52 またつまらぬものを斬ってしまいました

「俺たちお客様だから、今日と明日は泊めてくれるよね?」

「図々しい奴だな」


 いきなり訪れた俺たちに、アールフェスは呆れた顔をした。

 ここは戦の国パンテオンの特別行政区にあるアールフェスの家だ。

 ローリエともエスペランサとも違う様式で建てられた家の壁には、熊の毛皮や鹿の頭の剥製が飾ってある。


「あと、エスペランサの商会に伝手つてがあったら紹介して」


 人間の世界では、何をするにもお金がいる。

 お金稼ぎの手段を確保したい。


「なぜ僕が」


 革張りのソファーに座って、正面のアールフェスに頼む。

 アールフェスは気の進まない様子だ。

 ここは彼の自尊心に訴えてみるとしよう。


「……アールフェスは強い。それは他者を踏み台にする強さじゃなくて、弱者を助けられる心の強さだよね?!」

「あ、ああ」

「苦労してエスペランサで成り上がったアールフェスだからこそ、異国での苦境をよく知っていると思う。俺たちはアールフェスを信じてここまで来たんだ。友達を助けてくれるよね!」

「も、もちろんだ」


 ちょろい。

 首尾よく協力を取り付けて、俺はほくそ笑んだ。

 勢いで首を縦に振ってしまったアールフェスは、我に返って叫んだ。


「ちょっと待て! 僕の見返りは」


 ちっ、気付いたか。


「……一回だけ、アールフェスのために、この"天牙"を振ってあげるよ。これは剣士の約束だ」


 光栄に思いたまえ。

 俺はふんぞり返って約束した。


「暗殺でも警護でも、お好きにどうぞ」


 お金が掛からない上に俺にとっては簡単に済む約束だ。

 アールフェスは悔しそうな顔をした。


「なんでそんな自然に上から目線なんだ! 思わず納得してしまうじゃないか!」


 交渉が一段落したところで、女性が飲み物を運んできた。

 首輪を付けた獣人の女性だ。


「あっ」


 緊張していたのか、女性は俺たちのテーブルの直前で、飲み物をこぼしてしまう。コップが床に転がって床に水溜まりができた。


「……使えない奴隷だな。おい、入れ換えろ」


 アールフェスは冷たい表情で、扉の前に立っていた部下の男に指示した。入れ換えろ、という対象は飲み物ではなく、女性のことを指しているようだ。

 女性は真っ青になってガタガタ震えている。


「可哀想だよ……」


 不穏な雰囲気に気付いたティオが声を上げた。

 アールフェスはきょとんとする。


「誰がだ? 奴隷は人じゃなくて物だろう」


 衝撃を受けて黙りこんだ後に、抗議しようとしたティオの口を、俺は咄嗟にふさいだ。

 笑顔でアールフェスに断りを入れる。


「アールフェス、ティオが疲れたみたいだから、客室で休ませてくれよ」

「分かった。ゆっくり休んでいってくれ」

「むー! むがー!」


 ティオを引きずって部屋を出る。

 案内役の男が前を歩く。

 俺たちの後を、護衛のロキが無言で付いてきてる。

 兄狼は俺の足元に絡むようにして、カーペットの上を平然と歩いていた。正体を知らなければ二匹の白い犬に見えることだろう。


「……ゼフィ、なんで止めるの?!」


 案内された部屋に入るなり、ティオは俺の手を外して叫ぶ。

 俺は苦笑した。


「だって止めなかったら、ティオは殴りかかってただろ」

「当然だよ! 頭にくる!」


 ティオはプンプン怒っている。

 ロキが主をなだめた。

 

「殿下、我慢してください。外国の貴族と喧嘩すれば国際問題になります。そうなれば我らがローリエに、被害がおよぶ恐れがあるんですよ」

「分かってるけど……」


 下を向いて頬をふくらませるティオ。

 納得できないようだ。ティオは繊細なお年頃だからなー。

 俺? 俺は前世とあわせると人生経験五十年以上だからね。


「ところでフェンリルくん。商会に行って、何をするつもりなんだい?」


 ロキは途中で俺に話題を振ってくる。


「決まってるだろ。商談してものを売るのさ!」

「売るものなんて持ってたっけ?」


 俺が答えると、ロキとティオはそろって不思議そうな顔をした。

 



 その夜、俺たちはアールフェスの家に泊まらせてもらった。

 俺とティオは別室だ。ティオには護衛としてロキが付いている。

 ちなみに他の、ミカや騎士たちは街の宿屋に宿泊しているらしい。

 

