最弱の勇者

「うわーっ、マオ――マオー!」

 またか。

「どうなすったのです、イヴァン坊ちゃま」

「リリスがいたいボールをなげつけてくるよー」

「はい?」

 痛いボールとはなんだ? トゲでもついているのか? 当たると痛い、の間違いじゃないのか?

「えっく、えっく……おっきくて、おもたくて、しんじゃうボールをぶっつけてくるんだあ」

「しんじゃうボールですか。それは大変ですね」

 イヴァンの言うとおりに、庭先に出てみたら、リリスが、額と足をもっててんつく、頭と同じくらいの革のボールを、いとも軽々と、操っていた。

 ああ。あれは、投げつけられたら痛いな。

 少なくとも、イヴァンには。

「おーい、イーヴァ! 早くおいでよー!」

 屈託もけれんみもなく、ボールを操りながら呼びかけてくる。

 てん、てん、てん……、

 そんなに大事おおごとにすることもないだろう。

 魔王はリリスに声をかけて、ボールを貸してもらい、イヴァンに向けてやさしくほうった。

 てんっ。

「あうっ」

 頭でっかちな六歳児は額にボールを受けて、バランスを崩して後ろへひっくり返った。

 ――今ので!?

 イヴァンは泣いてしまった。

 自分で起き上がることすらない。

「ご無事でしたか、坊ちゃま」

「ふっく、えっく……えほん、えほほんっ。うえー、えっえっ」

 仕方なく抱き起すと、イヴァンは弱弱しく首を振って、しゃくりあげている。

 まさかな。

 思って、ボールをイヴァンに渡し、放るように言ってみた。

「……えいっ」

 ぽて。

 ボールは地を這うように転がり――もしなかった。

 そのまま魔王のところまで届かず、所在なげに止まったきりだ。

「ご冗談でしょう?」

 つい、口がすべってしまった。

 いや、半ば素が出てしまった。

 勇者ときたらば、どいつもこいつも万力の持ち主で、どんな武器も使いこなす――そんな手合いばかりだった。

「うわーん!」

 顔中ひな鳥のように口を大きくあいて、イヴァンは泣きじゃくった。

「初めてだから、きっと要領がのみこめていないのでしょう。さ、もう一度マオにほうってみてくださいませ、坊ちゃま」

 努力はしたが、結果は同じだった。

 うん……この年ごろの人間の子供はこうなのかな? リリスは規格外として……サンプルがほしいな。

 あとでラッドかパーチに聞いてみよう。

 そう思っていたとき、リリスが――よりによって、余計な一言を言い放つ。

惰弱だじゃくなのよ。鍛えてないから」

 だから、おまえはっ。

「と――特訓をしましょう。痛くて死んじゃうボールを克服する。これは坊ちゃまの将来にかかわる大事です」

「とっくん……?」

「もちろん、このマオ、手加減は致しません。ついてこられますかな?」

 うんと言え。

 だが、この惰弱だじゃくな勇者は、またべそをかきはじめ、顔中ひっかきまわしてわめく。

「いたいよー、こわいよー、しんじゃうのやだーっ」

 なんと正直な。

「わかりました。ではもっと、軽くて痛くないボールで練習しましょう。それなら、こわくないでしょう……?」

「……うん」

 魔王は夜なべをして、毛糸玉でボールを数個、作った。

 軽くて、ふわふわしている。

 これなら、イヴァンもうまく受け止められるだろう。

 身体で憶えたことは一生忘れない。

 だから、なるべく多くの経験をさせてやりたかった――できれば普通の、経験を。

 しかし、それは甘かった。

 毛糸がほどけて、ひっからまってイヴァンは泣いてしまったのだ。

「坊ちゃま、申し訳ございません。マオが悪うございました!」

 だがもう、どうしたらいいのだ。

『海綿を使ってはいかがです?』

「海綿……」

『はい、ヘチマなどからとれます』

