サーカスのユリシス

 その子供は――イヴァンと同じくらいの年代の――使用人用の簡易キッチンの窓から侵入してきた。

 緑の髪を、ポニーテールに高く結い上げて、手足は長く、背の高さはイヴァンと同じくらい。

 そこで薪を用いてフライパンをいじっていたイヴァンは、目を白黒した。

「キミ、だあれ?」

「ボク? ボクはね――ユーリ。ユリシスっていうんだ」

 外見は目が大きくて、こぼれ落ちそうなほど。青い瞳のユリシス。

「ユーリ? ボクはイヴァン。キミ、どこからはいってくるの……」

「ごめん、お屋敷が広くて。庭から失礼したよ。どこが入り口か、わからなかったんだよ」

「げんかんは、いりぐちからまっしょうめんにあるんだ」

「そっか、でもボクは気後れしちゃうな。裏口からおじゃましようと思ったんだけど」

「そうなの。でもキミ、かわったかっこうをしているね……」

 言いかけたそのとき、ホットケーキの種がもうもうと煙を立て、使用人たちに気づかれてしまった。

『げほっ。ぼ、坊ちゃま危ない!』

 すみやかにフライパンに水を噴射したパーチは、なんだかんだ言って、頼りになる。

 ……どこから噴射したのかはおいておいて。かまどから床までびしょぬれになった。

『大丈夫でしたか? お怪我はありませんか?』

「あっ、パーチ!」

 パーチがあわてて無事を確かめると、それ以上に元気な声で、イヴァンが呼ばわった。

「いまね、いま――ユーリってこがね……あれっ」

 イヴァンがパーチにかまわれてる間に、その子供はいなくなってしまった。

 あとには赤や青の印刷文字が書かれた紙が一枚、テーブルに乗っていた。

『どうしたんだ? パーチ。なんだこのきな臭い気体は』

『坊ちゃまが、お一人で料理をなさろうとしてらしたようで』

『いけません、坊ちゃまにおかれましては、こういうことをなされては……おやつをご所望でしたら使用人におっしゃってください』

「マオに、ホットケーキを、おいしいホットケーキをつくってあげたかったんだ……」

 ラッドとパーチは一瞬目を合わせると、お互いに頷いた。

『なんておやさしいのでしょうか。坊ちゃまに仕えてはや三年。使用人にいたるまでそのご人徳に涙しないものはおりません……』

『しかし、坊ちゃま、料理には経験と研究がモノをいいます。どうぞシェフの仕事を無くさないでいただきたいのです』

「……もう、いい……」

 イヴァンはがっかりして、キッチンを出て行った。

『これ、どうするね』

『後始末は任せた』

『ラッド、おまえはさぼってばっかりだな』

『冗談、おまえの仕事をとっといてやってるんだ。第一発見者のおまえがやれ』

『ふんがッ』


「ねえ、マオ。まちのひとってまどからはいってきたり、でてったりするの?」

「? それは一般的ではありませんが、随分とお行儀がよくない御仁ですね」

「そっかー。でもかわいかった……」

「坊ちゃま、素行のよろしくない人物と関わり合いにならぬ方がいいかと思います」

「でも、かわいかったんだ」

「察するに、リリスさまのご友人ですか」

 イヴァンは首をかしげて考えている。

 リリスの友人? まさか、そんなわけはないか。

「んー、んん。わかんない」

「パーチが、休憩室が泥だらけになったと嘆いておりました。お友達なのでしたら、玄関からおいで願いたいたいですな。それにしても、イヴァンさまはあそこでなにをなすっていらしたので?」

 イヴァンの顔がこわばった。

「ん。なんでもない!」

「最近、秘密が多くおなりですね。ダメですよ。パーチから聞いております。逐一、報告させておりますからね」

 イヴァンはカチコチに固まっている。

 そのままダッシュすると、自室に引きこもった。

「坊ちゃま?」

 それでも魔王は入ってくる。

 鍵のかからない子供部屋だ。

 そうすることは容易かつ自然なことであった。

 魔王が中を見ると、小さな背中が震えている。

「坊ちゃま、なにをお泣きあそばすのです? 陽も高いというのに、こんなところへ閉じこもって。ますます惰弱になりたいと仰せですか?」

「うん、もういい。ボクがなにかしたとか、なにかにしっぱいしたとか、マオはぜんぶ、しってるんだもんね。どうせね、ボクのあかはじは、みんなマオはかんししてるんだもんね」

