エピローグ

 あんな事件があったので、翌日は休校になった。


 学校の方針で、その間、グルチャも禁止だ。

 LIME社は学校の方針を尊重して、1日間グルチャを凍結する措置を取った。


 LIMEのこの件に関する担当は父さんだった。


「まぁ、騒ぐほどの事件じゃないさ。毎日どこかの学校で起こってることだよ。ただ、おまえのクラスのは拡散が早かったから、おおごとになってしまったんだ」


 と、父さんは言う。


「暴れた生徒はどうなるんだ?」


「それを決めるのはLIMEじゃない。おまえの学校と、その生徒が今通ってる学校のあいだで話し合いが持たれてる。

 もっとも、消火器で殴られた生徒の親は、警察に訴えるつもりらしい。そうなったら司法の問題だ。

 なんだ、もしかして友達だったか?」


「いや、話したこともなかったよ」


 うちのクラスの生徒は外出するなとのお達しだったので、その日は鬱乃森とも柚木とも会えなかった。


 そして翌朝。

 グルチャの解禁は午前9時というのが、LIMEと学校との合意事項だったので、この日は登校前のグルチャチェックも必要ない。


 俺がクラスに入ると、クラスは静まり返ってた。


 居心地の悪さを感じながら席に着く。

 ちょっとして柚木がやってきたので、手だけを挙げて挨拶する。


 鬱乃森が入ってきたところで、教室を、声にならないざわめきが走った。


 が、俺が驚いたのはそこじゃない。


 吉崎が席から立ち上がり、鬱乃森に近づいていったのだ。


「鬱乃森さん。いま、いいかな」


「いいわ」


 こともなげに、鬱乃森がうなずいた。


 吉崎は、鬱乃森をまっすぐに見据えて言った。


「わたし、鬱乃森さんがやってたこと、やっぱり許せない」


「そう」


「同じクラスなのに無視して、いないふりして⋯⋯そんなことされて気にしないほうがどうかしてる」


「そうなのでしょうね」


「でも⋯⋯一昨日のことでは助かったから。それについては礼を言うわ。ありがとう」


「どういいたしまして。でも、好きでやったことよ」


「もう、あなたを無視したりもしないわ」


「あら? 無視なんてしてたの? いつもと変わらないから気づいてなかったわ」


「そ、そう⋯⋯とにかく、それだけ。

 クラTは、あんなことになっちゃったから作り直そうと思うんだけど⋯⋯」


「わたしはいらないわ」


「⋯⋯だよね。今度は、絆とかじゃなくて、みんなの好きなものを持ち寄ってデザインするつもり。統一感とかなくごっちゃ混ぜで」


「ふぅん。いいじゃない。わたしのことはともかく、柚木さんと加美山君については許してあげてね」


「えっ⋯⋯ああ、うん。そうだよね」


 吉崎と鬱乃森の会話はそれだけで終わった。


 結果は平行線かもしれないが、とてもまっとうなコミュニケーションだと俺は思った。






 放課後、俺と柚木は鬱乃森に声をかけられた。


「大事な話をするから、うち・・に来て」


 俺と柚木は顔を見合わせる。


「予定でもある?」


「いや、ないよ」


「あたしもー」


「じゃあ、行きましょう。迎えを呼んでるわ」


「迎え?」


 鬱乃森に続いて校門から出ると、そこには黒い高級車が止まってた。


 高級車の助手席の窓が空き、運転席の男が、身を乗り出して言ってくる。


「椿。言われた通り迎えにきたぞ」


「ありがとう」


 運転席の男は、相当なイケメンだ。高そうだがセンスのいいスーツに身を包み、黒い髪を七三で綺麗に分けている。マスクは甘いが、切れ長の目は頭の良さを感じさせる。


 戸惑う俺と柚木を尻目に、鬱乃森は後部座席のドアを開いて中に乗り込む。


「ほら、あなたたちもこっちよ」


 俺と柚木はおっかなびっくり、後部座席に乗り込んだ。


 後部座席は、広々としていて、シートは車の左右に縦向きについている。

 トランク側には小さな冷蔵庫があり、鬱乃森はそのなかから得体の知れない外国製の炭酸水を取り出し、俺と柚木に手渡した。


「ねね、さっきのイケメンは誰? 椿っちのアッシー君?」


 柚木が、俺も気になってたことを聞く。


 こんな外車を持ってる金持ちのイケメン社会人なんて、俺にどうやって太刀打ちしろと。俺が鞘に手をかけた瞬間には、謎の技で身体を真っ二つにされてるくらいの格の差だ。


 なお、運転席と後部座席のあいだには防音ガラスがあり、こちらの声は向こう側には聞こえない。


 柚木の質問に、鬱乃森はしれっと答えた。


「兄よ。アッシーであることは否定しないけど」


「えっ⁉︎ お兄さん⁉︎ そ、そういえばちょっと雰囲気が似てたかも」