 魔王はさっそくヘチマを取り寄せ、ボールをつくった。

 大変だった。

 丸くきれいに削るのが、とくに。

「わーい」

 イヴァンはボールの使い方を憶えられたようだ。

「楽しいですか。よかったですね、坊ちゃま」

「うん!」

 やれやれだ、と思った矢先、一難去ってまた一難。

 リリスが表でのかけっこを奨励し始めた。

「さっ、イーヴァ、いくわよ!」 

 眉根をよせて庭先に座っている、イヴァンの襟首をぐいぐいと締めあげている。

「鬼ですか、あなたは」

「あら、足が強いと、いろいろいいことずくめよ? 高いところにジャンプしたり、木登りできたり、断崖絶壁をよじ登ったり」

「坊ちゃまは、そのような蛮行はなさいません」

「じゃあ、いざってときにはマオが助けてあげるっての? バカにしないでよ。憶えてるよ。泳げもしないイーヴァを小舟から落として、あなたはなにもしなかった」

 できなかったのだ! まさか水面を歩けもしないなんて思わなかった。

「あれはあなたへの貸し。イーヴァにじゃない。きっちり支払ってもらうから」

 なんと重い借りを貸しつけてくれたのだ、リリスめ!

「そこはにっこり笑って、ありがとうございますリリスさま、この借りはきっとお返しいたします、っていうとこだよ」

「なんて気持ちの悪いことを強いるんだ、おまえは」

「おまえ? 執事ごときが、主人の友達をおまえって呼ぶの!?」

 いちいち角を生やすな、馬鹿者!

「記憶を失っていただきましょう……」

「ちょっと、聞いてるの? 呪おうったってだめ。もと勇者レベルに、魔王ごとき呪いがきくもんか!」

「ち。やっかいな客人だ……」

「ちょっ、心の声がダダモレ! 取り繕いなさいよ、少しは! もおーっ」

「ねえ! まおうっていった? いま。リリス……」

 こういうときだけ、耳聡みみざといイヴァン。

「さすが坊ちゃん、ナイスでございます」

 おかげでリリスが黙った。

 かわりに突き刺すような視線を感じたが、ノーダメージだ。

「……もういい。あっちへ行きましょ。かけっこは二人のときに……」

「んう? うん――」

 今わかった。

 イヴァンは……ほんのりバカなのだ。

 おそらく、組みすれば本物の馬鹿よりやっかいだ。

 空気のようで、疑いようのないバカ面をしていれば、まあ、周囲にだってそれはそれとわかるが、これは一見して、わかりにくいバカ。

 馬鹿は死ぬべきだ。

 しかし、よかったぞ。

 これだけほんのりしていれば、周囲の目をごまかして、傀儡にできる。

 勇者を傀儡にすれば、世の中ほんのましな部分だけを見せて自分は思うままに、好きにできる。

「ふっふははは! はーははは!」

 うまくいったぞ……。

 魔王は当初の目的を忘却の彼方へやり、みずからの幸福な未来へと思いをはせた。

 そこにいるのは、ほんのりおバカなイヴァンと自分の姿。

 いまや、まるっきり正反対の欲望をかもしていた。

 おまえが悪いのだイヴァン、おまえが、アホだから。

 時間はくったが、これで世界の征服を果たせる! 魔王としての、本懐を遂げられる。

 イヴァンのバカのおかげでな。

「ねえマオ、イヴァンがおもらしした――」

「ラッド、御着替えをお持ちしろ」

 じーっ。

 なにやら視線を感じて目を配ると、リリスが口をへの字にして見つめていた。

「どうかなさいましたか?」

「……やっぱりいいや。子は親に似るっていうしね」

「?」

 魔王は思わずスマイル、アンドスマイル。

 どういう意味だ。

 子は親に似るって。

 だれが子でだれが親だ? あとでラッドかパーチに聞いておこう。

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