26
クラTが無事完成した。
胸元と背中に、俺の作成した絆スタンプが刷られ、余った場所は、クラスメイトたちが自分たちの絆を誇示する文章を寄せ書きしてる。
遠目に見れば、まぁまぁのデザインではあった。
田邊が言ってたように、今の学校では感性を重視したカリキュラムも実施してる。
Tシャツ業者も生き残りに必死なので、安くてセンスのいい業者は探せばいくらでもあるようだ。
しかし、近づいて文字を読むと、印象ががらりと変わる。
「絆」と大きく書かれたまわりに、「いつまでもつながっていようね!」「チョー仲良いです!」「空気が読める大事なクラスメイト」「one for allの精神で!」「みんなおそろいで、みんないい。」「高め合える仲間たちと未来へ」「絆を大切にするニッポンの俺たち」などなど、絆を賞賛するコメントやポエムが並んでる。
ありていに言って、気持ち悪い。
「みんなおそろいで、みんないい。」は最近流行のネットスラングだが、元ネタの上の句は「みんなちがって」である。元のフレーズを考えた人は草葉の陰で泣いていい。
”one for all, all for one”から下の句が抜けてると指摘したのは鬱乃森だ。
(まぁ、あの中にいたら、疑問に思わなかったかもしれないけどな)
外から見ると、なんていうか滑稽だ。
来年になったら別のクラスになるんだし、卒業したらバラバラだ。
こいつらは来年のクラスでも同じようなことを言うだろうし、進学先・就職先でもそうだろう。
結局、俺もクラTは断った。
呼び出された鬱乃森に俺がついてった件は、クラスメイトの知るところになっている。
吉崎は、露骨に裏切られたって顔をしたが、ハンコは使っていいと言うと安心したようだ。
柚木も、クラTを断ってる。
「もともと、グルチャに入れたのは椿っちのおかげだし。それなのに仲間はずれになんてできないよ」
柚木は、せっかくできた友達とも疎遠になってしまった。
「ま、元に戻っただけだしね」
そう言って、柚木は俺のことも鬱乃森のことも責めなかった。
そんなわけで、俺、鬱乃森、柚木の三人は、クラスで完全に無視されている。
直接いじめられるようなことはない。
ただ、無視されてるだけだ。
俺や柚木はともかく、鬱乃森にはまったく効いてない。
それでも、クラスメイトたちには、それ以外にできることがない。
とはいえ、お互いにやりにくいのも事実なので、俺はクラスメイトと個別に交渉して、俺と柚木の席を鬱乃森のそばと入れ替えてもらった。
窓際最後尾に鬱乃森、その前に柚木、鬱乃森の隣に俺だ。
俺としてはむしろ役得だった。
そんな状況で一週間がすぎ、いま、吉崎が完成したクラTを配ってる。
「ええと、全員に渡ったよね?」
吉崎の言葉にクラスメイトたちがうなずいた。
「あれ⋯⋯一枚余ってるんだけど」
吉崎の手伝いをしていた男子が、余ったTシャツを手に首を傾げる。
「鬱乃森さん、加美山君、柚木さんの三人を除いた数だよね? ああ、いや、仲間はずれとかいう話じゃないよ?」
吉崎が誰にともなくフォローする。
「他に誰かいない人がいるってことか? 今日は欠席者はいないよな?」
「じゃあ、数が間違ってたってこと? おかしいな。先生に名簿をもらったのに」
「集金はしたんだろ?」
「うん。でも、先生のカンパがあったから、一人分多くても気づかなかったかも」
「鬱乃森さんだって名簿には載ってたくらいなんだから、他に幽霊もいないよな?」
吉崎と男子が、顔を寄せて話し合っている。
(一枚余った? なんでだ?)
