第25話 思い出の贈り物

 そうしてサイラスに連れられてやって来たのは、商業区の中心に位置する大広場であった。定期的に様々な催し物が開かれるというその広場では、一体この街のどこにこれ程の人間がいたのか、と不思議に思うくらい人、人、人でごった返していた。


 勿論闘技場でも自分の試合などで観客席に大勢の人間が集まっている光景は日常茶飯事だが、観客席とは違い流動的に動き回る人の群れ、そして自分がその只中にいるという状況は当然初めての経験で、その異様な熱気に圧倒されてしまう。


「サ、サイラス……これは何のお祭りなのですか!?」


「ははは、お祭りという訳ではないさ。これが月に一度の『休館日』に合わせた市なんだよ」


「い、市……。これが……。でもそれだけでこんなに人が?」


「他の街や、時には小国家群からも市の開催日に合わせてやって来る人達が大勢いるからね。お陰でこの時は街中の宿屋が嬉しい悲鳴を上げているだろうさ。さあ、はぐれないようにしっかり掴まっていて?」


「あ、ちょ、ちょっと……!」


 サイラスに手を引かれるまま、私は人込みの中に突入(?)する。


「……ッ!」


 人の海を掻き分けるような感じで進んでいくサイラス。私はとにかくはぐれないように必死でその手に掴まって無我夢中で前に進んだ。するとやがて唐突に圧力が消え去り視界が開けた。



「さあ着いたよ。ここが『市』だ」

「あ……」



 そこはいくつもの露店が立ち並ぶスペースであった。露店と露店の間は仕切りが設けられて、一種のブースのようになっている。露店によっては上に天幕を張って、高くなる日差しから自身と商品を守っている店もあった。


 先程までの人込みに比べたら閑散としているとさえ見えたが、実際にはそれなりに大勢の人間がいた。どうやら先程までの大混雑は、この『市』に来る人間と帰る人間が一つの出入り口に殺到する事で起きる一時的な物だったようだ。


 露店には色々な工芸品を扱う店から宝飾、服飾、それに茶葉や薬の類いを扱っているらしい店もあった。中には用途の良く解らない怪しげな雑貨を売っている店もあったが……


「あ……あの食器の模様はアマルの……。それにこのドレスのデザインは、エレシエルの……!?」


 勿論ロマリオン産と思われる品々も多数あったが、それ以外にも小国家や中にはエレシエル産の商品を扱っている店まであった。それもハイランズの貴族街で売りに出されるような一級品まで。


 その辺の目利きには自信があった。


「そうだよ。人だけでなく古今東西の物も集まって来るのさ」


「…………」


 私は色々と目移りしながらも、この都市の……そしてシグルドの知名度と影響力の強さを実感していた。



 サイラスに導かれるままに、色々な露店を見て回る。玉石混合とでも言うのか、中にはかなり質の悪い商品や怪しげなものすらあったが、反面私でさえ見惚れるような逸品もあった。勿論そういったものは価格もそれ相応な訳だが。


「あ……これは……」


 そんな中で一際目を引いた品物があった。細い純金製のチェーンで留められたネックレス。飾りの部分には輝く小さな宝石が散りばめられがた、耳が鰭のような形状をした馬がかたどられている。


 これは大陸南部の池や湖に住まう聖獣の一種、ケルピーをモチーフにした装飾品だ。エレシエルではユニコーンを象った装飾品は王族しか身に着ける事が許されない為、その替わりとしてやはり神聖な生き物として敬われているケルピーを象った装飾品が貴族や富裕層の間では人気であった。



 私はかつてハイランズの城下町の宝飾店で、私の『護衛』として同道していたアルに悪戯心を発揮して、また非常に甘えたい気分であった事も手伝って、おねだり・・・・をしてしまった時の事を思い出した。


 今思い返してもはしたない真似だったと思うが、あの時はアルと2人きりで宝飾店に入った事もあってデート気分になってしまい、気分的にかなり浮かれていた。


 アルが困ったように顔を赤らめるのに更に気分を良くして、私にプレゼントをしなさい、などと命令をしてしまっていた。いつの間にかおねだりではなく命令になっていた。


 困り果てたアルが頑張って選んでくれたのが、このケルピーを象った純金のネックレスだったのだ。アルは困りながらも愛おし気な表情で、私の首に手ずからネックレスを着けてくれたのだ。(勿論私がうなじを露出させながら着けなさいと『命令』したのであるが……)