「なにを、すねてらっしゃるので?」

 それに、微妙に言葉が達者になっている。

 やはり、女子とやりとりしていると、言葉が増えやすいのだろうか。

 人間も悪魔も、異性の影響はすさまじいな。

「すねてらっしゃりなんかなさらないもん!」

 地団太を踏むイヴァン。

 おお、王者らしい自尊敬語。いいぞ、こういう勇者は初めてだ。おもしろい。

『つーか、あれ、なだめてやれよ、パーチ』

『ああうん。でもなあ、あれ微妙に時期のはずれた反抗期のように見えなくもないし……』

 部屋の前で、ラッドとパーチがこそこそうかがっていた。

「坊ちゃま、失礼をばいたします」

 魔王は、いったん部屋を出て、ちらりと目線で使用人二人を呼び寄せる。

「あ? パーチ、反抗期ってなんだ?」

『メンチ切らないでくださいよ。時期はズレているようですが、人間の子供はみんなああですよ。小さなことでかんしゃくを起こしたり、抵抗を示してみたり、中には自分の枠を越えようと、いろいろ無茶なまねをしますね』

「あ。詳しいな。時給アップするから、もっと教えろ」

 魔王は、ぐすぐすいってるイヴァンを子供部屋に放ったきり、ドアの外で腕組みをしてブツブツやった。


「街へ行きましょう。ぼっちゃま、早急にお着換えをなさってください」

 魔王の、いきなりの言葉に、開いた口のふさがらない勇者。

 今は朝。それも朝食の前。

「街のどこに行くの?」

「サーカスです」

「サーカス?」

『昨日、公営広場でチラシを配ってました。こちらです。トランポリンや、空中ブランコ、猛獣の輪くぐりなんていうのもあり、大変珍しい芸を披露するらしいですよ』

 パーチが、チラシを差し出して前のめりに言った。

「わかった。いく! いきたい」

 昨日の今日で、気まずくなるということもなく、使用人一同はイヴァンのご機嫌取りに成功した。

「たのしそうだなあ。わくわくする。リリスもさそっていい?」

「もちろんでございますとも」

「ふわあ! サーカスってどういうところかなあ!? もうじゅうは、さわってもいいの?」

「調教済みとはいえ、猛獣はおさわり禁止です」

「そっかあー。さわっちゃいけない、もうじゅうなんだね」

 やっぱり、ほのかにバカの薫りがする。

「主人がバカだと、屋敷全体がバカの集団に見えるな」

『あの、マオさま。心の声がもれてます』

 パーチが言った。


 公営広場にて。

「ずいぶんと大きな規模ですね」

「あ、露店が出てる!」

「あのたてもののなかで、もうじゅうのげいがみられるのかな!」

 イヴァンが目を輝かせて、控えの方の天幕へ行くと、見覚えのある子供がいた。

「ユーリ! ユーリがいた!」

 天幕の、くるくるっと巻き上がった入り口からユリシスが現れて、愛想をふりまいた。

「やあ、イヴァン。来てくれたんだね。うれしいよ」

 魔王はその姿をつぶさに見ていた。

 高い襟つきの赤と青の補色の上着に、ピタッとした緑のキャニオンズに、革の靴下がリボンで結び付けられていた。

「うわー、あ。ユーリがここにいるってことは。こないだうちにきたのは……」

「そ、宣伝だよ。イヴァンのお父様は、ここら一帯の領主だろ? お留守みたいだったけれど」

 いいながら、緑の髪をかき上げて、ポニーテールをつくっている。

「うん。いまはおとうさまはとちをしらべているんだ。それよりさ、てことはさ、ユーリはサーカス、でるの?」

「うん。出し物はなんといっても、瞬間移動。楽しみにしててね」

「うわー、うわー! すごいなー。ね、マオ!」

「え、ああ、そうでございますね」

 魔王はろくな反応を返さない。リリスがつんっとひじでつっついた。

「なによ、面白くないの?」

「別に」

「別にってなによ!? マオ、ちょっと態度が悪いわよ! せっかくサーカスが見られるんだから、興奮とかしないの?」

「慣れておりますので」

 しれっとしていうと、リリスは何かに思い当たったよう。

「しつこいわね! 魔法実験はやめたって言ってるでしょ」

 耳元でがなるな!