俺たちの他に受け取らなかったやつなんていないし。
⋯⋯いや、待てよ。
「鬱乃森、そういや、うちのクラスにはーー」
俺が言いかけたところで、教室の前の扉が勢いよく開いた。
そこに立っていたのは、私服姿の男子だった。
ジーンズにポロシャツで、場違いということを除けば、いたって普通の格好だ。
年齢はタメくらいだろう。
だが、その男子は、顔を怒りに赤く染め、手に消火器を握りしめていた。
「おまえらみんな死ねええええええっ!」
男子はいきなりそう叫ぶと、消火器を教室内に向け、消火器のハンドルを強く握る。
「うわっ!」
噴射音とともに視界が真っ白になった。
「俺のかげに隠れろ!」
俺はとっさに、男子に背を向け、鬱乃森と柚木の前に立って二人をかばう。
背後から、噴射音とともに白い煙が押し寄せてくる。
クラスメイトたちも、煙にむせ、悲鳴を上げて逃げ惑う。
「死ねよ、おまえら! おまえらのせいで俺の人生は終わりだ! 死んで詫びろ、こらぁ!」
闖入者はわめきながら、消火器を振り回す。
「なにすんだ、やめろよ!」
入り口近くにいたクラスの男子が止めに入ったようだ。
が、
「うるせえ!」
闖入者の声と同時に鈍い音がした。
背を向けてるせいで何が起こったかはわからなかったが⋯⋯
「後ろから逃げるぞ」
俺は鬱乃森と柚木に声をかけ、二人の手を握る。
俺は二人の手を引いて、混乱する教室の、後ろの扉にそっと向かう。
だが、
「くそっ、開かねえ!」
鍵とかじゃなく、たぶん開かないように外から細工されてる。
「ま、窓から出られるぞ!」
そう言って誰かが窓から逃げ出した。
それを見た他のクラスメイトたちが窓側に殺到する。
「おまえら……俺を、無視するなぁっ!」
怒声と、窓ガラスが割れる音。
「きゃあああ!」
女子たちが悲鳴をあげた。
窓が開いたことで、徐々に視界が開けてくる。
消火剤が目にしみるが、俺は気合で前を見る。
クラスメイトは半数くらいがすでにベランダへと逃げていた。
残った連中は教室の後ろの方に固まって震えてる。
闖入者の男子は、どうしたらいいか迷ってるように見えた。
消火器はもう煙を噴いてない。
教室の前方の床に、ひとり男子生徒が倒れてる。さっき、闖入者に殴られた男子だろう。
(くそっ! 後ろから逃げようとしたのが裏目った!)
俺の後ろには鬱乃森と柚木がいる。
こいつが危害を加えようとしてきたら、なんとか抵抗してみるしかない。
俺は手近な椅子の背をつかみ、いつでも盾にできるよう準備する。
その俺の隣を、するりと黒い髪がすり抜けた。
「ーーあなた、何がしたいの?」
実に堂々とした態度でそう言ったのはーー他でもない、鬱乃森だった。
「なっ⋯⋯おい、下がってーー」
俺は鬱乃森を止めようとするが、もちろんもう遅かった。
闖入者が、ぎろりと鬱乃森をにらむ。
「誰だよ、おまえ!」
「鬱乃森椿。あなたの元クラスメイトよ、戸塚亮くん」
鬱乃森が言った。
(ってことは⋯⋯)
さっき、クラスTシャツが余った時に、思い出したのだ。
このクラスには、つい先日までもう一人男子生徒がいた。
俺が移動教室に遅れて鬱乃森と出会ったあの日に、鬱乃森がそう指摘した。
俺は、鬱乃森の言葉を思い出す。
『彼、LIMEの返信が遅くてね。何度も書いては直しているうちに、返事ができなくなっていたようね。いつもスマホを見て、青くなっていたわ。そして、ある日を境に学校には来なくなった』
『今週末にでも先生が机を片付けて、それでおしまい。誰も彼のことを思い出すことはない。次の学校に馴染めるといいわね。生きていれば、だけれど』
『可能性は3つかしら。転校した。不登校になった。自殺した。ああ、もうひとつあるわね。彼は自分を無視したクラスメイトたちを怨み、着々と復讐の準備を進めている。合法的に手に入るものでも、工夫しだいで武器になるものは多いわ。日本が銃社会じゃなくてよかったと思わない?』
要するに、鬱乃森の言ってた通りになった、ってことだ。
「なっ、おまえ、俺を知って?」
闖入者ーーいや、元クラスメイトの戸塚が驚いた顔をする。
「クラスメイトの名前くらい覚えてるわよ。あなたはわたしのことを覚えていた?」
「い、いや……」
気まずそうに、戸塚が言う。
「それなのに、自分のことは無視されたくないの?」
「う、うるさい! おまえみたいな美人に俺の気持ちがわかってたまるか! クラスでもちやほやされてるんだろ!」