 しかしその後の、あの悪夢の逃避行の中で知らない内に紛失してしまっていた。大切なアルとの思い出の品だったのに……



「……ッ」


 当時の甘い、大切な記憶が呼び起こされて、私の目に涙が滲む。


「カサンドラ……? どうかしたのかい?」


「な、何でもありません!」


 サイラスに声を掛けられて、ハッとなった私は慌てて顔を逸らす。


 しかし何でもないと言いつつ、恐らく目に滲んだ涙を見られてしまったかと思うと、恥ずかしさで顔が赤くなるのが解った。


「…………」


 そんな私の様子に何かを考え込んでいるサイラスだったが、やにわに店主の方に顔を向けた。


「店主、このケルピーのネックレスは幾らになる?」


「……ッ!? サ、サイラス……!?」


 私はそんな物欲しそうな目で見ていただろうか。動揺して思わずサイラスの方を振り向く。しかしその時には店主が嬉しそうに答えていた。


「ははは、流石は【烈風剣】のサイラス、お目が高い! こいつはハイランズでのみ流通していた貴族御用達の希少な代物でしてね。本来ならこれ一つでロム金貨150枚はするってお値打物です。だが他ならない【ヒーロー】ランクの剣闘士様相手だ。出血大サービスで100枚にまけさせて貰いますよ!」


「ひゃ、100枚!? いくらなんでもそんなにするはずが……!」


 金額を聞いて飛び上がりそうになった。ロム金貨と、エレシエルを中心に流通していたエル金貨の価値は、当時シグルドの快進撃が始まるまでは大体同じくらいだったはずだ。私がアルに買って貰った時はエル金貨22枚だった。


 まけて100枚など、ぼったくりもいい所である。



「おや? 何となく見覚えがあると思ったら、あんたは最近有名になったっていう【隷姫】さんじゃないか! 南部まで行商に行ってて、この街に戻ってきたのはつい最近だから解らなかったよ。……ははぁ、なるほど。それじゃあかつてハイランズで同じ品物を見た事があるって訳かい」


 店主は訳知り顔で頷く。


「しかしお姫様は流通ってものをよくご存知ないらしい。こいつはハイランズにある工房で作られた物だが、ロマリオン軍に略奪を受け占領された今のハイランズがどうなってるか知ってるかい? とてもこんな高価な嗜好品を作れる状況じゃないのさ。つまり供給がストップして新しい物が作られる事がない……。もうこの時点で以前よりも希少価値が高まってるって事は解るよね」


「……!」


 確かに今のハイランズがどうなっているのか想像した事がなかった。そんなに酷い有様なのだろうか。胸が痛んだ。


「加えてもう市場に流通していない希少品を求めて、遠く南部にまで足を運んで治安の悪い地域も掻い潜りながら、やっとの事で手に入れてきた品物なんだよ。その労力に見合うだけの価格を付けないと僕が大損してしまう……。だから金貨100枚は至って良心的な価格という訳だ。理解できたかい?」


「……っ」


 悔しいがこの店主の言っている事は正論だ。彼等にも生活がある。背景を理解せずにぼったくり扱いしてしまった恥ずかしさで俯いてしまう。サイラスが苦笑する。


「店主、そこまでにしてやってくれ。彼女も悪気があった訳じゃないんだ。私の方は問題ない。そのネックレス、金貨100枚で買わせてくれ」


「はは! 解っていますよ。毎度あり! 今後ともご贔屓に!」


「サ、サイラス……!」


 事情は理解したが、だからと言って、いやだからこそこんな高価な物を買って貰う訳には行かない。そう思ったのだが、既にサイラスは財布を取り出して大きな金貨を店主に渡していた。ロム大金貨だ。1枚でロム金貨10枚の価値がある。


