第23話 気分転換の誘い!?

 今日は月に一度の『休日』であった。


 毎月1回大闘技場のメンテナンスの為に、2日間アリーナやブラッドワークスが閉鎖される。当然ながらこの日は一切試合が組まれる事は無く闘技場そのものが閉鎖されるので、剣闘士達は軒並み『休日』という扱いになる。


 【マーセナリー】以下の剣闘士達は奴隷である事も多く、自身が所属している興行師の意向によって『休日』といえども剣闘の訓練に勤しんだり、中には闘技場のメンテナンスの作業に加えられる者すらいる。


 しかし【ウォリアー】以上の剣闘士は解放奴隷や傭兵、軍人上がりが多く、いわば稼げる職業として剣闘士をやっている者が殆どだ。彼等は闘技場の外、つまりこのフォラビアの街に自宅を持っている場合が多い。


 試合の無い日は普通に自宅で過ごし、並みの市民より遥かに裕福な暮らしさえしているのだ。自宅には妻子は勿論、時には愛人さえ囲っている事も珍しくない。無論試合に負ければ死ぬ危険はあるものの、それを補って余りある富と名声を手に入れられるのだ。



 しかも【ウォリアー】の上、【グラディエーター】以上ともなると、それだけの強さと才能、人気を持った闘士が貴重な事もあって、死んでもいくらでも替わりの利く下級の剣闘士と異なり、試合に負けても殺されるというケース自体が少なくなる。


 魔物相手ではそうも行かないが、そもそも剣闘士のエリートと言える彼等が、闘技場で飼っているレベルの魔物に負ける事は殆ど無いらしい。あの地下で見たサイラスの強さを思い出せばそれも頷ける話だ。


 つまり【グラディエーター】まで登り詰めれば、それは文字通り剣闘士の貴族のような扱いで、死と隣り合わせの危険も少なく、この世の春を謳歌できるようになる、という訳だ。


 無論その地位を維持し続ける為には相応の努力と才能が必要ではあるのだが、腕自慢の傭兵や奴隷達が死の危険も厭わずに、ひっきりなしに参入してくる大きな動機の一つとなっていた。





「カサンドラ。良ければ私と一緒に街に出てみないか?」


 そんな『休日』にサイラスが手持無沙汰にしていた私の部屋を訪ねてきて、そのように誘ってきたのだ。


「え……ま、街に……。わ、私とですか!?」


「そう、君とだ。……そんなに驚くような事かな?」


「で、でも、何で……」


「私がそうしたいからさ。それに君も先日の一件で塞ぎ込んでいるんじゃないかと思ってね。今のままでは試合にも影響が出るかも知れない。気分転換は必要だろう?」


「…………」


 確かにゴルロフ達に襲われた一件は、少なからず尾を引いている部分があった。サイラスだけは例外だが、それ以外の男性が近付くだけで肌が粟立ち、動悸が激しくなり呼吸が苦しくなってしまう。


 こんな状態では試合に差し支えがあるのは間違いないだろう。そういう意味では確かに気分転換は必要かも知れない。サイラスと一緒なら人込みも怖くないだろうし……。


 私はいつの間にか、自分がサイラスと出掛ける為の理由を言い訳していた。



「で、でも私……ドレスも何も持っていなくて……」


 するとサイラスが軽く噴き出した。


「な、何がおかしいんですか!?」


「ああ、いや、済まない。そう、君は王女だったな。ただ街中をぶらつこうと言ってるだけだ。絹のドレスも日傘も必要ない。市民が着るような麻服があれば充分さ。勿論今の君は有名人だから、ちょっとした変装は必要になるけどね」


「へ、変装……ですか?」


「そう。それで色々見て回るんだ。『休日』に合わせて広場では催し物も開かれているし、途中の酒場や屋台で軽食を買って食べながら見物するのさ。他にも何か買いたい物があれば色々な店にも寄ってみよう。奇麗な服や宝飾品の店なんかもあるしな。気分転換なんだからこれをしなきゃ駄目っていうのも無いんだ」


「……!」


 話を聞くと……何だかちょっと楽しそうにも思えてきた。王女だった頃に市井の暮らしぶりに興味があって、アルに頼み込んで1回だけお忍びでハイランズの街を2人で散策した時の思い出が甦った。


 敵国ロマリオンの只中。あの憎きシグルドのお膝元であるこのフォラビアでは到底そんな気になれずに、これまであった『休日』は全て鬱屈した気分で、ただこの部屋に引き籠ってばかりいたが、サイラスが一緒であるなら嫌な気分にもならないかも知れない。


「そ、その……私などと一緒で良ければ……」


 そして気付くと承諾の返事をしていた。サイラスはニッコリと笑った。


「そうこなくては! きっと楽しい思い出になる。保証するよ」


 サイラスの屈託のない笑顔が眩しくて、つい下を向いてしまう。顔が熱い。耳まで赤くなっているのが自分でも解る。きっとサイラスに生温かい目で見られているに違いないと思うと、穴があったら入りたい気分であった。


「あ……で、でも外出の許可が出るかどうか……」


 私は【ウォリアー】ランクとなったが、身分そのものは奴隷のままで、この闘技場内にこうして部屋は与えられているものの、勝手に外出までは許可されていない……と思う。そもそも今まで外出の機会など一度も無かったので確かな所は不明だが。


「それなら大丈夫だ。既にシグルド殿の許可は貰っている」


「え……ええ!? あ、あのシグルドが……!?」


 既に許可を貰っているという事は勿論だが、何よりあのシグルドがそれを許可したという事が信じられない。サイラスは茶目っ気たっぷりに微笑んだ。


「私の睨んだ通り、先日の事件はルアナ嬢の独断だったらしい。君が精神的ダメージで剣闘士として使い物にならなくなるのは彼も困るらしくて、君を『復調させる為』という目的を強調したら渋々だけど承諾してくれたよ。苦虫を噛み潰したような顔をしてたけどね」


 サイラスの口調と、その時のシグルドの様子を想像したのとで、思わず軽く噴き出してしまった。と、サイラスの前だった事を思い出し、はしたなかったかと顔を赤らめる。


「ふふ、少し元気が出てきたみたいだね。それだけでも誘った甲斐があったな」


 しかしサイラスは微笑ましそうに目を細めるだけだった。私は増々困惑して俯いてしまう。最早顔だけでなく頭まで沸騰しそうだ。


「うぅ……!」


「ははは! そうやって照れる君は本当に可愛らしいよ。それじゃ外で待ってるから、準備が出来たら出てきて」


 それだけ告げるとサイラスは私が何か言う暇もなく、颯爽と闘技場の出入り口に向かって歩き去っていってしまった。



「…………」



 私はまだ火照りの残った顔のまま部屋の扉を閉めて、そのまま扉に寄り掛かった。勢いで承諾してしまったけど、一体私はどうなってしまうのだろう? アルの顔が、思い出が脳裏に浮かんでは消えていく。


 怖れとも期待ともつかない、説明不能の感情に私はただ戸惑うのであった……

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