「お褒めいただいて恐縮だけど⋯⋯そうかしら? ねえ、川越君?」
「う、うぇい⁉︎」
逃げ遅れていた男子の一人・川越がすっとんきょうな声を上げた。
「今、戸塚君が踏んづけてるそのTシャツなのだけど、クラスメイトたちが団結を高めるために作ったものなの」
「団結? 笑わせるな! さんざん俺を無視したくせに!」
「う、鬱乃森、さん。そいつ、知り合いなのか?」
川越が、鬱乃森に聞いた。
鬱乃森が肩をすくめる。
「これだものね。戸塚君、あなたには同情しなくもないけれど、やっていいことと悪いことがあるわ。
わたしだって、そのTシャツを着たくないって言っただけで腫れ物扱いされてたところよ。
でも、わたしは気にしない。わたしのほうが正しいと信じてるから。あまりにも正しいと信じてるので、他人に認めてもらう必要すら感じない。
他人にかまってもらえないと言ってキレたりするより、わたしみたいな生き方のほうがずっと楽よ」
「そ、そんなの⋯⋯おまえが美人だからで⋯⋯」
「そうやって容姿を言い訳にする。言い訳したところで、あなたの容姿がよくなることは絶対にないわ。それとも、神様があなたをイケメンに造らなかったことを反省して、あなたの顔を直してくれるとでも?」
「う、うるさい! 理屈ばかり言いやがって! ずっと無視される辛さが美人にわかるか! 俺みたいなブサメンがLIMEにつぶやいても、誰も相手にしてくれないんだよ! プロフ画像で勝ち組負け組が決まってるんだ!」
「そうやって僻めば僻むほど、あなたの性根の悪さがあなたの言動から醸し出されて、ますます人に嫌われるわよ」
「⋯⋯いや、おまえの性格も大概だけどな」
おもわずぼそりとつぶやいてしまい、鬱乃森ににらまれた。
(だけど、ブサメンってほどか?)
戸塚は、たしかにイケメンではないと思うが、ブサメンでもないだろう。
(心理学の本にあったな。人がイケメンと判断するのも、ブサメンと判断するのも、上位と下位5%だけで、9割はフツメン判定になるって)
まぁ、鬱乃森が上位5%に入るのは揺るぎないところだろう。
戸塚も、鬱乃森には言われたくないかもしれない。
「LIMEで無視された? それが何よ。わたしなんてスマホすら持ってないわ。そこにいる柚木さんも、つい最近までそうだったわ」
話に出された柚木のほうは、震えながら俺の左腕にしがみついてる。
話を聞く余裕もなさそうだ。
「み、みんな俺のチャットを無視するんだ……いつも既読スルーが当たり前で……既読スルーのまま放って置かれる気持ちがおまえにわかるか!? 俺は晒し者にされたんだぞ! おまえら裏チャットで俺のこと笑ってるんだろ!」
そうだったか?
俺は昔のクラスのグルチャを思い出す。
戸塚の発言は、まったく記憶に残ってない。裏チャットも……俺が知る限りではなかったと思うが。
要するに、印象に残らない程度のことしか書いてなかったってことだ。
(人によるよな。何もやってなくても注目されるやつもいれば、何やってても注目されないやつもいる)
SNSではそれが極端に出る。
適当にパシャパシャ写真を撮ってアップするだけで人気者になってしまうやつもいれば、流行を追いかけようと一生懸命努力してるのに注目されないやつもいる。
目の前にいる戸塚は、とりたてて特徴もなく、他人の注意を引かないタイプに見える。
いや、俺も人のことは言えないのだが。
「べつにいいじゃない。既読なら、とりあえず読んではいるのだから。
あなたが発言するのは自由、それに対してどんな返事をするのかは、返事をしないことも含めて、受け取る側の自由だわ」
「お、俺が、宿題の範囲を教えてくれって書いても、みんなLIMEのくだらない占いで盛り上がって無視をした! そのせいで数学で赤点を取って恥をかいた!」
「盛り上がってる時に聞いたってそりゃ無視されるでしょ。ていうか、宿題の範囲くらい授業中にちゃんと聞いておきなさいよ。最初から他人を当てにしてるからいけないのよ」
「う⋯⋯ぐ。で、でも、人気のあるやつはそんなことしてないじゃないか! 授業中もいい加減に聞いてるくせに、テスト前になると他人の力を当てにする! どうして俺がそうしちゃいけない!」
「他人から得ることばかり考える。お調子者は普段から人間関係に投資しているから、それに見合ったリターンを得られるだけよ。あなたは普段、人のために何かしているの?」
「そ、それは⋯⋯」
戸塚が言葉に詰まる。
消火器を持った腕が垂れ、消火器の底が床を打つ。