 それを10枚もポンと出せる辺り、サイラスの経済状態は下手な貴族よりも裕福かもしれない。これが【ヒーロー】ランクの剣闘士か。戦士としての強さとは別の所で、この国における剣闘士のステータスを認識させられていた。



 因みに私は現在【ウォリアー】ランクなのでサイラスには及ばないものの、本来はそれなりの収入があるはずであった。しかし私はあくまでもシグルドの虜囚扱いなので、私個人がファイトマネーを受け取れる事は無く、金銭的な事は全てシグルドやルアナに管理されていた。


 そういう意味では、興行師に所有されている低ランクの奴隷剣闘士達と大差ない境遇と言える。しかし……


「サ、サイラス。そのお金は必ず――」


「――返すなどと言って私に恥を掻かせないでくれよ? これは私が買いたくて買った物なんだ。そしてこれを君にプレゼントするのも、私が勝手にする事だ。いいね?」


「……!」


 良く考えずに口走りそうになったが、男性からの贈り物の代金を返すなど、確かに恥を掻かせる行為以外の何物でもない。喜んで受け取る事こそが、女性からの一番のお礼になるのだ。


 ……本当に素直に受け取ってしまっても良いのだろうか? 


「どうか君にこれを着けさせて欲しい。私からのたっての願いだ」


 私の葛藤と僅かな逡巡が顔に出ていたのか、サイラスが懇願するような口調になる。そのどことなく必死さすら漂う様子に、サイラスが本心から私にこの贈り物をしたがっている事が解った。


 その真摯な感情を受けて、私は再び顔に血が集まってくるのを感じた。今日はもう何度目になるか解らない。


「あ……ありがとう、ございます。サイラス……」


 私はやっとの事でお礼を述べると彼に背を向け、うなじを露出させた。


「……こちらこそありがとう、カサンドラ」


 サイラスの手がゆっくりと私の首元に回される。


「……ッ」


 彼の優美な、それでいて力強い指先が僅かに私の首元に触れるのを感じて、私は思わず身を竦ませる。ただしそれは恐怖や嫌悪の為ではない。それとは正反対の感情によるものだった。首の後ろでネックレスの留め具が鳴る音。


「……さあ出来た。こちらを向いて見せてくれ」


 その言葉に従ってサイラスの方に向き直る。サイラスの目が見開かれる。


「ど、どう、ですか……?」


 ちょっと不安を感じて問い掛ける。今の私はハイランズにいた頃のような高価な服やドレスを身に纏っている訳では無い。もしかして高価なネックレスだけが浮いてしまってはいないだろうか?


「とても……とても似合っているよ……。まるでそのネックレスが君に合わせて輝いているかのようだ……」


「え……あ、あの……」


 しかしサイラスからまさかの大賛辞を貰う。彼は若干呆然としているかのようだった。



「カサンドラ……綺麗だ……とても」

「サ、サイラス……」



 顔が、耳が熱い。胸の奥で鼓動がうるさい。そして、お腹の音も……。


 ん? お腹……?




 ――ぐ~~きゅるるるる……




 …………



 場が硬直する。そ、そう言えば今朝はサイラスからの話で緊張していて何も食べていなかった……


 頭が沸騰し、顔が急激な熱を帯びる。ただしそれは先程までの蕩けるような熱さとは全く別種の熱であった。穴があったら入りたいとはまさに今の心境のような事を言うのだろう。


 呆気に取られていたサイラスだが、私の表情の変化に気付いたのか、場を誤魔化すように大きく咳払いをする。


「あー……おほん! そう言えばそろそろお昼時だね。これは気が利かない私が悪かったな。ふふ……」


「うぅ……!」


 サイラスの口調に若干の微苦笑のような雰囲気を感じ取って、私は増々小さくなってしまう。


「ははは、カサンドラ。何も気にする事などないさ。どんな人間だって腹は減る。まして今の君は剣闘士なんだ。普通の人より体が栄養を欲するのは当り前さ」


「…………」

 サイラスの気遣いがありがたかった。少し気が楽になった。



「さあ、ここはもういいだろう。それじゃ折角だしどこかで食べて行こうか。私も何だか小腹が空いてきたしね」


「は、はい……」


 私には頷く以外の選択肢は無かった……

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