第20話 【ウォリアー】遺恨と新たな出会い
「離せ!」
左手の盾で思い切り奴の鼻面を殴りつける。が、奴は鼻血を噴き出しながらもニィっと笑った。
「グ……へへ……所詮は女の力だなぁ!」
「……!」
「おらっ!」
ゴルロフが膝蹴りを放ってくる。至近距離でかつ腕を掴まれているので避けようがない。奴の膝蹴りがまともに私の剥き出しの腹部にめり込む!
「ぐぶっ!」
凄まじい衝撃に胃液が逆流する。口から吐き出すのは何とか堪えたが、一瞬身体が硬直して能動的な行動を取れなくなる。
間髪を入れずゴルロフが私の腕を取って、まるで背中で背負うような形で投げを決めてきた。
「……ッ!」
私の身体が宙を舞い、視界が激しく反転する。と思った次の瞬間には、背中に激しい衝撃を感じた。
「かは……!」
どうやら背中から地面に叩きつけられたらしい。肺から全ての息が絞り出され、一瞬呼吸が出来なくなる。視界が揺れてグルグル回っている。
激しい視界の揺れと、身体中を襲う痛みのせいで動けない。そこにゴルロフが上から伸し掛かってくる。馬乗りにされて両手を掴み取られる。頭上で一つに合わせてゴルロフの左手だけで軽々と握りしめられる。
渾身の力で腕を振り解こうとするが、奴は片手で握っているだけだというのに、私の両手はビクとも動かなかった。腰の力で跳ね除けようにも、2メートルの大男の身体は重く、全く持ち上がらない。
「ぐへへ、万事休すって奴だなぁ? 俺様をコケにしやがって、思い知らせてやるぞぅ!」
奴の右手が私の胸元やお腹、太ももなど肌が剥き出しの部分を無遠慮に這い回る。全身に怖気が走った。オークの時とはまた違った嫌悪感だ。相手が『人間』故だろうか。
観客席から興奮した男達の大歓声が耳に入ってくる。
「へ……へ……こ、こりゃスゲェ! 今まで抱いてきた女なんか比較にならねぇぜ! さ、最高だ!」
「く……うぅ……や、やめて……!」
弱々しい声を上げる事しか出来ない自分に腹が立つ。しかし私がモタモタしている間に、ゴルロフは右手で自分のズボンに手を掛ける。
「……!」
最早一刻の猶予もない事を悟った私は、必死に頭を巡らせる。ただ闇雲に暴れてもこの体格、膂力の差は如何ともしがたい。
ならば……一瞬のチャンスに賭けるしかない。
ゴルロフはズボンを下げながら私の胴に跨っていたのを、少し後ろに下がって私の股の間に割り込もうとする。
今だっ!
ゴルロフの腰が浮いた一瞬の隙を狙って、全力で両膝を限界まで折り曲げる。私の両足がゴルロフの体の下からすっぽ抜ける。
「お――」
「く、らえぇぇっ!」
折り曲げていた両足を今度は思い切り蹴り出すように伸ばしてやる。伸ばした足の先には……ゴルロフの股間。
ブーツ越しにも嫌な感触が伝わる。鉄のすね当てと一体になったブーツで、しかも両足で全力の蹴り込み。それが男の急所に当たったのだ。
「……! ……ッ! ……!!」
ゴルロフはその醜い顔を赤から青へと変化させ、全身に物凄い脂汗を掻きながら悶絶した。
…………
観客席が一瞬静まり返る。興奮して起立していた男性客の中には、心なしか青い顔で前屈みになっている者もいるようだ。
私は素早く起き上がると、小剣を手に持ってゴルロフに突きつける。
「ぬぎぎ……ち、ちくしょう! 殺しやがれっ!」
今まで命乞いする奴はいても、殺せというケースは初めてだ。観客からは例によって殺せコールが沸き起こっている。シグルドのいる主賓席を見上げると、シグルドは親指を……横に向けた。
「……!」
下に向けると殺せ。上に向けると殺すな。そして横に向けると……勝者の判断に任せる。これが暗黙の了解となっていた。
眼の前で蹲っている醜い男は、事もあろうに私を公衆の面前で辱めようとした卑劣な野獣だ。殺されて当然のクズ。本人も殺せと言っている。私に躊躇う理由はない……はずだった。
私は剣を振りかぶると、一気にゴルロフの頭目掛けて振り下ろした!
