第12話 ロウエン―2
前回のあらすじ。
レイスワンダ連盟にあるワーウルフの根城にやって来た魔王一行(自称)。
しかし城門は固く閉ざされ、叩いても蹴っても声を張り上げても開くことはなかった。
仕方なく、魔王は宝剣を振るい鋼鉄の門ごと閂を断ち切り城内への侵入を果たしたのだった。
※
魔王は伸び放題伸びて視界のほとんどを遮る前髪を神経質そうに指でいじりながら、後ろを歩くサキュバスと吸血姫を気にした様子で歩き出す。
「ワーウルフって体洗ったりするのかな?」
一階にある部屋の扉を目についたものから開けていきながら、魔王はサキュバスと吸血姫に問う。
魔王の質問にサキュバスは一瞬思い出すような顔をするが、吸血姫は最初から知らないことを認めてサキュバスを見ていた。
「水浴び程度だと思いますが……ここに住むワーウルフがどうなのかはわからないですね」
「さっきからすごい獣臭いんだけど……」
魔王は城に入ってすぐの時よりも雑に前髪をいじりながら、不快さを隠そうともしない表情で次の扉を開く。部屋の中には誰もいない。
「私、嗅覚は鈍い方なんですよね」
サキュバスという種族は基本的に魅了の魔力で他種族を惹き付け触手で絡めとり丸呑みにするだけで生きていけるので、基本的に人間で言うところの五感は退化している。
だが、リューと名乗る魔王の部下のサキュバスは以前丸呑みにした人間の体のほとんどを食べずに再利用する形で擬態しているので、ある程度の五感は人間未満ではあるが獲得していた。この場合、擬態というよりも寄生と表現した方が近いかもしれないが。
「私は植物だから臭いなどわからないな」
吸血姫は人間のような姿をしているが、生態的に吸血鬼の異常種であり植物系の魔物なので、五感は触覚以外ない。
「なにならわかんの?」
「私の樹皮は感覚器として機能しているからな、空気の振動で音はわかる。同じように光の波長で色もわかる」
「まるで動物だな」
「そういう風に成長したからな。だが、臭いはわからん。必要に感じたこともないしな」
「これだから魔物は……」
魔王は共感してくれる者がいないことを残念がる気持ちを誤魔化すために悪態を吐き、一階にある最後の部屋の扉を開く。
「ぅぐっ」
扉が開かれた途端、魔王の表情は一変した。
「どうしました?」
「こ……ぁ……っ!」
魔王はサキュバスの疑問の声が聞こえていないようで、全速力の後ろ歩きで部屋の前から離れていき、城の外にまで出ていった。
「臭ェェェェエエエエーっ!」
魔王の悲鳴が部屋の前に置き去られたサキュバスと吸血姫の周囲の空気をビリビリと震わせる。
「……そんなにか?」
「さあ……?」
サキュバスと吸血姫は互いに首を傾げ、部屋の中に視線を向ける。
部屋の中は、直視に耐えがたいというほど汚れていた、というわけではない。しかし掃除がされた痕跡はなく、埃は部屋のスミに積もり、部屋の中心に無造作に置かれた脚の折れたベッドには黄ばみカビが生えたシーツがシワだらけでかけられており、シーツの下に隠された敷布団が見るも無惨な姿であることをいとも簡単に想像させた。
ベッドで眠るという習慣のないサキュバスと吸血姫はその光景になにも感じなかったが、人間に近い感性を持つ魔王はほんの数秒間だけとは言え、不潔な光景を目の当たりにしたことによる生理的嫌悪感を抑えきれなかったのだ。
「あーくそ、ぜってー宝なんてやらねえ……」
顔を白くさせながら戻ってきた魔王は、そのまま部屋の中に入る。ベッドの上には雄のワーウルフが裸で眠っており、無防備にも腹をさらけ出している。
「起きろ! 寝グソ犬!」
魔王は臭いに眼球を刺激され涙を流しながら、ワーウルフの胸板に握った右手を殴り下ろす。
「だはぁ! 右手が!」
鉄のように堅いワーウルフの胸板を全力で殴ってしまい、魔王は涙を流した。
「魔王様、大丈夫ですか?」
「心折れそう……」
「声ちっさ」
「あ?」
「なんでもないです」
「いやはっきり聞こえたからな、聞き逃さなかったからな」
「ははは」
魔王は目尻に溜めた涙の滴を両手で乱暴に拭い、ワーウルフを指差す。
「外に引きずり出してきて。外で待ってるから」
魔王は言うだけ言うと早足で部屋から立ち去った。
「……なんなのだ、あれは」
「完全に拗ねてますね、あれ」
「あんなのでも魔王とは……クフフ、世界とは本当にわからないものだな」
エィンは愉快そうに笑うとベッドの上のワーウルフを肩に担ぎ、リューと共に魔王を追って歩き出す。
エィンはワーウルフを門の前に投げ捨てるが、ワーウルフは強い睡眠薬でも盛られたかのように眠りから醒めない。
「こいつ、死んでんじゃねえの」
「群れでの生活を辞めたせいで生活リズムが狂ったのかと」