「あなたはどうしたいの? 元クラスメイトを殴ってすっきりしたいの? それとも、皆殺しにしないと気が済まない? それならもっと効果的な方法がいくらでもあるでしょう。どうせやるならもっとしっかり準備するべきよ」
「そ、そんなことまでしたいわけじゃ……」
戸塚が怯んだように口ごもる。
(いや、さっき死ねって言ってたろ)
だが実際、消火器以上に殺傷力のあるものを、戸塚は持ってないようだった。
皆殺しにするほどの計画性はなく、勢いだけでここまで来たんだろう。
ひょっとしたら、転校先でも馴染めなかったのかもしれないな。
鬱乃森が問い詰める。
「じゃあ、謝ってほしいの? 認めてほしいの? まさか、これだけのことをしておいて、自分が何を求めてるかもわからないなんて言わないわよね?」
「う、うるせえ! そんなこと、わかるかよ! 俺はただ、無視した連中に痛い目を見せたかっただけで⋯⋯」
「じゃあ聞くけど、あなたはクラスメイトに対して聞くに値するような情報を発信していたの? あるいは、誰かの発言を共感とともに受容したり、困ってる人を助けてあげたりした? 自分が誰かにレスを望む前に、よ?」
「うぐっ……」
「LIMEが苦手っていうのはしょうがないわ。空気の読みあいなんてわたしもバカバカしくてやってられないし。
上っ面だけじゃない、本当の気持ちを口にする人がいたら、そういう人とはぜひ話してみたいと思うのだけれど、LIME星人たちにはとうていそんなものは望めないでしょ。
だから、わたしはつながりたくない」
「つながりたく⋯⋯ない?」
戸塚は、信じられないことを聞いたというように、口をぽかんと半開きにした。
「翻って、あなたは何? LIMEに何を求めてるの? グルチャであなたの思いに答えてくれる人なんていないわよ。あなたがどうしようもなく孤独で、誰かに話を聞いてもらいたいと思ってるんだったら、ちゃんと聞いてくれる人を探しなさい。LIMEではなく――現実で」
「くそっ、くそっ、なんなんだよおおおお……!」
戸塚が消火器を床に投げつけた。
そこで、廊下側から男性教師が現れた。
誰あろう、わがクラスの担任だ。
「うおおおおおーー!」
担任は気合とともに戸塚の胸ぐらをつかみ、身体を入れ替えて、見事な背負い投げを決めた。
「ぐあっ!」
背中を強打し、戸塚が苦悶の声を上げる。
「大人しくしろ、不審者め!」
担任は、「不審者」が誰か気づくことなく、戸塚を寝技で絞め上げた。
俺は、大きくため息をつく。
「やれやれ。なんとかなったか」
廊下から他の教師たちも現れて、戸塚を捕まえ、職員室のほうへ引っ張っていく。
クラスメイトたちが安堵の声を漏らす。
そのなかに混じって、鬱乃森がぽつりとつぶやいた。
「心配ね」
一瞬、なんのことかわからなかった。
「あんなやつのことがか?」
ようやく思い至って聞き返す。
「他人事じゃないもの。わたしはあそこまで愚かではないけれど」
「何? おまえもいろいろ抱えちゃってるのか? 俺でよければ相談に乗るぞ」
「嫌よ、あなたみたいな軽薄な人には向いてないわ」
「け、軽薄……」
「怖かったよぉ~。ユージン、かばってくれてありがとー!」
鬱乃森、俺、柚木が言葉を交わしているあいだに、ショックから立ち直ったクラスメイトたちが、手に手にスマホを取り出していた。
割れた窓、飛散した消火剤、踏みにじられたクラスT、消火器を叩きつけられて、クモの巣状にヒビが入った床⋯⋯。
スマホのカメラがそのすべてをデータに変え、LIMEのサーバーにアップしていく。
俺はスマホを取り出し、クラスのグルチャを開いてみる。
グルチャは、沸騰していた。
アップされた画像や動画に、おそろしい勢いでいいね!がつく。
なかにはパブリック設定で公開されているものもあり、クラスのみならずその外の世界へも、またたくまに事件が拡散していく。
数分後には、マスコミ各社から公開された画像や動画宛てに取材や使用許可の問い合わせが飛んできた。画像を公開したクラスメイトが、興奮した様子で書き込んでる。
クラスメイトたちは爆発したようにチャットしていた。
そこで、グルチャに誰かが発言した。
『それにしても、あいつ誰だったんだ?』
『さあ⋯⋯』
その発言はチャットの波に押し流され、それ以上掘り下げようとするやつは誰もいない。
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