第10話 暴虐なる龍
今日は【グランドチャンピオン】たるシグルドの防衛戦が行われる日だ。救国の英雄シグルドの勇姿を見ようと、闘技場にはいつにも増して多くの観客達が詰めかけている。
私もシグルドの指示によって、ルアナとマティアスに両脇を挟まれた状態で、主賓席からの観戦を許されていた。
私の見下ろす先……アリーナには、50人近い剣闘士達が集まっていた。この闘技場に出入りする各興行師達の元から集められたこの剣闘士達は、全員が先日私が倒したフィルマンと同じ【ソルジャー】階級であるとの事。
皆、思い思いの武装でアリーナに並んで立っている。今日の試合はシグルドの防衛戦のみのはずだ。つまり彼等は皆その試合の出場者という事になるが、まさかこれだけの人数を一度に相手にするはずが無いので、何かのパフォーマンスか、もしくは全員が入り乱れてのバトルロイヤル形式の試合という事になるのだろうか。
「これだけの人数……一体今から何を始めるつもりなんですか? 何かのパフォーマンスですか?」
私はそう思って隣のルアナに確認すると、彼女は人の悪そうな笑みを浮かべた。
「パフォーマンス? 何の話かしら? 今から始まるのはシグルド様の防衛戦だけよ。無駄なパフォーマンスの類いはあの方が最も嫌う物よ」
「……あれだけの人数です。それでは防衛戦はバトルロイヤル形式という事ですか?」
するとルアナは面白い冗談でも聞いたかのように声を上げて笑った。
「ふ、あっははは! そう、そうね! 確かにバトルロイヤルと言えなくも無いわね! うふふふ! 知らないというのは幸せね!」
「……ルアナ。無駄に弄るな」
ルアナの反応に私が戸惑っていると、マティアスが苦虫を噛み潰したような顔でルアナを嗜める。
「百聞は一見にしかずだ。お前の疑問はこの後すぐに氷解する。いいから黙って見ていろ」
その時丁度タイミング良く、アナウンスの声がアリーナに響き渡った。
『皆さん、今日はお集まり頂きありがとうございます! 今日は【グランドチャンピオン】の防衛戦の日! 神話の中から抜け出てきた救国の英雄の戦いをその目で見る準備は良いか!?』
――ワアァァァァァァッ!!!
観客達は拳を振り上げて熱狂している。やはりロマリオン国内でのシグルドの知名度、人気は相当なものだと窺い知れる。
『ありがとう、皆さん! 防衛戦の試合内容は皆さんの楽しみの為、当日この場での発表となるので、やきもきされていた方も多いと思われます! それでは発表致します! 防衛戦は、【グランドチャンピオン】シグルド対【ソルジャー】ランクの剣闘士47人だぁぁぁっ!!』
「…………え?」
私は自分の耳を疑った。今、司会は何と言った? シグルド対47人? 私の聞き間違いだろうか。
「うふふ……驚いた? でも本当に驚くのはこれからよ?」
ルアナの心底楽しそうな笑い声。この上一体何があると言うのか。
『さあ、それでは赤の門より、【グランドチャンピオン】シグルドの登場だぁっ!!』
赤い装飾の門が上にスライドしていき、その奥からのっそりと現れたのは……見間違えるはずもない、シグルド・フォーゲル本人であった。
他に誰も連れていない。そして……何の武器も持っていなかった。丸腰だ。そのまま剣闘士達の前まで進み出て、彼等を睥睨するように腕を組んで佇立する。
「な……ま、まさか……?」
「ふふ、そのまさかよ。防衛戦とはいえ、これはれっきとした賭け試合なの。少しでも『戦力差』を縮める工夫を凝らすのは当然でしょう? 勿論相手方の剣闘士47人は一切刃引きなどはしていないわ」
「……!」
その条件で尚、シグルドには丸腰という『ハンデ』が必要だと言うのか。そうしなければ賭けが成り立たないと……。
「それだけではない。相手方の戦闘意欲にも関わってくる」
マティアスも加わってくる。
「絶対に勝ち目のない相手では、最初から勝負を諦めたり逃げ惑ったりする者ばかりになるだろう。だが、自分達にも勝ち目があるかも知れないと思えばどうだ? 相手は死に物狂いで襲いかかってくるだろう。あの御方が求めているのは『戦い』であって、『虐殺』ではないからな」
「それに加えて、
金貨5000枚と言えば、一家族がそれなりに裕福な暮らしをしながら、一生働かずに食べていける額だ。500枚でも数年は遊んで暮らせる。ルアナの言葉に相手方の剣闘士達の様子を確認すると、なるほど彼等は皆、まるで大金の山を見るようなギラついた視線でシグルドを見据えている。
相手は1人、ましてや丸腰なのだ。今頃彼等の頭の中では大金持ちになった自分の姿が想像されているのだろう。正直私も正気の沙汰とは思えなかった。もしかして私の復讐はここで終わるのだろうか。ついそんな事を考えてしまう。
「ふふ……さあ、始まるわよ。あなたが挑む『高み』、しかとその目に焼き付けなさい」
『それでは、【グランドチャンピオン】防衛戦、始めぇぇっ!!!』
開幕の合図と同時に丸腰のシグルドが武装した剣闘士達の集団に正面から突っ込む。一切の躊躇いは感じられない。
一番先頭にいた剣闘士が慌てて槍を繰り出すが、シグルドはそれを掴み取ると自分の方に強引に引っ張る。剣闘士が前につんのめる。そこにシグルドの拳が炸裂。剣闘士の顔面が一瞬で原型を留めない程に「破壊」され、もんどうりうって倒れた。あれは即死だろう。
呆気にとられている手近な剣闘士に向かって、シグルドが襲いかかる。その剣闘士は首を捻られて一瞬で崩れ落ちる。我に返った剣闘士達がようやく戦闘態勢を整えた頃には、既にシグルドはもう一人をくびり殺していた。
素手で一瞬にして3人の剣闘士を屠った。相手はそれなりの訓練を積んでいる【ソルジャー】階級の剣闘士だというのに。
剣闘士達が狂ったように雄叫びを上げながら斬り掛かる。シグルドはその全ての攻撃を巧みに躱し、時には武器を掴み取って拳で反撃する。剣闘士達は特に軍隊として統制が取れている訳ではない為、皆思い思いに斬り掛かるばかりで、周囲の仲間と連携を取ろうとしない。
その為これだけの人数がいながら一度に斬り掛かるのは精々3人までで、無理に一斉に掛かろうとして同士討ちまで発生している始末だ。
尤も仮に連携を取った所で、そんな付け焼き刃が通じる相手では無さそうだが。
圧倒的な暴力で剣闘士達を蹂躙するシグルドだが、私は奴がただ無作為に暴れまわっているのではなく、何か目的を持って立ち回っているのに気付いた。それはこの高い位置から全体を俯瞰しているからこそ気付いた事だ。アリーナにいる剣闘士達は、自分達が知らない内に誘導されている事に気付いていない。
「さあ、良い物が見れるわよ?」
ルアナの楽しそうな声に、私はシグルドを注視する。剣闘士達はシグルドに誘導され、奴から見て縦方向に一塊りのような形で集まっていた。
シグルドが一瞬動きを止め、大きく息を吸い込むような体勢を取った。あれは確か……
『རྱུ༌ཨུ༌ནོ༌ས༌ཁེ༌རྦི༌ ཁ༌ཨེ༌ང༌』
私には聞き取れない奇怪な言語による、耳を
その紅蓮の炎は瞬く間に迫り来る剣闘士達を飲み込み、突き抜けた。両端にいた者達は炎に巻かれるのを免れたが、中央で一塊りになっていた者達はまとめて炎に包まれた。耳を覆いたくなる断末魔の阿鼻叫喚。それとは対照的な観客達の大歓声。
「な…………」
アルを倒した時とは違う種類の能力だ。あの時は凄まじい衝撃波を発生させていた。人間が口からまるで龍のように炎を吐くという常識外れの光景もさる事ながら、私は奴が攻撃にも複数の能力を使い分けられる事に戦慄した。
「あれが、あの御方が
「
マティアスの説明に、私は呆然とアリーナの
最後尾にいた者達は辛うじて息があるようだが、それは果たして幸せな事だったろうか。ギリギリ死なない程度の火傷によって呻いたりのたうち回っている彼等は、苦しむ時間が増えた分不幸かも知れなかった。
残った者は20人に満たない程度だ。神の如き力で、一瞬で20人以上もの人間の命を奪った怪物……。あの怪物を、私が、殺す? いや、そもそも
「うふふ……どうしたのかしら? 顔色が悪いわよ、王女様?」
「……ッ!」
ルアナのこちらを嬲るような声音に、私は顔を青くしながらも唇を噛み締めて辛うじて自制心を保つ。
アリーナでは既に『掃討戦』の様相を呈していた。当然だ。あんな物を間近で見せられては、最早戦うどころではない。しかし彼等はこのアリーナに降り立った以上、逃げるという選択肢は与えられていない。
追い詰められて破れかぶれで反撃してくる者もいるが、当然そんな物を意に介すシグルドではない。残った者をどんどん素手でくびり殺していく。剣闘士の残りが10人程になった時、シグルドが一旦動きを止めて……主賓席の方を見上げてきた。
「……!」
奴の視線は間違いなく私を見ている。そして私には奴が笑ったように見えた。シグルドの動きが止まったのを隙だと
『རྱུ༌ཨུ༌ནོ༌ས༌ཁེ༌རྦི༌ རེ༌ཨི༌ཁི༌』
奴の口から再び超常の力が
霜が晴れた時、そこには一瞬で凍りついて生命活動を停止させた10人程の剣闘士達が転がっていた。
時間にすれば精々10分程だろうか。それだけの時間で50人近い剣闘士達が、たった1人の丸腰の男によって全滅させられていた。
これが、私が目指す『高み』……? 私は根本的な勘違いをしていた。
人間がどれ程修行をして強くなった所で、龍を倒す事など通常は不可能だ。それと同じ事なのだ。
私は、人の……女の身で、【龍】に挑もうとしていたのであった…………
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