第3話

「ほい、ここにどーぞ」

「ありがとうございます」

 いったん腰を落ち着けると、全身の強張りがとけていくをの感じた。やはり知らず知らずのうちに緊張していたようだ。

 すすめられた椅子に腰かけたまま周囲を見まわす。ここはどうやら駅構内の事務所のようなところらしい。あくまで総真の想像でしかないが、たいして差はないはずだ。

「さて、と」

 机の向かいに座った男が湯呑の茶を一口すする。

「少年、何から聞きたい?」

 いきなり話の主導権を譲られて、総真は口ごもりそうになったが、意を決して言葉を口に乗せる。

「ここはいったいどこなんですか?」

「あの世」

 質問に対する答えはたった一言。衝撃的な回答だった。

「はぁ!? どういうことですか!」

 目をむかんばかりの総真の反応に男は満足そうに笑った。

「うん、模範的驚愕をどうも。正確にはあの世の入り口だけどな。お前、あの列車に乗ったんだろう?」

 最初の衝撃からいくらか平静を取り戻し、総真はうなずいた。

「はい。あの、学校の噂話で、あの駅に深夜二時、電車が来るっていうのがあって、それに乗ったら異世界に行けるとか……」

「世間様ではそんな風に話が出回ってるんだな。ったくそんな風に流布してるなんてな。こっちにも都合があるってのに」

「都合?」

「そう、都合。お前が乗ったのは死者を乗せる列車だ。生者は乗るべきじゃない」

 うすうす予想していた事実がはっきりした。やはりあの列車に乗っていた乗客は、この世のものではなかったのだ。

「こっちも万年人手不足だもんで、一人ひとりお迎えにいくのが結構大変でな。現世で廃線になった路線をちょっと利用させてもらって、バスとか電車を走らせてたんだよ」

 なるほど、確かに効率的ではある気がする。それが何かの拍子に都市伝説として伝わってしまったというわけか。

 男は若干うんざりしたように頭をかいた。

「普通なら見ることなんてできないはずだったんだけどな。生者がこう簡単に乗れるならこの方法もちょっと考えもんだな。肝試しの集団と出くわすのはこっちも心臓に悪い」

「俺が列車に乗れちゃったのって、そんなにまずいんですか?」

 男は大げさに肩をすくめた。そういう仕草のせいで、どうにもこの人の印象がだいぶ軽いものになっている。

「まずいってもんじゃない。本来なら死者のみを乗せなくちゃならないのに、生者が乗れてしまうってのは相当な大問題よ。大目玉じゃすまない。少年が最初にあった奴らも困ってただろ? あれはそういうことだよ」

 どうでもいいが、この人はどうして頑なに「少年」と呼び続けるのだろう。さっき名乗ったのに。

 それはともかく総真の行動はかなり仕事の邪魔だったらしい。誰かに迷惑をかけるつもりはなかったのに、申し訳なくなった。

「まあ、そういうわけだから、少年は無事に家に帰れるぞ。家族も心配してるだろうしな。安心したか?」

「ええ、まあ」

 家族という単語に、総真の表情が曇る。家に戻れるのは喜ばしいが、自分のことについて何かが解決したわけではない。そんな様子には触れずに、男は少し間をおいてから口を開く。

「列車動かすのはちょっと時間がかかるから、それまではまあ、お兄さんと楽しいトークタイムといたしましょうか」

「はあ……」

「ああ、言うの忘れてたけど、俺は柳真って名前で通ってる。よろしくな」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 帰るための準備が終わるまで退屈だろうという配慮だろうが、正直何を話せばいいのだろう。会ったばかりで共通の話題があるわけでもなし、気遣いに感謝するよりも困惑が勝った。

「それじゃ、早速で聞くけど少年はなんであの列車に乗ったんだ?」

「え?」

 思いがけないところからの質問に、総真は言葉に詰まった。うまく言葉が出てこない。

「いや、噂を知ったから、っていうのは分かるんだけどさ。真相を確かめようと決心するに至ったのはどんな理由があったんかな、と」

 理由。そんなものは一つだ。父との血の繋がりと否定された、そのことだ。そのことさえなかったら、都市伝説を確かめようとなどしなかっただろう。

 押し黙った総真の深刻なさまを見つめて、男――柳真はふっ、と小さく笑った。

「俺も少年よりかは人生経験豊富だからね。いくらかアドバイスできるんじゃないかと思うわけなんだけど」

 彼は見ず知らずの他人だ。会ってからまだ数時間も経っていない。そんな彼に心の内をさらすだなんて普段の自分だったらしない。でも、どうしてか話してもいいかという気になった。彼の纏っている気安い雰囲気がそうさせるのだろうか。

 総真はぽつりぽつりを言葉を漏らす。父と親戚の会話から、自分には父との血の繋がりがないこと。本当のことを教えてもらえなかった不信感。真実を知りたいと思っても口に出す勇気が出なかったこと。

 目の前の男は相槌を打つこともなく、総真の口から零れてくる想いに耳を傾けている。総真が話し終えるのを待って男は口を開いた。

「なるほどなあ。それは天地もひっくり返る大事件だ。そりゃあ幽霊列車にも乗りたくなるわな」

 そういう事情かぁ、と肘をつき彼は納得のため息をつく。そして続けてこう言った。

「それで、少年は何が一番しんどいんだ? 親父さんと血の繋がりがないことか?」

 総真は向けられた問に面食らう。ここまで来たのはほぼ衝動的な行動で、「自分にとって何が辛かったのか」、彼に言われるまでそんな風に考えてもみなかった。自分はいったい何が堪えたのか。

「……血の繋がりがないことは、もちろんショックだったけど、それを隠されていたことのほうが辛かった、のかもしれないです」

 そうだ、それが避けることのできないことなら、両親の口から自分の出生を知りたかったのだ。

 こんな不意打ちではなく、面と向かって。

「別に悪意があって隠していたわけじゃないのは、理解しているつもりです。でも、感情が付いていかなくて」

「別に納得する必要はないんじゃねえか。少年には少年の事情ってものがあるんだからさ」

 総真は驚愕をもって聞いた。総真の不信感を咎められるかと思ったからだ。親の事情を汲んで納得すべきだと。

「ま、言えなかった理由はいろいろあるだろうな。親だって言ったって人間なんだから。案外、ほんとの父親あたりがどうしようもないろくでなしで話せなかったとか」

 そう茶化した様で続けた。初めて会った人なのに、この人と話しているとどこか安心する。総真の感じる不安を見抜いて取り除いてくれているような気さえした。

「……そうでしょうか」

「そういうもんだよ」

 彼に力強く請け負われると、本当なのだというように思える。出口のない迷路を抜けだす一筋の光に見えた。

「妹、というか血のつながりがある家族がいて、それでもお前に真実を悟らせず育てた。だから、その愛情に嘘偽りはない」

 表現を選んで慎重に柳真が話す言葉に耳を傾ける。「嘘偽りのない愛情」。不思議とすとんと心に入ってきた。総真たちに向けられる父と母の想いは疑いようのない事実だったのだ。

「俺、柳真さんに言ってもらえるまで、そんなこと、考えもしなかった」

「そういうことは自分で気づけることじゃないんだよ。当たり前のこと過ぎてな」

 空気のようにそこにあることが当然なものだったからこそ、認識できないものだった。

 しかし、これからは違う。どんな真実が待ち受けていても、今の総真には受け止められるだろう。

「ま、これで迷える少年の悩みも解決だ。家に戻ったらきちんと話でもするんだな」

 柳真は、今日の献立の中身が決まったかのような気楽さを崩さない。総真に対する気負いのない態度がありがたかった。

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