…………
剣はゴルロフの頭の横を通り過ぎて地面を斬った。
「て、てめぇ……ふざけんなよ……」
ゴルロフが股間を押さえた姿のまま獣のように唸っている。私はそれを無視して剣を収めると、出口に向かって歩き出す。
『お、おおぉーー! 【隷姫】カサンドラ、無事に試合には勝ったが……勝者の権限を行使して、敗者を殺さずに勝利したぁぁっ!!』
ブーーブーーという観客達の野次やブーイングが飛び交う。知ったことか。私は殺人鬼ではない。
剣闘士となっているのもあくまでシグルドへの復讐の為だ。殺す必要がないのであれば、自分から好んで殺しに手を染める気はない。例えそれがあのようなクズの悪人であったとしても……
****
ブラッドワークスに戻ってきた私は、そのまま自分の与えられている部屋に戻ろうとするが、その途中の通路の壁に誰かが腕を組んでもたれかかっているのに気付いた。
兜を被っていて顔は見えないが体型からして男だ。まあこの闘技場にいる人間で、女は私の他にはルアナくらいのものだが。男の前を通り過ぎようとした時……
「……君は優しいな」
声を掛けられた。若い男の声であった。私は釣られて男の方に視線を向ける。
「……失礼。何ですって?」
「あの山賊の命を奪わなかった。優しい事は美徳だが……少なくとも
「……いざ戦いとなれば相手を殺す事に躊躇いはありません。覚悟なら出来ています」
優しさから剣が鈍り、試合において命取りになる……そういう類いの忠告であれば無意味な事だ。そんな覚悟はとっくの昔に決めている。だが男はかぶりを振った。
「私が言っているのはそういう意味ではないが……まあ杞憂に終わればそれに越した事はないか」
意味深な言葉に私はちょっと眉を吊り上げた。
「ではどういう意味なのですか? というか相手と話すのに兜を被ったままなのは失礼ではありませんか? ここはアリーナではありませんよ」
男は少し苦笑したように見えた。
「む……確かにその通りだな。これは失礼。この後に試合が控えていたものでね」
そう言って男は兜を取った。と同時に私は不覚にも息を呑んでしまった。
一言で言えば、その男は非常な美男子であったのだ。だが決して軟弱な印象はなく、戦いに生きる者特有の精悍さも併せ持っていた。美丈夫、と言うべきだろうか。顔は全く似ていないにも関わらず、どことなくアルを連想させた。
私が息を呑んだ理由はそれだけではない。男の頭は流れるような金髪に覆われ、その目は吸い込まれるような深い青……。
それは紛れもなくエレシエル王国を祖とする南方人の特徴であったのだ。
「あ、あなた、まさか、エレシエルの……?」
男が優雅に一礼する。
「サイラス・マクドゥーガルだ。両親はエレシエル人だが、育ちはハーティア大公国でね。残念ながらエレシエル王国の元臣という訳ではないんだ、王女様」
「ハーティアの……」
精神的には姉とも慕っていたエリザベート公女の事を思い出して、少し胸が痛んだ。恐らくもう生きて彼女に再会できる事は無いだろう。
「今は紆余曲折を経て、この闘技場の【ヒーロー】ランクの剣闘士をやっている身さ。【烈風剣】などという異名が付いているようだな」
「【ヒーロー】……!」
それは今の私の【ウォリアー】ランクの二つ上。【チャンピオン】を含めても、上から2番目の階級……。このフォラビア大闘技場では最精鋭のエリートと言って良い階級だ。
「君のような美しい女性ともう少し話していたかったが、生憎これからすぐ試合があってね。君が相手を殺さなかった事で、血を見れずに消化不良になっている観客達の世話をしなきゃならない」
「な……」
初対面の男性……それもこのような美丈夫に美しいなどと言われ、不意打ちだった事もあってやや声が上擦ってしまった。顔に動揺が出ていなければ良いが……
サイラスが片目を瞑って笑いかける。
「もし良ければ私の勝利を祈っていてくれないかな? 勝利の女神のお墨付きがとあれば百人力……いや、千人力になろうというもの」
「まあ……!」
ストレートな物言いに私は再び赤面してしまう。サイラスは口調こそ敬語ではないものの、物腰柔らかく、また私を1人の
この闘技場に囚われて以来、最底辺の奴隷として女性どころか人間としての尊厳すら踏みにじられるような扱いに耐えてきた。そんな環境にあってサイラスとの短い会話は私に、故郷の……エレシエルの王宮での日々を懐古させるものであったのだ。
「私の祈りなどで良ければ……。偉大なる守護聖獣よ……この者に万難を排する加護を与え給え……」
手を掲げエレシエルの神官が行う祈りを捧げる。サイラスは心地良さげに閉じていた目を開く。
「おぉ……不思議と活力が湧いてくる心持ちだ。相手は【マーセナリー】ランクの剣闘士
「え……7人!?」
私がギョッとして呆気に取られている内に、サイラスは悪戯っぽく笑って兜を被り直すと、私に手を振りつつアリーナへの通路を歩き去っていった。流れるような動作で私が呼び止める間もなかった。
……これが後に私の運命を大きく変える事になるサイラス・マクドゥーガルとの出会いであった。因みに彼はこの時の試合で本当に【マーセナリー】ランクの剣闘士7人相手に大勝し、有言実行を飾ったのだった……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます