第一章 剣闘王女の誕生

第8話 【コンスクリプト】初戦

 剣闘士カサンドラの「門出」を祝して、私の剣闘士のコスチュームがシグルドより渡された。


「な……何なのですか、これは!?」


 私は恥辱の余り、つい声を荒げてしまう。顔が羞恥で熱くなっている自覚がある。衣服を全てはぎ取られた上でこの「コスチューム」を渡されたので着用するしかなかったのだが、それは男性の劣情を催す事を目的とした破廉恥極まりない衣装であったのだ。


 「衣服」と呼べるのは僅かに胸と腰を覆う革製のビキニのみ。後は全て鉄製の「鎧」だけであり、ビキニの上に被せる鉄製の乳当て。両肩の小さな肩当て。前腕部を覆う腕当て。下半身は腰回りのみを覆う非常に面積の少ない草摺りグリーヴで、太ももは付け根まで露出していた。そして下腿部のみをガードする脛当て……。



 私が身に着けているものは、これだけ・・・・であった。胸元も腹部も、二の腕も太ももも……これでもかと言わんばかりにむき出しにされていた。


 仮にも大国エレシエルの王女であった私である。物心ついて以来、このように肌を下品に露出する格好など一度たりともした事がなかった。


 しかも闘技用の衣装という事は、この格好で何万人もの観衆が詰めかけているアリーナに出なければならないという事だ。想像しただけで凄まじい羞恥心が湧き上がってくる。


 それだけではない。露出が多いという事はそれだけ防御的な機能に劣るという事でもある。こんな格好、太ももや脇腹を斬り付けられたら一発で終わりではないか。こんな格好で武器を持った相手と戦えなど、色々な意味で馬鹿げているとしか言えない。



「ふ……お前の『売り』は旧エレシエル王国の姫であるという事。そして何よりその美しい容姿だ。それを最大限に活かすにはこれが最も効率的・・・なのだ。だから兜の類いも無しだ。お前のその美貌を隠しては意味がないからな」


 シグルドがそう言って口の端を吊り上げる。 


「どの道お前に通常の剣闘試合のような血みどろの戦いは求めておらん。傷一つ負わずに華麗に勝利するか、それが出来なければ死か……。そのどちらかだけだ。中間・・は無い」


「……!」


 つまりは通常の試合よりもより過酷な条件という訳だ。僅かな傷すら致命傷になり得る……。まさに0か100かしかない真剣勝負。しかもそれは私のみの条件で、相手側は完全武装が許されているというのだから笑うしかない。


 結局それっぽい事を言いながら、この男はただ私を観衆の目の前で体よく処刑したいだけのようだ。それによってロマリオンの……ひいてはこの男の権威がより一層高まるのだろう。


「ふ……お前が何を考えているかは解るぞ? その代わりお前には我が『力』を授けてあるのだ。あれを使いこなす事が出来れば、決して達成不可能な条件という訳でもない。まあ、全てはお前次第だ」 


 シグルドはそう言って私に背を向けた。


「お前が俺の元に辿り着ける日を楽しみにしているぞ。それまで精々励むがいい、【コンスクリプト】よ」


「く……!」


 剣闘士には8つの【階級】が存在する。シグルドに挑むにはその8つの階級の頂点……【チャンピオン】まで登り詰めなくてはならない。【コンスクリプト】とは下から2番目の階級。最下級はまだアリーナに出る資格のない【シビリアン】――私はあの農奴を殺した事で卒業した――であり、実質的には【コンスクリプト】が最下級の剣闘士と言える。



 要するにお前の道はまだまだ遠く険しいぞ、と私に釘を刺している訳だ。



 ……上等だ。道が険しかろうが何だろうが、もう私に後に引くという選択肢はないのだ。いや、最初から無かったとも言える。ならば力の限り抗うまでだ。


 奴の呪いの力も逆手に取って利用してやる。そして必ず奴の元まで辿り着くのだ。力及ばず死んだとしたら、その時こそアル達の元へと行ける。


 どちらに転んでも私にとっては救いとなる。とにかく目の前の戦いをがむしゃらに戦うだけだ。そう決意して私は正式に剣闘士としての第一歩を踏み出したのであった……




****




『紳士淑女の皆様、今日もこのフォラビア大闘技場にお越し頂きまして誠にありがとうございます! 本日は予てから予告のあった〈特別試合〉が開催されます! 青の門から登場しますのは、何とあの旧エレシエル王家の最後の生き残りにして、この大陸で唯一の女剣闘士となったカサンドラ・エレシエルだぁぁぁっ!!!』 



 ――ウオォォォォォッ!!



