限りなく事故に近い自殺未遂
創作をするうえで一番楽しいことは何だろうか?
色々あるだろうが、自分の答えとしては材料として十分にそろったアイディアと場面ををああでもない、こうでもないと組み立てながら少しずつ完成させていくことだ。
では一番辛いことはなんだろうか?
これについてはある程度は絞られると思う。
これもまた自分の答えを言うのならアイディアが一つも浮かばないことだ。
創作者にとってこれほど辛いことはないんじゃないでしょうか?
時間もある。 気力もある。 ただ書けないだけ
ただ呆然と座っているだけ。
目の前には白い画面と急かすように点滅するカーソルだけがあって「まだか?」「おい、まだか?」と言われているような。
そしてそれがいつ終わり、次が出てくるのかは誰もわからない。
もしかしたら本当に二度と現れないかも。
自分の脳内だからこそ、それは見えない。
いつ出てくるかもわからない
だからこそ焦る。
やる気はあるのにいつまでもとっかかりがつかめないで、時間だけが無為にすぎていく。
あの焦燥感だけはどうしても慣れることはないのだ。
その日もまたそういう状況だった。
キーボードの上に置かれた指はぴくりとも動かず、瞳だけはせわしなくつむったり開いたりしていて落ち着きがない。
頭の中では考えたことが結びつかず、単発の考えだけが浮かんでは消えていく。
それもやがては枯渇して、ただ今までにあったムカつくことや悲しいことだけをリフレインするだけになっている。
こういうことは今まで何回もあったし、過去最悪という程でもない。
だがそれでも何も浮かばないという状況だけがぎりぎりと胃のあたりに違和感を与えている。
気分を変えようと外に出る。
今までもこういうときは様々なことをしてきた。
散歩に出たり、コーヒーを飲んだり、音楽を聴いたりのような当たり前のこと。
ちなみに前記の行為はこういうときにはまず効果はなかった。
次に発想の転換というか、普段ならしないことやある種の自分自身への脅迫として無茶なこと
もする。
レッドブル250mlを10本一気飲みとか、ウイスキーとレッドブル一缶を一気飲み、自室を暗くして全裸でひたすらシャドーボクシング、あるいは全身にサラダ油かけてM字開脚とかだ。
ちなみに最初のはカフェイン中毒になって震えは止まらないわ、気持ち悪くなって卒倒するわで大変だったのだがそれはそれで貴重な体験だった。
後者のは異常な状況、行動をしてそれを客観的に見るというのは物語の視点を変えて考えてみるという意味では効果的だった。
これ以外にも色々としているが、全て自分なりに理由があって行動してきた。
発想やマンネリを変えることに正解は無い。
一見無意味に思えることでも意味を見いだすことがある。
もっとも一番の方法はおもしろい物語やすばらしい音楽で感情が大きく揺り動かされるのがベストなのは間違いない。
そういったものは中々無い…あたりまえといえばあたりまえだけれど。
自分は夜の川沿いをふらふらと歩く。
落ち込みきったときの世界はより暗くて、身体も頭も重い。
まあそういう風になることは最近は無いし、今回もそれほどじゃない。
身体の調子自体は悪くはないから、歩き続けているうちにわずかに汗ばんできて、血液の循環が速くなっているのを感じる。
けれどやはり何も浮かばない。
橋にたどり着いたところで歩き疲れたので欄干に背中を預けてしばし考えてみた。
夜空は晴れ、楕円の月を見上げれば遠くに見える幹線道路を流れる車のライトが満天の星空のように周囲を照らしていた。
音は遠く静かで、さらさらとした川の流れだけが心地よく耳に入る。
ふと身体を入れ替えて視線を下げる。
目が慣れたせいだろうか?
それとも意外に明るい月のおかげか鬱蒼と茂った両岸の雑草を分かつように流れる水面がさらさらと揺れていた。
わずかに流れる少し冷たい風が火照ってきた頬に気持ちよく撫でていく。
ぼうっと橋の下を覗いていたらふと、川に入ってみようという考えが浮かぶ。
それはマンネリにあきたからが故の逃避に近かったかもしれない。
それでもそのときは現状を打破するための名案に思えてきたのだ。
そっと川原に降り立つ。
冬なので岸辺はがらんと何もなくて、ただわずかにしぶとく根を生やして咲く植物だけしかない。
境目にたって慎重に流れる水面をのぞき込むと夜なのだから当然底は見えない。
だがまあ、おそらくはそう深くはないだろうと確信していた。
視線をあげて川下を見ながら、ここから入ってあの辺で岸にあがろうかと少し考える。
やがてそこから数歩下がったところで、また少し考えた。
さてどこまで脱ぐべきだろうか?
帰り道を考えればこのままザブンと入るわけには行かないだろう。
この場所から家まで二十分はかかる。
その間にパトカーの見回りに見つかれば職務質問を受けるかもしれない。
別にやましいことはないのだが、それでも痛くもない腹を探られるのは不快だ。
それに小市民な心根の自分としてはやはりそれは避けたい。
というわけでまずは来ていたコートを脱ぐことにした。
そして折り畳んでから地面にそっとおく。
次にスマホと財布をその上においた。
これはまあ当然の処置で、濡れて壊れてしまったら大変なことだし、財布はうっかり川底に落としてしまったら明日から生活をどうするのか?
