沿道から外れて、いざ祭りの中へ進め
生きていれば悩みは絶えないもので、だからといってしょうがないと諦めることも出来ない。
それが人生といえばそうなのですけれども、着実に心は病んでいくものです。
他人から見れば『どうしてそんなに?』と思うことも勿論ある。
だからこそ他人の何気ない一言で解決…とは言わないまでも気づかなかったことに気づくこともある。
そんなことがつい先日、ありました。
それは仕事の帰り道、いつものように後輩君(昔、あんたいつも目が笑ってなくて怖いんだよと言った人)と仕事の愚痴を言い合っていたときのこと。
僕 『最近創る物がマンネリになっているんだよね』
後輩君 『はあ、そうなんですか』
僕 『なんか同じことを似たような言葉で書いてるだけな気がするんだよ』
後輩君 『はあ…』
僕 『一応、創作の足しになると思ってアングラやマイナーなイベントとかには行ってるんだけどね』
後輩君 『…………』
それを聞いた後輩君、ジッと僕の顔を見る。
僕 『うん? なに?』
後輩君 『前から思ってたんですけど、創作の為にそういうアレなイベントにもよく行くんですよね?』
僕 『ああ、まあね』
後輩君 『話聞くたんびに思うんですけど、いつも話す内容が突き放してるっていうか他人事っていうんですかね?なんか観察者視点で話してるように見えるんですよね』
僕 『……? いやそりゃ当た…り…前…あれ?』
後輩君 『創作の為に行くっていうのなら、参加者の人達と交流とかしてるんですか?』
僕 『いや…だって俺、人見知りだし…』
後輩君 『でもあくまで自分だけの視点で見てるだけだったら、そういうところに行く人達の気持ちは理解できないですよね?』
僕 『ああ、まあ…ね…うん?』
後輩君 『そうやって自分だけの視点だけで見てたら、そういうイベントに行く人と自分の視点の差に気づかないですよね』
僕 『……? あっ!そうか!』
そこで気づきました。 確かに後輩君の言った通り、僕は自分の視点を広げようと思っていました。
だがしかし、それはあくまでただそれを見ているだけ。
つまり祭りで言えば、神輿を担ぎながらエイヤ! コラサ! と楽しげに祭りをしている人を見ているだけで、僕は沿道でそれをただ見ているだけでしかなかったのです。
ただ見ているだけ。
その楽しさも激しさもどうして神輿を担いでいるのか? ということをすっぽり見落としていた。
勿論、見てはいました。 ただ見ているだけだったのです。
そして『楽しさ』『激しさ』そして『神輿を担ぐ理由』をあくまで自分から見た視点だけで考えていた。
想像することは創造することで大事ではあるのですが、ただ同じ場所から見てるだけではいつまでも気づけないこともある。
こう書けば当たり前と思うでしょうが、当たり前だからこそ中々に気づきにくい。
僕 『つまり見てるだけじゃなくて、会話をして、参加してみて自分との違いを理解する。そしてその差異というか揺らぎを知る。…そのギャップを組み合わせて新しいキャラが生まれるってわけだね?』
後輩君、ニヤリと笑って頷いた。
その後の会話はもはや蛇足なので記述しません。
だが決して短くはない会話の後に僕達は家路につきました。
もちろん、それで全てが解決するわけじゃない。 気づいたとて、実践することもまた難しいでしょう。
それでも僕は気づくことが出来ました。
ただ部屋にこもって、キーボードをカタカタするだけでは気づかないことに、あらためて気づいたのです。
そして次にどこへ向かうのかはわかりませんが、もう沿道でただ突っ立って祭りを見てるだけではなくて、勇気を振り絞って祭りの中心部へと向かうことでしょう。
そして新しい創造の世界を想像するのです。
悩みは決して途絶えることはないでしょうが、それでも塞ぎこんでいた心に僅かですが明るく爽やかな風が吹いた日でございました。
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