第4話
ひとまず肩から力が抜けて、いろんなことを素直に受け入れられそうだ。そう思った総真の背後から声が降ってくる。
「出発準備を全部人にやらせて、自分はのんびり職務放棄か」
「おー。悪いな、相棒。放棄じゃねーよ。ちゃんとお客様の相手してたし」
「誰が相棒だ。都合のいいときだけ調子のいい……」
彼に相棒と呼ばれた人物は、声音をさらに低くして唸った。総真は新たな人物に困惑の目を向ける。総真を認識した彼は少しだけ目を見張った、ように見えた。
柳真はこの場に降りた沈黙を無視して総真に向き直る。
「じゃ、準備が整ったようだから、とっとと乗って家に帰ろうぜ」
「あ、あの!」
総真は今にも席を立とうとした彼を遮って、総真は声を上げた。ここが死後の世界だと知ってから、浮かんでしまった考えだ。柳真ももう一人の彼も、不審そうに総真の言葉を待っている。
「あの、俺の父親ってもう亡くなっているらしいんです。だから……」
「あーダメダメ」
総真が最後まで言う前に、柳真が割り込んだ。先ほどまでの彼とは違って若干険しい顔をしている。
「それ以上は、言っちゃいけない。少年がそれを望むのはルール違反だ」
「君の父親は既に川を渡り終えた。生者である君とはもはや関わるべきではない存在だ。どうしてもというのなら君も死者になる覚悟で望むことだ」
二人から思いのほか厳しい反応を受けて総真は怯んだ。
「きついこと言うようだが、諦めてくれ。見たこともない父親よりもお前を育ててくれた親を大事にしてやんな」
言われたことは総真にも理解できる。けれど、知ってしまった以上まだ見ぬ父であるとはいえ無視することはしたくない。総真は必死に言いつのった。
「でも、俺に何かしてあげられることはないんですか」
相棒と呼ばれたほうは眉根を寄せたままだったが、柳真のほうはふっと目元を和らげた。
「その気持ちだけで十分だろうよ。無事に帰ったら線香の一本でも手向ければそれでいい」
諭す言葉に総真はようやくうなずいた。
「はい……。無理を言ってすみませんでした」
彼らにしてみればこの事態が充分イレギュラーなものだ。これ以上総真のわがままで負担を強いるわけにはいかない。
「分かればよろしい。じゃ、今度こそ行こうか」
無力さに肩を落とす総真を慰めるように、うなだれた背中をポンとはたかれた。
出発の準備が整ったという列車は、廃駅で乗り込んだ時と同じようにそこにある。
「俺一人のためにわざわざすみません」
総真と柳真は列車の扉の前で対峙している。こうして見送りをしてくれているということは、相棒のほうが運転をするということだろうか。
「いいって。こっちのミスでこうなったんだしな。お偉方に見つかる前になかったことにしないと大問題だ」
「でも俺、何もお礼できなくて」
総真を送り返すのは彼らにとっては当然のことなのだろうが、ずいぶん親切にしてもらったことは分かる。
「そんな気に病むことじゃないって。でもまあ、そうだな、じゃあその中のもんでいいよ」
すっと指さしたのは総真の右ポケットだった。何を入れていたかと右手で探る。
「缶コーヒー? でも、これもう冷えちゃってますよ」
「いいんだよ、それで。久しぶりに飲みたい」
彼が良いというなら構わないが、こんなものがお礼になるのだろうか。何か腑に落ちないものを感じながら缶コーヒーを手渡した。
それを懐にしまったところで、ああそうだ、と柳真が服の内側を探り始める。そして探し当てたらしい何かの小さな包みを総真に差し出した。厳重に梱包されているせいか、何を渡されたのかわからない。
総真が包みの中身を尋ねるより早く、柳真が口を開いた。
「それ、帰ったら慶孝に渡しておいてくれ」
唐突にでてきた父の名前に総真はひどく驚愕する。彼は知らないはずの父の名前を口にした。言葉をなくす総真に尚も続ける。
「瑞帆にも謝っておいてくれ。大事な時に死んで悪かったって」
「それって、まさかっ……!」
総真が最後まで口にする前に、ドアは無情にも彼と総真を隔ててしまった。微笑んだままの彼が徐々に遠くなっていく。
混乱の極みにある総真はドアに張り付いたまま動けない。
最後の最後で突き付けられた真実をどう受け入れればいいのか。
