23

 その夜、グルチャは鬱乃森のことで埋め尽くされていた。


『みんなで盛り上がってたのにあんなこと言うなんてひどいよ!』


 吉崎さんの発言に、クラス中から賛同の声が上がる。


(みんなで⋯⋯ね。盛り上がってたのは吉崎さんだろ)


 あとのクラスメイトはそれに合わせてただけだ。

 ちょうど今のチャットと同じように。


 グルチャは、時とともに過熱していく。


 たまに、吹き出しが一瞬だけ表示されて消えることがある。


「ハラスメント発言か」


 LIMEはハラスメントに当たる発言を人工知能で検出してブロックする。

 発言前に確認メッセージが出るはずだが、頭に血の上ったやつがかまわず投稿したのだろう。

 その投稿が、見る側ーーこの場合は俺の側のフィルタリング基準に引っかかって、非表示になる。

 つまり、クラスメイトのなかにはその発言を目にしてるやつもいるってことだ。


『加美山くんはあんなこと言われて悔しくないの?』


 吉崎さんが、いきなり俺に振ってくる。

 名指しされては答えるしかない。


『べつに。個人の自由だと思うよ』


『みんなの絆を大切にしたいんじゃなかったの⁉︎』


『否定するつもりはないけど、今日までろくに話したこともないクラスメイトに押しつけてもしょうがない』


『私、押しつけてなんてないよ!』


『絆って、双方向のもんだろ? そっとしとこうぜ。やりたいやつだけでやればいいじゃん』


『うそ、私のこと批判してるでしょ!』


『だから、してないって』


 ヤバい、ちょっと対応を間違ったか。

 まずは受け止めてワンクッション置いてからそれとなく反論するべきだった。


『クラスの絆を大事にしないやつなんてブロックしようぜ』


 クラスの男子が書き込んだ。


『あれ? 鬱乃森なんて女子いないぞ。ハンドルはクラスのグルチャでは使えないんだよな?』


『信じらんない! 鬱乃森さんはクラスのグルチャにも入ってないんだ! 私たちのこと、完全に馬鹿にしてる!』


 吉崎さんがヒートアップする。


『なら、教室で無私しちゃう?』


 誤字ではない。無視を促すメッセージはLIMEに弾かれる。だから、変換を変えてごまかすのだ。


『クラスで鬱乃森さんと仲いい人いる? 明日から虫してほしいんだけど』


 LIMEは隠語も学習するので、変換のしかたも変えていく。


 吉崎さんの書き込みに反応するやつはいなかった。


『ちょっと、鬱乃森さんをかばってるの? 誰かいるでしょ⁉︎』


 やはり、反応なし。


『私のグループじゃないし、鈴木さんのグループでもないし、佐川さんたちもちがう。野中さんたちは?』


『ちがうよ。話したこともない』


『こっちもだよ』


『私も』


 女子たちが代わる代わる返事をする。


『男子は?』


『あんな美人、一緒にいたら目立つだろ』


『いや、今日までいるのに気づかなかったんだけど』


 男子たちも否定。

 俺の分は、俺とつるむこともあるやつが返事してた。


『えっ。じゃあ、鬱乃森さんって、どのグループにもつながってないの? 本当に?』


 グルチャが、つかの間停滞する。


『馬鹿にしてる。私たちのこと無視して、いないふりして⋯⋯』


 吉崎さんがNGワードを踏むが、文脈から「ハラスメントの提案ではない」と判断されたようだ。


『グルチャにも入らないし、友達も作らないってことは、私たちと仲良くなる気がないってことじゃん! 私らには、友達になるだけの価値がないって言ってんじゃん!』


 吉崎さんがますます感情的になる。


『落ち着けって。誰と付き合うのも自由だろ』


『加美山君は優しいからそう言うけど、私は許せない! なんでクラスの絆を否定するようなことをするの⁉︎ とくべつ仲良くしなくてもいいけど、こんなみんなを馬鹿にするようなことする必要ないじゃん!』


 吉崎さんの書き込みに、十数件のいいね!がついた。


(鬱乃森は、クラスメイトを馬鹿にしてるんだろうか?)