「失礼いたしました。しかし、外ではなにが起こるかわかりませんゆえ」

「ふーん、それで執事らしくしてるのか……」

 執事らしくもなにも、ここまで無防備な勇者を放っておけるか!

「こちらの裏手側に、猛獣の檻があるようですね。拝見しても、ようございますか?」

「あ、うん! 団長に確かめてくるよ」

「私めも同道してよろしゅうございますか?」

「いいよ!」

 ユーリは、はきはきと言って、大股で天幕の間を闊歩していく。

「は。これは……」

「なかよくしてな?」

 檻の中のソレは、触手のような脚と、するどい牙をもっていた。

 まるでサボテンのような肌でずんぐりとしており、のたあっと横たわっていた。

 大きさは……ざっと大人一人分ぐらい。

「失礼ですが、はて。これは……一体、なんの種類の生き物ですか?」

「魔獣もどきだよ。最近北の山ふきんで発見されて、しつけた。頭がいいんだ。この姿は、砂漠のワームに似ているらしいね」

「なるほど」

 共食いで知性をそなえたやつか。

 しかし人間の手にあまるものだ。暴れ出してもいけない。ここで始末するか……。

 考えていると、ユーリ、準備して、という女性の声が聞こえてきた。

「あ、もうすぐ開園だ。ボク行くね」

 言って、ユーリはさっと身をひるがえす。

「マオ! マオー!」

「坊ちゃま!?」

 魔王はぎくぎくっとする。

 なぜイヴァンがここに!?

「どうなさいましたか?」

「わかんない! わかんないけど、こちらにこなきゃって、だれかによばれたきがしたんだあ」

「呼ばれた……って、リリスさまではないのですし、坊ちゃまがごらんになっても、面白いものとは限りませんよ」

「でも、やんなきゃあ、いけないきがしたんだ」

「そんな、一体、なにをなさいます! あっ」

 みれば、イヴァンは檻の出入り口に手をかけて、こちらを見ていた。

 これまでにない――不安や怯えのない良い目をしていた。

 そのままくるっと魔王に背をむけて、檻の中へ滑りこんだ。

 施錠もしていないのか!

 魔獣もどき――と、人間は言っているが、正真正銘、魔獣だ。

 しかも知性を持っている。目の前のものが気に入らなければ襲いかかってくる相手だ。

 その檻の中に、イヴァンが!