 割れんばかりの歓声が沸き起こる。そして私の姿が門より現れると歓声の大きさは変わらずに、その種類だけが変わった。


 ……熱狂から、野次が混じった卑猥な性質のものへと。


 それも当然だ。今の私はあのシグルドから渡された『鎧』を身に着けて、この大観衆が見下ろすアリーナへと進み出ているのだから。


 私の顔に、鎧からむき出しの素肌に、何万もの視線が突き刺さるのを感じる。それは最早物理的な圧力すら伴うと錯覚する程だ。


「――ッ!!」


 私は一旦目をギュッと閉じて、それらの視線を意図的に遮断する。それでもこのような衆人環視の前で、あられもなく素肌を晒している事に言いようのない心許なさは残ったが、それも我慢してアリーナの中央まで進み出る。



『予てからお伝えしているように、この者カサンドラは、事もあろうに我が帝国の皇女クリームヒルト様を殺害しようとした罪で、我らが英雄シグルドに身請けされて剣闘奴隷の身分に落とされました。その為、この試合は『処刑試合』でもあるのです! 見事この大罪人を処刑できた者には多額の報酬が支払われる事になっています』



 司会役が特殊な拡声装置を使用して、今の私の身の上を説明している。基本的にこの大陸では女の剣闘士など存在しなかったので、色々と理由付けが必要という訳だ。勿論この『処刑試合』も賭けの対象となる。


 尤も今の時点で私に賭ける者など余程酔狂な者を除いてまずいないだろうが。



『さあ、それでは処刑人・・・の登場です! 赤の門から入場しますのは新進気鋭の剣闘士、【コンスクリプト】アルバロ・カルデナス!』



 基本的に剣闘ではオッズの偏りを防ぐ為に、試合は同階級の者同士で行われる。階級の違う相手と戦う場合は下の階級の者が複数であったり、上の階級の者にハンデを付けたりなどする。


 正面の門からは短槍と投網で武装した剣闘士が現れた。武装からして中距離型だろう。


「へ、へ……悪く思うなよ、姫さん。あんたを殺せばロム金貨千枚の大金が貰えて、剣闘奴隷から解放されるんだ。一気に大金持ちだ! 容赦はしねぇぜ?」


「…………」


 私は黙って小剣グラディウス少盾スモールシールドを構える。もうここに立った以上覚悟は決めている。戦う覚悟、そして人を殺す覚悟もだ。


 そんな私を見てアルバロも鼻を鳴らして武器を構える。睨み合い。後は合図を待つだけだ。



『……両者準備はいいか? では、始めぇっ!!!』



「しゅっ!!」


 アルバロが短槍を突き出してくる。私は慌てずに一歩下がって距離を取る。アルバロが踏み込んで更に突きを放ってくる。


 私は冷静にその軌道を見極めて少盾で穂先を打ち払う。


 ガンッ! と金属音が響き、短槍の軌道が逸れる。アルバロが驚いたように一旦下がる。


「……おいおい、箱入りの姫さんじゃなかったのか!?」


 確かに数ヶ月前までは間違いなくそうであった。だが人を殺す事も経験し、凄腕の剣士であるマティアスから毎日のように厳しい特訓を課せられている私にとって、アルバロの動きはそう大した脅威とも思えなくなっていた。


 恐らくかつてアルに瞬殺されていた、あの下品な傭兵の子分達以下だろう。下から二番目の階級である【コンスクリプト】では、まだ素人に毛が生えたようなレベルという事だ。


 今度は私の方から踏み込む。アルバロが放つ槍を再び盾で打ち払って更に肉薄。


「ちっ!」


 アルバロが舌打ちしながら後方へ飛び退る。そうしながら左手に持った網を投じてくる。網に絡められるとマズい。それだけでなく所々に金属の筋が入っている網は、思い切り叩きつけて来られれば、広範囲を攻撃できる立派な武器である。


 私は……躱さずに、身を低くしながら更に前へ出る・・・・・・


 網はその性質上、中距離が最も効果を発揮する。密着すればする程範囲は狭くなり、また振り抜きの威力も減じる。


 上手く懐に潜り込んだ私は投網の威力をほぼ殺す事に成功。そして近距離は、今の私の得意とする間合いでもある。


「くそっ……!」


 アルバロが咄嗟に網を手放して左腕で私を振り払うような動作をしたが、私はお構いなしに小剣を突き出す。


「が……!」


 うめき声。私の剣は狙い過たずアルバロの胸に吸い込まれた。肉を貫き、骨を切り裂く感触。まだまだ慣れる事は出来そうにない。いや、ある意味では慣れてはいけない物なのかも知れない。


 胸を貫かれたアルバロが信じられない物を見るような目で私の事を凝視し、やがて白目をむいてゆっくりと前のめりに倒れ込んだ。



 ……一瞬、闘技場が静まり返る。



『お、おおーー! な、何と、女剣闘士カサンドラ、まさかの……まさかの圧勝だぁーー!! 天下の大罪人、処刑・・を生き延びたぁっ!!!』 



 ――ウワアァァァァアァァァァッ!!!



 やや慌てたような司会役のアナウンスの後、まるで思い出したかのように闘技場中から途轍もない大音量が響き渡った。歓声、怒号、驚愕、興奮……様々な感情の入り混じった叫びがアリーナを震わせる。



 こうして無数の視線と野次に晒されつつ、私の『初戦』は無事に終わったのであった。

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