 否定はできないかもしれない。

 すくなくとも、親密に付き合う価値がないと思ってることはたしかだ。

 鬱乃森にとってはクラスメイトは心理学的な観察の対象で、言ってしまえばモルモットにすぎない。


 これまでは誰にも気づかれていなかった。

 だが、一度気づかれてしまえば、鬱乃森の態度に反発をおぼえるやつが出てきても、まったくおかしなことではない。


『こうなったら、何が何でも鬱乃森にクラT着させようぜ』


 このコメントにも、たくさんのいいね!がつく。


『おいそれはいじめだろ』


 俺は思わずそう書くが、



『警告:あなたの発言はハラスメントに該当するおそれがあります。言い方を変えて言い直してみてください。なお、この警告はあなた以外からは見えません。問題は解決しましたか? はい/いいえ』



「言葉狩りかよ!」


 なんでクラスメイトの発言はよくてこれがダメなんだ!


「ええと⋯⋯『そういうのはよくないと思うぜ』」


『なんで? クラスの絆を強くするのはいいことだよね? どうしてそれがいけないの? 鬱乃森さんが『いやだ』っていう正当な理由なんてないでしょ。私たちのことを馬鹿にしてないならクラTを着るべき!!!!』


 いいね!いいね!いいね!⋯⋯


「ーーくそっ!」


 俺はスマホを枕に叩きつける。


 柚木もグルチャは見てるはずだが、あいつはチャットの入力に慣れてない。

 今みたいな速い流れには、口を挟むのが難しい。

 ただでさえ、チャットの暗黙のルールを呑み込めてるとは言いがたいしな。


 俺はその後も、吉崎さんをなだめようとする。

 吉崎さん本人は、しばらくするとやや冷静になったものの、一度燃え上がったグルチャはそう簡単には沈静化しない。

 文字として表示されてる以上、見るたびに怒りがぶり返す。

 心理学的には人間は自分の発言に一貫性を持たせようとするものなので、一度コメントを書いてしまえば、発言はその線で続けることになる。


(って、そんな分析してもしょうがねえだろ!)


 燃えさかるグルチャを収める方法なんてあるはずもなく、いたずらに時間ばかりが過ぎていく。


 そこで、新しい発言者が現れた。


『見てたぞ。仲良しクラスなのに、珍しくもめてるな。今日は一度チャットを閉めて、ゆっくりと休みなさい』


 そう書き込んだのは、うちのクラスの担任だ。


 未成年者の学級グルチャは、登録制になっている。

 LIMEが学校名・クラス名を認証し、担任にも参加を促して、初めてクラスのグルチャが作れる仕組みだ。

 チャットアプリはLIMEが事実上独占してるから、他アプリでグルチャを作ることは現実的じゃない。

 LIME上で裏のグルチャを作ろうとしても、メンバーが表のグルチャと大部分一致してれば、LIME側でグルチャの作成を弾いてしまう。

 もちろん、ハラスメントを防止し、未成年者の健全育成をはかるためのシステムなのだが⋯⋯。


 ともあれ、グルチャは基本的に担任が監視してると思っていい。


 LIMEの監視は、事実上、担任教師の義務に近い。

 大多数の保護者が、担任による監視を求めてるからだ。

 LIMEの監視を怠った結果いじめの発見が遅れたとして、担任教師が学校から処罰された、なんて例もある。

 LIMEが教師をグルチャの監視役としてタダで利用してるって批判もあり、文科省でも議論が始まってるらしい。


『えーっ! まだ10時だし』


 お調子者の男子が担任にからむ。


『嫌なら、親御さんのチャットにも状況を報告させてもらうぞ』


『げっ』


『勘弁してよ、下野ちゃん』


『先生が、明日鬱乃森と話してみる。だから今日はここまでにしておくんだ』


『シモちゃんよろぴくー』


『シモちゃん、話がわかるー』


『やっぱ頼れるのは絆っしょー』


 クラスメイトたちが担任教師を持ち上げる。


 うちのクラスの担任は、まだ若い体育教師で、生徒と友達感覚でつきあってる。

 いかにも今時の教師って感じの担任だ。

 しかも、大学時代に柔道で国体に出たという体育会系。


 あの鬱乃森と、相性がいいわけがない。


「やべえ」


 俺はひとり、ベッドの上で頭を抱えた。

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