「坊ちゃま!」

 声が裏返るほど、緊張し――それは、イヴァンのそれは、普通の人間ではありえない行動で、普通はするはずのないことだったから。

 しかし、イヴァンは……魔獣を一目見るなり、話しかけた。

「せまくない?」

 魔獣はあたりまえだと言わんばかりに、抗議の声をあげた。

 いや、声にはなっていないが、超音波のようなもので意思を伝えようとしたのかもしれない。

 魔王はそれを聞くや、魔法を展開しようとした。

 イヴァンは、首をかしげて、

「じゃあ、どうしてここにとじこめられているの? キミのおうちはどこなの?」

 魔獣はイヴァンと同じく首をかしげて、疑問符を頭に浮かべている。

 魔王はその危うい行動に、胸の底がひやっとした。

 思わず波動を使って魔獣の息の根を止めようと、手を突き出し、魔力で粉々にするところだった。

 だが、できることなら、早急に手を打つべきだったのだろう。

 魔獣はイヴァンを押しのけると、檻から出て、地へもぐり、ぼこぼこと土を盛りあげながら逃げてしまったのだ。

 出し物をする天幕から悲鳴が聞こえた。

「ち。イヴァンさまはラッドたちといてください! 見て参ります」

 魔王が盛り上がった地面の跡をたどっていくと、他の天幕が崩れ落ちていた。

「大丈夫ですか!?」

 声かけをすると、崩れた天幕がわっさわっさとうごめき、またもりもりと土が盛り上がって、ひときわ大きな天幕の方へと向かった。

 その天幕の中では、サーカスの出し物の準備が行われていたが、客席をふっとばしてむかってくるそれに、団員たちは異様な興奮に包まれた。

 ユーリだけが、こぼれそうに大きな丸い目で、なりゆきを見守っていた。

 サーカスは延期になった。

 救いはけが人がでなかったことだ。

 人は財産、という団長に不服を唱える者は、初めからこのサーカスにはいない。

「いまごろ、魔獣もどきも自由の空の下で、生を満喫しているのかもしれないな」

 にこにこして言い放つ団長に、みんなくすりと笑った。

 だけども、やっぱりユーリだけが上の空。

 どこで死ぬつもり? ユーリは聞きたい。

 ボクのいない、どこで……と。

 ユーリはいにしえの魔王だった。

 いまはちょうど、勇者が転生してくるまでの小休止中。

 もちろん、魔獣もどきが本物の魔獣であることくらいは知っている。

 知恵をつけた魔獣は、不幸になる。

 人間の言葉を理解するうちに、様々なしがらみがあること、また、魔獣自身には目をかけるものなどないことを、知ってしまう。

 何も知らずに魔獣同士、共食いをしていた頃が、はるかに懐かしく、なお世の中での己の小ささを知ることになる。

 人間のルールでは魔獣を裁けない。

 魔獣も、いくらひどい目にあわされようと、どんな危害を加えられようと、人間を訴えられない。

 だから、今度は人間の姿になって、人間界を支配しようとする――それが魔王の卵を産む。

 ――その卵が、魔王の正体である。

 

「ね、マオ。魔獣狩りに行こうか」

「ユーリ、さま?」

「やだなあ、ボクにまでかしこまらないで。知っているんでしょう? ボクだって馬鹿じゃない。キミをおいてなんか行かないよ」

「は、それではあなたは――」

「そ。魔王さ」

「――貴様、たばかる気か。今生の勇者は一人きりだ……」

「あ――あ、それね。いつものことなんだよね。うちの勇者、遅刻気味でさ。もう三十年くらい。でもここいらへんに来た魔王はボクだけじゃないよね? 蝕のとき見てたし」

「そちらの方はすでに片がついている」

「へえ、もしかして勇者に手をかした魔王ってマオのこと? ボクには考えられないなあ」

「……」

「フフッ。まあね、そうでなきゃ。これでもボクは面白いことが好きなのさ。自分のではない勇者に肩入れして、他の魔王を倒しちゃうなんて、マオ、いかしてるよね。ハハッ」

「伊達や酔狂で魔王を演じているわけではないのだ。そんなこともある」

「演じている……かあ。他の魔王がテリトリーに入ってくるのが気にくわないっていうの?」

 それもある、魔王は思った。

 しかし、今はそんなことで時間をつぶされてはかなわない。

「すべての魔物と魔獣は勇者を襲う――殺さないといけないよね。自分の勇者をやられる前にさ」

「そんな事例もあったかもしれないな」

「つれないね。そこまで勇者を信じてるの?」

「貴様に応える義理はない」

「へーえ。じゃあ、魔獣殺しの弁明はどうするわけ?」

「だれがそんなものにつきあうと言った?」

「えー? でも、本当にいいの? 力をつけた魔獣は特におそろしいよー? しかも腹が減っている。今なら都一つ、丸のみにしちゃうかも。勇者なら放っておかない。まあ、まず、止めにくるよね」

「あいにくだが……私の勇者は覚醒していない。これからもだ」

「まるで恋人みたいに言うよね。どうりで落ちついているわけだ。そんじゃ、憂鬱だけど一人で行くよ」

「気をつけろ」

「人間臭い魔王だな、マオ」

「……油断するなと言っただけだ」

「余計なお世話だよ、まったく! でもまあ、そんなとこが面白いけどね。フフッ」

 ユーリ――ユリシスは北へと進路をとり、魔獣のもとへ飛んで行った。

「あ、覚醒する前の勇者って、誰のことなのか、聞いておくのを忘れちゃったな」

 雲の上から街並みを見て、ふと、そんなことを気にする自分に笑ってしまう。

 だって――そうだ、そんなことをきいても、誰が誰の勇者でも、ひとまとめにやっつけてしまうのに変わりはないのだから。

「楽しいね。世の中には謎があるほうが、何倍もうれしいよ。ああ――生きてるって感じがするね!」

 正直、ここまで突きぬけて生を謳歌している魔王は珍しい。

 マオも、ちょっとぐらいは見習ってもいいかもしれない。

 ところが、マオの主人は――イヴァンは、ほんのりおバカだ。

 面倒を見ていると、こちらまでアホになりそうで、やってられない。

 やってられないのだけれども、それでも。

 それでも……前世において、魔王の興味を惹きつけたのは、やはり彼だったから。

 これは前世からの因縁、そのほかの力はなんの役にも立たないのに違いなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る