を出る。



 何も動揺する事などない。サイラスが経験・・豊富なのは最初から解っていた事だ。だからこそ彼にリードしてもらったのだから。


 そう。あくまであれは忌まわしい体験を払拭する為の必要措置だったのだ。私が心から愛しているのはアルだけだ。サイラスを愛している訳じゃない。だから彼の女性遍歴だって気にならないし、仮に彼が私とお近づきになる為に演技をしていたのだとしてもどうでもいい事だ。


 どうでもいい……はずなのだ。ならば何故私の胸はこんなにも苦しいのだろう。何故サイラスが、ルアナや他の女性と同衾したと想像するだけでこんなにも気持ちが乱れるのだろう。


 解らない……。


 私は自分の内なる感情に戸惑いながら、部屋へと戻るのであった。



****



 翌日。部屋の扉をノックする音が響いた。


「カサンドラ、いるかい? 私だ。サイラスだ」


「……ッ! は、はい、おります。どうぞ」


 まさに彼の事を考えていた時に、当人の声が聞こえて思わずビクッと震えてしまった。何とはなしに弄っていた、彼に買って貰ったネックレスを慌てて抽斗に仕舞い込む。


「失礼」


 そう言って扉を開けたサイラスが部屋に入ってくる。



「きょ、今日はどうされたのですか、サイラス」


 まさか自分の心が読まれた訳でもないだろうが、私は動揺からつい声が上ずってしまう。


「いや、ルアナ嬢が嬉々として君の昇格試合の内容を伝えてきてね……。少し様子を見に来たんだけど……大丈夫かい?」


「……! 大丈夫です。いつも通りやるだけです。心配して下さってありがとうございます」


 サイラスの口からルアナの名前が出て何故か非常に嫌な気分になり、自分で思った以上に冷たい声になってしまった。


「カサンドラ……? どうかしたのかい?」


「別にどうもしません。ただクロズリーさんと随分仲が宜しいようで。国を失って剣闘奴隷に転落した哀れな元王女というのは、さぞかし希少で攻略・・のしがいがある女だった事でしょう? ご満足頂けたようで何よりです」


 違う。こんな事を言いたいんじゃない。しかし一旦口から放たれてしまった言葉は戻せない。私は自分の口調、そして内なる心に、多分にふてくされた・・・・・・感情が混じっているのを自覚していた。


 ふてくされるという行為は、自分は傷付いてますとアピールする事で相手の目を自分に向けさせる、子供が良くやる行為だ。


 そんな子供じみた感情をぶつけてしまっている自分の幼稚さが耐えようもなく恥ずかしかったが、それでも自分の感情を抑える事が出来なかった。果たしてサイラスの反応は……



「……なるほど。どうやらルアナ嬢からあれこれ聞かされたようだね。確かに今まで多くの女性と関係を持ってきた事は事実だよ。しかし……何と言っていいのか、女性の君には解り難いかも知れないが、全てただその場限りの関係だったんだ。どんな女性と付き合っても本気になれる事が無かった。……君に出会うまではね」


「……! そ、そんな事を言って……どうせ誰にでも耳触りの良い言葉を囁いているのでしょう?」



 彼が内心で期待していた通りの反応を返してきてくれた事で私の機嫌は大分上向いてきていたが、安い女だと思われたくなかったのと彼得意の演技かも知れないと気を引き締めて、緩みそうになる頬を隠すようにそっぽを向く。


「そう思われても仕方がないが本当なんだ。こんな気持ちになったのは初めてだ。君を……愛している。どうか信じて欲しい」


「……ッ」


 言った。いや……。彼に……愛していると、はっきり言葉にして言わせた! 私は喜びに打ち震えそうになる身体を必死に抑え込んで、渋々といったていで彼の方を振り向いた。


「……あなたは演技が得意だと聞きました。言葉だけで私をいいように出来るなんて思わないで下さい。私を、あ、愛していると言うなら……今後の態度・・・・・で見極めさせて頂きます……!」


 つまり本当に私を愛しているなら関係を続ける事を許す、と言外に伝えた訳だが果たして……


「おお……カサンドラ……! 君の理解と包容力に心よりの感謝を……! 勿論誠心誠意、態度と行動で示させてもらう所存だ」


 サイラスの顔がパッと輝く。女性の機微にさとい彼の事、正確に私の意図は伝わったようだ。



 彼ともう少しこの駆け引きを楽しんでいたい衝動に駆られたが、厳しい昇格試合を控えている身では余り悠長な事もやっていられない。そもそもサイラスはその為にこの部屋を訪れてくれていたのだ。