「まぁ、美男美女だから納得だな」


 内心胸を撫で下ろしながらそう言った。


 柚木の言うように、言われてみればよく似てる。

 真っ黒なストレートヘアだとか、切れ長の目だとか。

 何より、黙っていても醸し出される、頭良さげな雰囲気が。


「柚木にはあまりおすすめしないわ。いまはろくに働いてもないんだもの。金だけはあるから羽振りはいいけど」


 イケメンであることに加え、鬱乃森からの情報で、鬱乃森兄のいけ好かない度が俺の中でマックスになった。


「で、今日はなんなんだ?」


 俺が聞くと、鬱乃森が神妙な顔になって言った。


「二人には迷惑をかけたわ。これ以上いろんなことを秘密にしておくのも気がひけるから、わたしのことをちゃんと話そうと思って」


「おまえのこと?」


「ええ。鬱乃森椿はいったい何者なのか。当然、疑問に思ってるでしょう?」


「まぁ、そりゃあな」


「だね。聞くのもはばかられるから聞かなかったけどさ」


 俺と柚木がうなずいた。


「ところで、この車はどこに向かってるんだ? 鬱乃森の家は逆だろ?」


「わたしの会社⋯⋯というと語弊があるのだけれど。縁の深いところに向かってるわ。兄もちょうど顔を出す必要があったから、ついでに乗せていってもらうことにしたのよ」


 鬱乃森の会社?


 疑問顔で黙り込む俺と柚木に、鬱乃森は口をつぐんで説明しない。


 そのまま車は高速に乗り、小一時間ほどのドライブの果てに、都心の混雑した道路にさしかかった。


 運転席で、鬱乃森の兄がスマホをいじる。


 その直後から、渋滞の車列が流れ出す。


「LIMEが位置情報を利用した渋滞回避システムを実装してるのは知ってる?」


「ああ、聞いたことはあるよ」


「今、兄がやったのはその裏技よ。この道の先に詰まってる車に、LIMEのシステムを使って、渋滞の迂回路を通知したの」


「ええっ! お兄さんはLIMEの人なのか⁉︎」


「⋯⋯すぐにわかるわ」


 車が走り出した。

 都心に向かうのかと思いきや、むしろ逆、ベイエリアのほうへ向かっていく。

 ほどなくして、車は海のそばに立つ巨大なビルの地下駐車場へと進入した。


「お、おい。このビルって⋯⋯」


「ああ、加美山君は知ってるのね。お父さんの勤務先だし、当然か」


 そう。俺たちを乗せた車が入ったのは、LIMEの本社ビルだった。


 LIMEの本社ビルは、きわめて特徴的な建物だ。

 一見すると、ドーナツを積み上げたような形なのだが、実際には「ドーナツ」は螺旋状になっている。螺旋のところどころは強固なアクリル素材で透明になっていて、外からでも人の流れを見ることができる。しかも外観は、メビウスの輪のようにねじれてる。

 螺旋はぐるぐるとねじれながら宙を目指し、その頂点で真ん中に集まる。

 螺旋同士のあいだにも、透明なチューブが張り巡らされ、斜めに弧を描くエレベーターや動く歩道で、部署間を効率よく移動できるようになってるという。


 この建物には、中心といえる場所が見当たらない。

 一応、最上段にある円盤型のUFOのような部分が役員フロアなのだと聞いてるが。

 そのせいで、LIMEを作ったのは宇宙人である、なんていうトンデモ本まで出版されてる。


「なんかすごい建物だね! 未来って感じ!」


 柚木がはしゃぐあいだにも、車は螺旋状のスロープを下って地下へ向かう。


 駐車場は、フルオートメーション化されている。

 車はその下のガイドごと運搬され、目的地に近い入り口で乗員を下ろしたあと、自動で駐車スペースへと押し込まれる。

 駐車スペースは隣接する海の下のスペースまで広がっていて、その先には実際の海を利用した水族館まである。


 俺たちが下ろされたのは、あきらかに高級そうな一画だ。

 LIMEのシンボルカラーである明るいベージュ色の絨毯が敷かれた先に、ガラス張りの透明な円筒がある。

 その円筒がエレベーターであることに気づくのに時間がかかった。

 駐車場が来客を振り分けるので、受付のたぐいは置かれてない。


「じゃあ、僕はここで。たまには椿も顔を出したほうがいいよ。いくら株券があったって、顔も知らない相手の言うことを喜んで聞く人もいないから」


「そうね」


 気のない相槌を打つ鬱乃森に苦笑し、鬱乃森兄がエレベーターで消えていく。


「じゃあ、わたしたちも行きましょうか」


 そう言う鬱乃森に、俺と柚木はおもわず顔を見合わせていた。

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