欲望会議 「超」ポリコレ会議 感想を書く
先日行ったデパーメントHで対談者の一人に感想を書くと約束したのでここに書きます。
『生き辛い世の中と正しさの中で窒息してしまいそうな人に向けた本』
会議という名の通り、それぞれ違う立場の中で話し合っている。
本書の大部分をいわゆるフェミニストに絡めて語っていて、彼ら、彼女らの情熱的な行動の源泉は自身の傷があるという指摘は的を射ていると思う。
そしてそれが自身の傷であるがゆえに攻撃的であり、反面それに気づかず正義というか正しさの名の下に行動しているからこそ、問題が根深くなっていく。
だからこそ彼ら彼女たちが譲歩することはなく、それが道徳的に正しいという常識という剣と盾により、そこまで考えてはいない普通の人はそれに徹底的に抗することが出来ない。
その指摘に対して果たしてそこまで必要なのかという疑問を持ちながらも唯々諾々と従ってしまうからこそ、ポリコレが本来の領域まで超えて社会を息苦しいものに変えていく。
人は欲望と感情の生き物である。
何をしていてもそれを含めずに行動することは出来ない。 それが悲劇であり、喜劇でもあり人が人であるゆえに素晴らしいことなのだ。
だからこそ文明を発展させていくことが出来た。
だが同時にそれが危険であることを認識していかないとかえって文化を衰退、あるいは崩壊させていき、不幸になる。
それを忘れて、あるいは無視して強引に押さえ込めば正しさだけが表面に浮き出て、見えない底でフラストレーションは溜まっていく。
そして社会が揺らいだ時にそれが爆発して心が荒廃していくだろう。
本書の中で二村氏がいっそのこと規制を決めてくれればその範囲内で自分たちは作品を作っていくと言っているが、規制を設けたところで関係者が強い信念と結束力を持って十分にゆとりを持たせられなければやがてはその規制を、抑圧された欲望がぶち壊し、その後は『何でもあり』という無法地帯になったあとに短くはない時間の後に混乱した後に落ち着くか業界自体を潰していくんじゃないかと危惧する。
人の感性が多面的で複雑である以上はガチガチに規制されていけばその中で『感性の窒息者』は増えていく。
その結果『正しくない人達』はますます底に潜って見えなくなり、孤独の中で苦しんでいき、自殺するかあるいは他者や自身を不幸にしていく。
個人的にはそうならないためには『ユーモア』で対峙していくしかないと思う。
アイロニーや風刺、自虐によって『凝り固まった感情の戦士』を相対化していき、それを見た人たちの心の視界を広げることでその範囲内で考えさせていくことで暴走に突っ込みを入れることで抑えていくしかないのではないかと愚考する。
本書はそういう点で、ますます狭くなっていく『正しさ』の中で窒息していくかもしれない人々に抗するきっかけを作る良書である。
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