「人間の家の中は息が詰まるな」


 クロス兄は苦しそうにそう言い、ウォルト兄は同意するように鼻を鳴らした。俺も他人の家で窮屈に感じている。せっかく部屋を用意してもらった手前、申し訳ないけど、こっそり外に出て眠ろうかな。


「ティオが起こしにくる時間に戻れば良いよね」


 明かりを付けずに、暗い部屋の中。

 俺はベランダに出て周囲を様子をうかがった。

 ここは二階で、目の前には庭の木が立っている。

 家主に無断で兄たんと外出しようとした時。


「……やめろおおおおおっ!」


 男の野太い悲鳴が響いた。

 ガチャンと陶器が割れる音。

 一階の一室から火の手が上がる。


「火事?」

「なんだなんだ。ここの人間は、夜になると家を燃やす習慣があるのか?」


 俺の隣で空気の匂いをかぎながら、クロス兄が言う。

 家を燃やす習慣は無いと思うよ。

 これは純然たるトラブル、事件が発生した感じだ。


「行ってみよう!」


 俺は身軽な格好で"天牙"を持つと、兄たんと一緒に二階のベランダから飛び降りた。

 風が火を煽ったのか、火事は勢いを増して燃え広がろうとしている。

 アールフェスの部下と思われる男が庭で慌てていた。何が起こっているか聞いてみよう。


「あ、あなたはアールフェスさまの客人! 危ないから下がってください」

「何が起きたんですか?」

「奴隷どもが反乱を起こしたのです!」


 なんと。

 火元の部屋から、火の付いた棒をかかげた獣人の男女数人が出てきて、興奮した様子で叫んでいる。


「私たちはモノじゃない! いい加減にしろ!」


 昼間の件がきっかけになったのかな。

 奴隷の人たちは完全に頭に血が登っているようで、物を壊したり火をつけたり、やりたい放題だ。


「何をしている。制圧しろ!」


 アールフェスが庭に現れ、部下たちを一喝する。

 部下たちは戸惑いながら剣を抜こうとしている。

 ぐるりと状況を見回して、アールフェスは俺を見ると嫌な笑みを浮かべた。


「……僕のために剣を振ってくれるという話だったな。お願いしようか」


 奴隷を殺せと言う。

 本気なのだろうか。こんなところで一回こっきりのお手伝い券を消費しようなんて、勿体ないと思わないのだろうか。


「ゼフィ……」


 いつの間にか、ティオがロキに背負われて庭に出てきていた。

 心配そうに俺を見ている。

 俺は「大丈夫だ」と教えるために、ニヤリと笑って剣を抜いた。


「分かったよ」


 火事の炎を映して深紅に輝く"天牙"の刃を……


「なに……?!」


 そのままアールフェスに突きつけた。

 奴隷ではなく自分に剣を向けられて仰天するアールフェス。

 部下の男たちも騒いで、俺に向かって剣を抜こうとする。


「静まれ!」


 俺は気合いを剣に込めて、剣気で周囲を威圧した。

 目に見えない重圧が火事の前まで広がっていく。

 アールフェスの部下だけでなく、反乱中の奴隷も動きを止めて俺を見た。


「……アールフェス。奴隷の言葉を聞いてみろよ。彼らの言葉を理解した上で、その上で彼らを殺すというなら、俺は望み通りお前の剣になってやる」


 鼻先に"天牙"を突き付けられたアールフェスは蒼白になった。

 口をパクパクと動かす。


「……あいつらは人じゃない」

「本当に? アールフェス、故郷で落ちこぼれと呼ばれたお前は、本当に落ちこぼれだったか」

「それとこれとは」

「お前を落ちこぼれと決めつけた奴らと、彼らを奴隷と決めつけるお前は、何が違う?」


 アールフェスは途方に暮れて、泣きそうな顔になった。


「仕方ないんだ。僕は英雄じゃない。親父とは違う。全部が正しいことなんて、できないんだ……」

「でも間違いを認めることはできる」


 俺の後ろでウォルト兄が軽く吠えた。

 屋敷の上空に雲が発生して、雨が降り始める。

 家を飲み込もうとしていた炎が消えていく。

 それと同時に興奮が冷めた奴隷たちも、不安そうな表情になっていく。アールフェスの部下は黙って主の命令を待った。


「……剣を下ろせ」

「アールフェスさま……」

「奴隷と、話をしよう」


 絞り出すように言ったアールフェスに、部下たちから安堵の声が漏れる。俺は"天牙"を鞘に戻した。

 剣士は斬るものを間違わないのだ。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る