魔王執事! 誕生



 勇者は安定した環境で育てられなければならない。

 が、その地の、一代で財を築き、また子供のない名誉貴族のもとを訪ね、勇者をその一族たらしめたのは――しかも、勇者を覚醒させてしまう恐れのある魔法を使って――そこまでしたのは、ただそれだけが目的ではなかった。

 食べるものにも、着衣にも、住みかにも困らなければ、あれほど猛々しい気性には育たなかったはず。

 まあ、金持ち喧嘩せずというしな。

 ほとんど、ならず者だった勇者を、今生においては覚醒させないまま、安穏とした暮らしをさせ続ければ、脅威にはなるまいと考えた。

 その思惑は当たった。

 今生の勇者は、どこかポヤンとしている。

 しゃべるようになったらなったで、

「あはははは! はるだなあ! あはははは!」

 ひとりではしゃいでいる。

「火ネズミ、あれはどうしたことだろう」

 魔王は、家令頭に身をやつして勇者――イヴァンを見ていた。

「普通の子供はあんなものですよ」

「わからんな」

「魔王さまはお一人で強くなられた、偉大なお方ですから」

「なんだ? どういう意味だ」

「人間の子供、などという脆弱極まりない存在が、理解できないとおっしゃるのでしょう」

「理解はできない。しかしどうにかならないか。アホっぽくて頭がおかしくなりそうだ」

「おそれながら、あれがれいの勇者であるのならば、放っておいても知恵をつけまする」

「まずいな、それでは最終決戦が近いということではないか」

「どうぞ、普通の子供として接しておやりなされ。覚醒せぬままに、愚鈍に」

「なるほど……な」

 愚鈍に育てるか。

「イーヴァはゆうしゃのころもらーい!」

 イヴァンは、ハラハラと白い花びらが舞い散る、おぼろげな景色ふうけいの中で――池の桟橋近く、夢中になってクルクル回っていた。

「!」

 勇者? ゆうしゃと言ったのに違いないか?

 魔王は素早く池に向かって言い放った。

「パーチ、ラッド、言葉の出所を」

 パーチ、ラッドは池の魚。

『あのう、ご近所のノーチラスさまが、そのう』

「なんだ、早く言え」

『いえね、イヴァンぼっちゃんを「ゆうりょくしゃの子供」と呼ぶ向きがあるようで……』

「それで?」

『赤ん坊ですから、意味のない言葉を話すこともあります』

「しかしたしかに、勇者と言ったぞ!?」

『赤ちゃんは、舌ったらずなんで、うまく発音できないんですよ。「ゆうーりょくしゃの子供」「ゆうーしゃの子供」。ほらね』

「ほう」 

 それで自分の名前も訛るわけだ。

『あれでも、イヴァン坊ちゃまは言葉がはやく、耳にした単語を言いまくってます』

『が、言葉の意味は、わかっていらっしゃらないのではと』

「わからんな」

『『は?』』

「私には、古い言葉しか知識にない。普通の赤ん坊が、どうやってしゃべっておるのか、見当もつかん」

『赤ん坊に古代語は通用しないのではないかと』

『ああ! おそれながら、そのように口の中を探られても……』

「おえ!」

「何か白いものを吐き出したが」

『ああ、ああ。いえ。人間の赤ん坊は、吐く生き物ですゆえ……』

「ふうむ。どういうしかけだ?」

 バタバタと、乳母がやってきた。

「イヴァンさま」

 魔王の手からイヴァンを奪い取ると、すぐにお乳を出した。

 ほう。魔獣のように生母を喰らうのではないのか。

 魔王は、勇者も機械仕掛けのようにできているのでは、ないのだな、と感心。

 しかし、真剣になって見つめていると、

「あまりまじまじと見つめないでくださいな、マオさま」

 乳母に言われてしまった。

 すぐに、顔つきを改める魔王。

 しかし、気になる。

 乳母から取り上げた。

「かせ。私がやる」

「ええ!?」

「なんだ、不満か」

『『ま、魔王さまッ』』

 池で、ラッドとパーチがヒレをビチビチいわせてとびはねた。

「まあ、ご冗談を」

「ふん?」

『魔王さま、おそれながら、人間はメスの乳しか受けつけません!』

『山羊でも牛でも、メスからしか乳をもらわないでしょう!?』

「そうなのか……」

 つまらなそうに言って、イヴァンを乳母に――彼女の実の息子ではないが、一応、返した。

「落っことすなよ」

「くす」

 乳母が笑った。

「なんだ?」

「いえ。マオさま、イヴァンさまをかまいたくて仕方がないのですね」

「……そういうふうに見えるのか」

「はい」

「ふん、まあいい」

 なにがいいのか、明かさない。

 魔王にとって、勇者の飼育はどうでもいいことだった。いや――言葉を改めれば、未知のことだった。

「子供は大人のミニチュアだと思っていた」

 それが、なんとも、はや。

「意思疎通もままならないとは。つまらん」

 魔王の民は、魔獣。

 生まれてからすぐに独り立ちする。

 不思議そうな顔をして去る、乳母の背中にむかって魔王はぽつり。

「はやく、大きくなれよ」

 はやく大きくなれば、それだけ戦いのときは近づくのだけれど……。

 真昼の月をみやって、魔王はため息のように言った。

「おまえとは、話したいことが山ほどあるぞ……勇者」

 そのとき、

「あいー!」

 応えるように、イヴァンの笑い声が聞こえた。

 魔王ははっとして、胸を突かれたように服の前をつかんだ。

「……錯覚か。勇者。これは」

 ――ゆらっ。

 魔王の姿がまたもかしいだ。

 脳髄がちりつく。

 これは……偶然か!?

 この自我も芽生えぬ赤ん坊に、そんな芸当ができるのか?

 ラッドもパーチも、イヴァンは言葉の意味すらわかっていないと言った。

 しかし、私の言葉が伝わったのか……?

 魔王はフラットな感情をまたくるわせた。

「おまえの成長を見届けよう。今度こそ、おまえの言葉で聞きたい」

 勇者の望みがどのようなものであるのか。

 なにを目指して戦い続けるのか。

 ――もっともイヴァンに前世の記憶はない。

 今はもう俗世からも遠ざけてやった。

 そんなおまえが一体、なにをして宿命としよう。

 わからないからこそ、私はおまえを知りたいのかもしれない。

 さあ、おまえの世界のぞみをみせてくれ。

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