第2話 森の国にて

少年が目指した国は森に囲まれていた。

深く暗く、厚くひろがる森の向こう側にある北側の国からの踏破は困難で、北方からはお伽噺の国と言われていたが、あまりに森が深いだけで、御伽噺などではなく極普通の人間が住まう土地だった。

国交もわずかばかりではあるが行われている。

必要最低限、ひっそりと慎ましやか、他国と交わらない気風が知らぬ遠い国々で幻と噂されるようになっていただけ。


その国の名をグリューネワルト、通称森の国という。


グリューネワルトの奥の奥にある神殿。

俗世と切り離された最奥の建物を軽やかな足音と共に白い裾が翻る。

小鳥のさえずりさえもまだ聞えないまだ暗い朝、白い柱に広々とした広間を横切って、エヴァは桶をふたつ両手に持って水汲みをするべく森を歩いていた。

「あふぅ」

さくさくと草を踏む感触と風がつたえる香りが心地よい。

「今日は雨、ふりますかねー」

稲穂の様な金髪をゆるやかにまとめた髪がふさふさと揺れる。

白い清楚な巫女服。

額には銀の鎖に蒼い雫石。その石は少女でありながら一人前の巫女であるしるし。

エヴァはグリューネワルトの神殿巫女だった。

蒼と緑が混ざり合った瞳を巡らし、道を選ぶ。

彼女にしか出来ない仕事を果たす為に、桶を持って森を進んだ。


今日もいい天気ですねー。お天気良すぎてちょっと雨が欲しいですー。

「あっ」

木の隙間から見える雲を見ながら歩いていたら何かに躓いた。

カランカランと音を立てて桶が転がる。

何に躓いたのかと思ったら人だった。びっくり。


「あれまー」

人が川辺で寝ている。あ、ちがう倒れてる。


「えーなんでですかー」


物理的にも魔術的にも結界が幾重にも張られているこの森に人が居る。

「びっくりですー」

全然びっくりしていなさそうな口調であるがとても驚いている。


つつくと呻き声がした。

「うぅう…」

身体中傷だらけ、川で水を飲もうとして力尽きたのだろうか。

生きている。


川の水を桶で汲んで手拭いで顔を拭いた。魔物ではなさそう。

人間?人間だ、うん。自分より小さい男の子。

エヴァは同じ年頃の中では背丈のある方だがそれにしてもちいさい。

黒い髪、少し長めの自由な髪形。

「どうしたんでしょー、この子」

はてーと首を傾げる。


普通の道で国に入ればまずここにはたどり着けない。それはそれは厳重に封鎖されている立ち入り禁止区域なのだ。

一番膨らんでいる地方、通称「扇の森」を通ってきたのだろうか。

うーん、と考え込む。とりあえず傷だらけだし放置することは出来ませんねーと方針決定。


人を呼ぶ。ここに来れる人は限られている。却下。

少年を運ぶ。それしかなさそうと判断。


「ええと、運ぶ前に」

応急処置してから運びますかー。


横に膝を付いて森の精霊に語りかける。


「私は器」

自分をごそりと削ぎ落とす。

森に風が吹き、葉が揺れ音を立てた。


ざわざわ。ざわざわ。


音を立てているのは風だけではない。ちいさな光の粒。


朝日のきらめきが小さく小さく跳ねて、エヴァを取り巻く。

ぱややんと気の抜けた笑いではない、透き通った微笑みはエヴァなのか、人ではない何かがさせているのか。

「朝日。日の力。命。廻る、廻れ。命。横たわりし者に慈悲を」


巫女は如雨露の様なもの。命が巫女に集まり、如雨露が傾き彼に注がれる。

魔法とは違う。

精霊や自然に希い、促し、廻らせる器。

エヴァは巫女。器だった。


ちいさなちいさな力が集まり、巡り、細かな傷と火傷が消えていった。


「ありがとーですよー」

エヴァの声と共に光が霧散し、森が静寂を取り戻す。

「よいっしょおおお」

静寂さを破る掛け声はエヴァが少年を担ぐ気合の声。

「あ、意外と重い」

両脇に腕を回して引きずる。ずりずり、と少年の脚は地面を削りながら神殿まで運ばれていった。


ガン。

「あ、ごめんなさいー」

時折木の枝に少年の頭がぶつかっていたが幸か不幸か目は覚めなかった。

ガン。

「あああ」

ガシュ。

「はわー」

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