第7話 剣闘士の条件

 今私の目の前には短剣を構えた1人の男が立っていた。その目を敵意と……そして恐怖に漲らせて私を睨み据えている。私の手にも男と同じような短剣。


 私達は円形の薄暗いホールの中央で武器を構えて互いに睨み合っているのだ。


「さあ、何を躊躇っている。殺せ! でなければ剣闘士として闘技場に立つ資格はない。ここで死ぬが良い」


 そんな私達を煽ってくる声……。ホールの壁に寄りかかってこの「戦い」を見守っている1人の男。肌が黒くスラリとした筋肉質な体型の典型的なガンドリオ人の特徴を持った男。


 シグルドの部下で私の「教官役」を請け負っている男でもある。



「どうした、お前の復讐心とやらはその程度か!? それではどの道シグルド様に到達する事は勿論、剣闘士共に打ち勝つ事さえ不可能だ。ならばいっそここでその生命を散らすが良い。そうすればその男は助かるぞ?」


「……!」


 その男……マティアスの言葉に私は思わず動揺する。そう、これは『試験』なのだ。私の覚悟を示す為の試験……。



 剣闘士になる事を決意してから、早2ヵ月……。その間私はこのマティアスに徹底的に訓練を付けさせられた。基礎的な体力づくりから武器を振るう訓練まで。短期間では様々な武器を訓練する時間も惜しいという事で、私の戦闘スタイルは私の筋力なども考慮して小剣グラディウスと小盾というスタイルに統一され、ひたすらその戦闘スタイルでの特訓を続けてきた。


 その甲斐あって2ヵ月という短期間でもそれなりに様にはなってきたと思うが、まだ『実戦』に出るには致命的に不足しているものがある。今のこの状況はその為の『試験』という訳だ。



 私に決定的に足りない物。それは――



「さあ、殺せっ! 殺さねばお前が殺されるぞっ!!」

「うわあああっ!!」


 短剣を持った男が錯乱したように襲い掛かってくる。相手は元々農奴できつい労働に耐え切れずに脱走して捕まったとの事だった。つまり何の罪も無い……無辜の民だ。それを私が……殺す?


 思わず硬直してしまった私に対して、男が短剣を突き出してくる。相手は特に何の訓練も受けていない素人だ。それも過酷な環境で体力・気力共に疲弊しきっている。短期間とは言え戦闘訓練を受けてきた私の目から見れば、それは隙だらけであった。反撃する事は容易い。だが…… 


「く……!」


 私は歯噛みしつつ受けに回ってしまう。これが今の私が剣闘士になれない理由だ。人を殺す事で、その覚悟があって初めて剣闘士としての資格を得る。人を殺せない者はどれだけ技術があった所で、永遠の半人前という世界だ。


「うがああぁぁっ!!」

「ぐぅ……!」


 男の狂乱したような勢いに押されて私は壁際まで追い詰められてしまう。男が短剣を振りかぶる。最早躱す事は出来ない。殺るか……殺られるかだ。



 頭の中にまるで走馬灯のようにアルの顔、両親や兄弟の顔が浮かび上がる。そして……憎きシグルドの顔も。


「……ッ!」


 私は反射的に前に踏み出していた。がら空きになっている男の胸に私の短剣が吸い込まれる。


「あ…………」


 その呆然とした声は男の物だっただろうか。いや、もしかすると私自身の発した物かも知れなかった。気が付くと私が突き出した短剣が男の胸の部分に深々と突き刺さっていた。


 男の手から短剣が落ちる。そして信じられない物を見るような目で、自分の胸に刺さった短剣の柄を眺めて……ゴフッと血を吐いた。


 トトトッと何歩か後ろによろめくように下がった後、ドサッと仰向けに倒れ込んだ。二度と起き上がる事はおろか、動き出す事さえなかった。



 死んだ。私が……殺した。私は今、1人の人間の命をこの手で奪ったのだ。農奴で何の希望も無い人生。もしかしたら彼自身は死を望んでいたかも知れない。そう自分を慰めてみても、自分が人を殺したという事実が消える事は無い。


 アルは、兄達は……そして王国の騎士や兵士達は皆、こうして人を殺す事で私を守ってくれていたのだ。それが如何に大変な事であったのかようやく実感できた。私は彼等にこうした罪を背負わせてのうのうと生きてきたのだ。


「……よくやった。その気持ち、今の感覚を忘れぬ事だな。大抵の者が慣れて麻痺して忘れていく物だからな」


 静かに告げてくるマティアスの言葉に顔を上げる。


「所詮人間は……いや、全ての生き物は他者を犠牲にする事でしか生きられぬ。お前は今までそうした世界とは無縁であったのだろうが、それは誰かがそれを肩代わりしていたに過ぎんのだ。直接手を下すか、間接的に誰かに手を下させるか……。その違いでしかない事を努々ゆめゆめ忘れるな」


「……!」


 それは正に今私が考えていた事と一致する。そうだ。今まで誰かが代わりにやってくれていた事をこれからは自分でやっていかなくてはならないのだ。あの男……シグルドに復讐する為には!


「く……う……!」


 私を押し潰そうとする罪悪感や忌避感を強引に抑え込む。思わず喉元まで出かかっていた嘔吐を無理矢理飲み込む。私は再び視線を上げてキッとマティアスを睨み付ける。


「……良い目だ。良かろう、『合格』だ。お前は今日より剣闘士……この大陸初の女剣闘士カサンドラの誕生だ!」


 その宣言と共に、私の剣闘士としての生活が本格的に始まっていくのであった……

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