次はズボンだ。 さいわいベルトで止めるような堅い素材ではないスウェットに近いタイプなのですぐに脱げた。
畳んでサイフとスマホの上に置こうとして、二つを持ってコートの上にズボンをおいた後にその上に置き直した。
何となくこういう小物類は一番上に置きたくなるものなのだ。
一応土手の上を見上げて誰か居ないかも確認する。
露出狂と勘違いされても困るしな。
まあ状況を考えればそう思われても仕方がないかもしれないが、これはあくまで自分が一歩進むために必要な行為なのだから。
むき出しになった足に直接外気がふれる。
あっという間に鳥肌がたつのを実感した。
う~、寒い。 速いとこ川に入らないと。
風邪を引くかもしれないからシャツも一枚脱いでおこうと、コートの下に来ていたシャツを一枚脱いでからまた畳んで横に置いた。
またサイフとスマホをどかしてその上に置くのがいい加減面倒くさい。
なんというか我ながら要領が悪いな~と笑った。
やがて上は肌着に下はパンツ一丁で靴を脱ぐとその場で少し準備をかねた屈伸運動をしながらまたふと考える。
やっぱりここは勢いを考えて走り込みながら飛び込むべきだろうか?
でもなあ思ったよりも浅くて川底の石とか思いっきり踏んだりとか尻穴に刺さったら痛いしな~。
ああでもこんな弱気だから俺は駄目なんだろうな、ここで飛び込むことで過去の自分と切り離して未来に進まないと一生駄目なままなんじゃないか?。
色々考えながらもとりあえず裸足でダッシュした際に踏んでしまわないよう足下の石ころをどかしながら縁までやってくる。
「うわっ!」
水面ギリギリの縁に進ませた左足が滑って川の中に入り込んだ。
その瞬間、左足に激痛が走った。
冷たいではなく痛みだけだった。
しかも左足に力が入らないのでそのまま崩れるように尻餅をついた。
反射的に両腕をつかい、また右足に力をこめて後ろにはねるように左足を水からひき抜く。
立ち上がろうとしたがうまくたてない。
左足の膝関節がスムーズに動かないからだ。
痛みはじんじんとした火傷に近い痛みで、急に冷えたことで筋肉が硬直しているのか動きはぎこちない。
尻を地面につけたままシャツとコートを着
る。
ズボンはまだ左足がぎこちないのでパンツのままだ。
その場でマッサージしつつゆっくり手で動かしていると少しずつだが感覚が戻っていってやっと動くようになってきた。
そこでズボンを土に汚しながらゴロンゴロンと転がりながらはく。
無言でズボンに付いた埃や汚れをはたきながら赤面してしまった。
誰かに見られてなくてよかった。 これは我ながら恥ずかしい。
だって中年のおっさんがパンツ一丁で騒ぎながらごろごろと地面を転がっていたのだから。
完全に通報案件だ。 また近くの小学校で不審者情報が出回ってしまうな。
その恥ずかしさですっかり気分は萎えて、今日はもうやめてまた別の日に川に飛び込むことにしよう。
そう心で呟きながら土手へとあがり家路についた。
いまだ天頂にある月から逃げるように背中を向けて歩き続ける。
そして帰り道でふと気づいた。
あれ?俺…いま何をしようとしていた?
もしあのとき左足が滑らなかったらどうなっていただろう?
わずかに入っただけで麻痺に近いくらいに動かなくなったのに、それが全身ならば当然そのまま泳げないで、そのまま流されてしまっていたんじゃないか?
というか飛び込んだ瞬間に心臓マヒで死んでいたかも。
そもそも川に飛び込むことにどんな意味があるんだ?
…いや、それは早計か。不合理なことだからこそ創作に役立つかも…でもそれで死んでたら何の意味もないだろうが!
状況を考えれば明らかに自殺に見えるだろう。
服は畳んでおいてあるし、スマホとサイフもその上に置いている。
そもそも説明しろと言われたって納得させられるわけがない。
アイディアを思いつくために冬の川に半裸で飛び込ましたが自殺ではありません?
頭がおかしいと言われても何の反論もできない。
なんで俺、あんなことをしようと思ったのだろう?
自殺願望? まったく無いとは言わないが、むしろ数年前の方が強かった。
けれど同時にこういうこともあるのかもしれないという考えもよぎる。
謎の自殺と言われている人間の中にはこ
うやって限りなく事故に近い自死というものがあるのかと気づく。
自殺とは自らの意志でそれを選ぶことだと思いこんでいた。
でもときとして自分自身ですら気づかずに死へと踏み出すこともあるのかもしれない。
何の覚悟もなく、予想もせずに当然のごとく。
そしてそれをいま自分は体験したのだ。
寒気とは違う震えが全身を走る。
だが同時に小説のネタが一つできたぞと歓喜の震えも混ぜながら自分は誰もいない川沿いの道をにやけながら帰って行った。
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