総真は次第に意識が遠のいていく自分を感じた。何故と問うこともできないまま深く沈んでいく。
「とうさん……?」
そう呆然と呟いたのが列車の中での最後の記憶だった。
「あ……」
総真が目を覚ましたとき、目に飛び込んできたのは古びた列車の内装などではなかった。
白く清潔そうな天井。そして、心配そうに彼をのぞき込んでいる両親の顔だった。
「総真! 良かった」
涙ぐむ母が総真の頬に触れてくる。
「気分はどう? どこも痛くない?」
「母さん……」
心配いらないと返したかったが、いまだ意識がはっきりしないせいかどうにも頭が働かない。とりああえずここはどうやら病院らしいことだけは理解した。
「お前は昨日の朝廃駅で倒れていたところを発見されたんだ。それから丸一日眠っていた」
感情が高ぶっている母とは対照的な、低く抑えた声が母の反対側からする。総真は首をそちらに向けた。
「……父さん」
見たこともないほど厳しい表情をした父がそこにいた。
「夜中に抜け出したことに対する説教は後にする。まずはゆっくり身体を休めなさい」
「父さん、仕事は?」
家を抜けだしたのが土曜日の夜で、昨日から丸一日眠っていたなら今日は月曜日のはずだ。父はそんな些細なことをとでも言いたげな表情で告げる。
「そんなことはいいから、もう少し寝ていなさい」
起きるまでそばにいるからと、そう父に言われて安心したからか、総真は促されるまま眠りについた。
次に総真が起きたときには、窓から差し込む夕日が病室を照らしていた。大分寝たせいか総真の頭はすっきりしていた。父は総真のベッドの横の椅子に腰かけて、こちらの様子を見つめていた。
病室には総真と父の二人しかいない。
黙り込んでいる父に何と話しかけたものか迷った総真は、とりとめもないことを口にする。
「母さんは?」
「美冬と圭織を迎えに行ってる。もう少ししたらここに来るはずだ」
「そう」
それっきりまた口を閉ざす父に、何か会話の糸口はないものか考えていると、
「総真」
「なに?」
「これが上着のポケットに入っていた。いったいどこで見つけたんだ?」
父の差し出す「これ」とは二つのお猪口だった。詳しいわけではないが父が普段使っているような、何の変哲もないものだ。
上着から出てきたということは彼から託された包みの中身がこれだったのかと、総真はぼんやり思う。どこで手に入れたか、それを説明するにはどこから話せばいいのだろう。
「これはある奴がお前のために用意したものだ。そいつが亡くなった時に在り処が分からなくなっていた」
戸惑いをにじませながら訥々と語る父に総真は意を決して口にした。意図せずして声が震えてしまう。
「それが俺の本当の父親?」
父は少しだけ目を見開いた後、静かにうなずいた。
「やっぱりあの時聞こえていたのか」
「聞く気はなかったんだけどさ。……俺が、父さんと血が繋がってないってこと」
総真は自分を照らす夕日に目を細める。総真の告白に父がどう反応するのか。
「そうか」
「父さん、おばさんの言ってたこと、本当?」
「ああ。柳葉一真。それがお前の父親の名だ」
父は言葉少なだが、事実を否定はしなかった。総真は父からすっと視線を外して窓を眺める。
「あの日それを聞いて、急に家に居場所がなくなった気がしたんだ。でも、本当のことを聞く勇気もなくて。だから、逃げたくなったんだ」
改めて父から肯定されたことで実感がわいてきた。今さらながらに涙がにじんでくる。
「心配かけて、ごめんなさい」
零れそうになるものをやり過ごすために大きく息をすると、病院特有の消毒液のにおいがわずかに鼻につく。
涙の浮かぶ総真の謝罪を受けて、父は何を思ったのか、そっと口を開く。
「真実に向き合う勇気がなかったのはお前だけじゃない。俺も瑞帆もだ。そのせいでお前を余計に苦しめることになって、すまなかった」
父はそう言うと総真に向かって真っすぐ頭を下げた。真摯な態度を見つめ、言うと決めていた言葉をとうとう口にする。
「父さん、本当のことを教えてほしい。俺、ちゃんと受け止めるから」
総真の双眸から決意を読み取った父はその目を見据え、深くうなずいた。
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