魔王が両断された鉄の閂をワーウルフの顔面に何度か突き立てるように降り下ろしていると、ようやくワーウルフは目を覚ました。
「んが……もう朝か」
「夕方だバカ野郎」
昼である。
魔王は上半身を起こしたワーウルフの横っ面を閂で殴る。
鉄と鉄が強くぶつかる音ような音がして、閂は魔王の手から飛び出して地面に転がった。
「あ? なんだお前ら?」
ワーウルフはガシガシと右手で頭を掻きながらサキュバスと吸血姫と魔王の顔を順番に見る。この時、不思議な力がワーウルフを守りサキュバスの魅了の魔力も吸血姫の麻痺毒も無効化していた。
「俺は魔王。こっちはリューで、そっちがエィン」
「魔王! お前が魔王か! いやー、会いたかった会いたかった」
ワーウルフは笑顔で魔王の肩を叩こうとするが、魔王は素早くリューを盾にしてそれから逃れた。
「……あー、なに? 俺寝てる間になんかしたか?」
「獣臭いって泣いてましたね」
「けっ!」
「いやそれは仕方ないだろ。獣なんだから」
魔王に睨まれワーウルフは困った表情になり右手で頭を掻く。
「それで? 腐乱犬の名はなんという?」
「ふら……っ!? いや、おう……」
ワーウルフは喉元まで出掛かった文句を咳払いで誤魔化し、リューの影に隠れる魔王に向かって正座した。
全裸で。
「俺はハイロウ。異世界転生者だ」
「勇者か」
魔王は目の色を変えてリューの影から体を出し、奇跡の袋に手を入れる。それを見てワーウルフは慌てて両手を挙げて無害であることを示そうとする。
「待て待て、俺は仲間だ!」
「……詳しく」
「詳しくぅ? いや、ちょっと待ってくれ」
ワーウルフは顎に手を当ててしばらく唸り、
「俺は生前、病弱だった。しかしそんな俺を大事に育ててくれた――」
ワーウルフは病弱故に仲間や大切な人を守れなかったことを悔い、多くの者を守ることが出来る体を手に入れるために異世界転生した。その際、武術チートを獲得している。
という旨の話をワーウルフは二時間かけて魔王に話して聞かせた。
「多くの者を守りたいのに道場破りすんのな」
「道場破りぃ? ……ああ、あれは武術を教えてたんだ。教えるにはまず実力を見せないとだろ?」
「へえ」
魔王はいい加減な返事と共に頷いた。
「じゃあ連盟軍に喧嘩吹っ掛けているっていうのは?」
「魔物だからって殺されそうになったから半分ずつくらい病院送りにした時のことだと思う」
「怖っ! え、なに? 一人でやったの?」
「まあ。今は東西連盟軍で近接格闘の師範やってる」
「その体臭で?」
「仕事前は風呂入るよ」
魔王は懐疑の視線をワーウルフに向けるが、諦めたように溜め息を吐き、奇跡の袋に入れていた手を出す。
その手には金の盃が握られていた。
「それで? 俺の仲間だってのは?」
「転生する前にヘイルウェイから聞いたんだ。この世界に平和をもたらす魔王が現れるってな。その時のためにこの城守っとけって言われたけど、次の瞬間俺は母親に産まれた赤ん坊でさ、いやあ、流石は神様、無茶もいいところだよな。がはは!」
「それ説明になってる?」
「あー、とにかく、この城は今日から魔王様のものってことだよ」
「あ、そう」
「いやいや」
あまりにも淡白な魔王の返事にワーウルフはがくりと肩を落とす。
「嬉しくなさそうだな? 城がないと魔王らしくないだろ? 確かこの世界には魔王城なんてものなかったよな?」
「そうだけど、俺は城を守ってくれる部下も欲しいんだ」
そう言って、魔王は金の盃をワーウルフに投げ渡す。ワーウルフは左手でそれを受け取り、珍しそうに金の盃を眺める。
「これは?」
「ハイロウは俺の部下ってことでいいんだよな? だから、それをやるよ。望めば無限に酒が湧き出る盃だ」
「……酒は呑まねえんだけど」
「じゃあ飾っとけ。一応宝なんだから、丁寧に扱えよ?」
「わかってるよ」
ワーウルフは盃を両手で持ち、魔王に向けて深く頭を下げた。突然のことに魔王は困惑の表情を露にする。
「世界に平和をもたらすというその道は長く険しいものとなることでしょう。しかし、その輝かしい志が続く限り、このハイロウは全力で魔王様を支える覚悟でございます。どうか、この世界に偽りなき秩序がもたらされんことを」
「……ふん」
魔王は取り繕った態度で尊大そうに鼻を鳴らして笑う。
「俺は別に、誰かのために魔王やるつもりはないけどな」
「ほーう? ては、なんのために魔王などと名乗っているのだ?」
魔王は左足を半歩引いて吸血鬼に振り向き、物分かりが悪い者に至極当たり前のことを教える表情で口を開く。
「魔王辞めるため」
「ところで、ロウエンはなんで喋れんの?」
「練習した」
「そう」
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