「おほん! ……それで、私の昇格試合の件で来られたのですよね? お聞きの通り【ウォリアー】ランク2人を相手に2対1の試合を言い渡されました」


「……! やはりか……。今までに多対1の経験は?」


「以前に一度ゴブリンを5匹相手にしましたが、それだけです」


「なるほど……ならばやはり、来て正解だったようだな」


「サイラス……?」


 いつになく真剣な様子のサイラスに戸惑う。


「1対1と多対1は、性質からして全く異なる。相手が1人増えただけでも、慣れていなければ何も出来ずにやられる事も十分あり得る。ましてや格下ならともかく、ほぼ同格の剣闘士が相手なら尚更ね」


「……!」


 それは私も不安に思っていた所だ。だがだからと言ってどうにも出来ないのが現状だった。マティアスとの訓練期間はもう終わってしまっているし、どこかの興行師の元に所属している訳でもないので、集団戦の訓練が出来る当てなど無かった。


「試合は確か1週間後だったね?」


「は、はい……」


「……なら何とかなるな。カサンドラ、明日また私の家に来て欲しい。剣闘用の装備を身に着けて、ね」


「え!?」


 装備を身に着けていくとなれば甘い用事でない事は確かだろうが、あの格好で街の中に出るというのはちょっと……


 私の逡巡を察したサイラスが苦笑する。


「ああ、確かに街中を出歩くには勇気のいる格好だな。じゃあ身に着けてくる必要はない。剣や盾と一緒に持ってきてくれればいい」


「そ、それなら……はい」


 大きな麻袋に入れて行けば、私でも持ち運びは出来そうだ。幸か不幸か鎧そのものは非常に小さい・・・のだから。



「あ……でも外出の許可が出るかどうか……」


 今の私はあくまでシグルドの奴隷という立場なので、シグルドやルアナの許可なしに勝手に街に出れば少々面倒な事になりかねない。サイラスは肩を竦める。


「……ルアナ嬢ではなく、シグルド様に直接話してみるといい。そうすれば許可は出るはずだよ」


「そ、そうでしょうか?」


「自覚が無いかも知れないから言っておくけど、君は今やこの街ではかなりの有名人なんだよ。闘技場……曳いてはこのフォラビアにもたらす利益は相当な物だ。君に簡単に死なれると、彼等にとって大きな損失となる。試合に勝つ為の特訓をすると言えば必ず許可するはずさ」


「…………」


 あのシグルドが私を利するような事に許可を出すだろうか? 私としてはどうにも半信半疑であった。だが……






「……特訓か。良かろう。ただし監視の為に衛兵は付けさせてもらおう」


「……え?」


 シグルドの私室。面会が叶った私は外出の件を伝えてみたのだが、拍子抜けするくらいあっさりと通った。


 私が唖然とした様子になったのに気付いたのか、シグルドが嘆息するような雰囲気となる。



「……当初は暇つぶし程度のものだった。まさかお前がここまでやるようになるとはな」



 シグルドは豪華な椅子から立ち上がった。相変わらず見る者を威圧する巨体であった。


「今のお前は、正直俺ですら手放すのが惜しいと感じる程の剣闘士に成長した。どうだ? 何ならここで剣闘士として富と栄光を手に入れてみんか? お前にその気があるのなら、奴隷の身分から解放して市民権を与えてやっても良いぞ? 勿論エレシエルの性は捨ててもらう事になるがな」


「な……」


 思ってもいなかった申し出。奴隷から解放される? もしかしたらサイラスのような豪奢な暮らしが出来るようになるのかも知れない。


 だがこの街の市民になるという事は、帝国の……そしてシグルドの傘下に入る、という事でもある。私の脳裏に胸を刺し貫かれたアルの姿や、首だけになった両親の姿がまざまざと甦る。そして今なお苦しんでいるというハイランズを始めとした旧エレシエルの民……



 私はきっぱりと首を横に振った。


「私は……富と栄光を手に入れる為にここにいるのではありません。アルを……私の家族を……私から全てを奪ったあなたに復讐する為に戦っているのです。その志を捨ててあなたの下に付く気などありません!」


 そう断言して睨みつけると、シグルドは嗤った。


「ふ……それならそれで構わん。俺個人としてもその方が楽しめるというもの。精々足掻いてみる事だな」


「…………」


 順調に進んでいる。もう少しでこの怪物に手が届く所まで来ているのだ。だからこそここで躓く訳には行かない。私は改めて打倒シグルドを決意するのであった。

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