24

 翌日。

 クラスに入ってきた鬱乃森に、クラス中の視線が集まった。


 鬱乃森は一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに無表情を取り戻し、自分の席に向かった。

 スカートを払い、実に優雅な仕草で席に着く。


 みな、鬱乃森のことを気にしているが、話しかけるやつはいない。

 鬱乃森はグルチャに参加していない。

 だから、事前に話を通しておくことができない。

 いきなり話しかけるのはマナー違反だから、誰も鬱乃森に話しかけられないことになる。


(一応、朝イチで鬱乃森の家に行って状況を教えたんだけどな)


 鬱乃森は、「そう」とだけ言って、学校に向かってすたすたと歩き出した。


 学校に近づいたところで、


「あなたは先に行ったほうがいいわ」


 と、鬱乃森は俺を先に行かせようとする。


「い、いや、一緒に行くよ」


「気持ちは嬉しいけど、わたしのことにあなたを巻き込むわけにはいかないわ」


「そんなこと言うな。俺にとっても他人事じゃない」


「じゃあ、べつの言い方をしましょう。あなたはわたし側の人間だと思われないほうがいいの。吉崎さん側につくような顔をして、状況を把握し、なだめられるようならなだめてもらう。

 そのほうが、事態の収拾には効果的でしょ?」


「う⋯⋯」


 綺麗に論破され、俺はスパイ役として先にクラスに入ることなった。

 といっても、クラスは既に微妙な雰囲気で、吉崎さんが話しかけてくることはなかった。

 柚木とは目があったが、アイコンタクトから察するに、あとで話そうって感じだ。


 そして、さっきの一幕になる。


 クラスに微妙な緊張感が漂う中、担任教師がやってきて、朝の会が始まった。

 教師は連絡事項を伝えた後、


「……鬱乃森」


 緊張した様子で、鬱乃森を呼んだ。


「何でしょうか?」


「この後、職員室に来なさい」


 クラスメイトたちが息を呑んだ。

 今時、教師からの呼び出しなんてそうそうあることじゃない。


「わかりました」


 鬱乃森は平然とうなずく。

 むしろ、教師の方が動揺して見えるくらいだ。





 俺と鬱乃森は、職員室に入ると、担任教師に取り次いでもらう。


「なんでおまえまでいるんだ、加美山」


 担任教師が俺を見て、いぶかしそうな顔をした。


 そう。俺は鬱乃森についてきたのだ。

 鬱乃森は必要ないと言い張ったが、鬱乃森にグルチャ上のやりとりはわからない。

 また、鬱乃森が普段通りの態度に出た場合、教師との間にいざこざが起こるおそれがあった。


「付き添いです」


 教師に言うと、


「付き合ってるのか?」


「まさか」


 鬱乃森が一言で否定した。

 ……いや、わかってたけどね。


「クラスTシャツがいらないっていうのはどういうことだ、鬱乃森?」


「ああいうの、好きじゃないので。作成は任意でしたよね?」


「そりゃそうだが、ふつうは作るもんだぞ。毎年この時期になると、生徒たちが言い出すんだ」


「毎年? 先生が特定の生徒に作るように言ってるのではないですか?」


「違うぞ。本当に自然発生なんだ。生徒たちはそれぞれ上級生ともLIMEでつながってるから、そういう空気が伝わってくるんだろう」


 なんだか不気味だな。

 ちらりと見ると、鬱乃森も俺と同じような感想を持ったらしく、片目を細め、そっと息をついていた。


 が、教師は逆に、どこか誇らしげな顔で言う。


「誰からともなく言い出して、はっきりしたリーダーも決めないまま、いつのまにかTシャツができてるんだ。すごいと思わないか? さすがデジタルネイティブ世代だよな」


「不気味ですね。誰が決めたかもわからないような、ルールとすらいえないようなものに従う気はわたしにはありません」


 ばっさりと斬って捨てた鬱乃森に、教師が絶句した。


「そ、そうか……強制はできないことだが……それでもやはり、クラスの絆をだな……」


「強制でないならやりません。強制であっても、きちんとした合意や合理的な理由がなければやりません」


「う、そ、そうだな……その自由はあるよな。でも、もうすこしこう、歩み寄りというかだな⋯⋯クラスの雰囲気を尊重するというか⋯⋯強制とか強制じゃないとか、そういう話じゃなくてだな⋯⋯」


 教師は、鬱乃森との間の緊張を取り繕うように言葉を紡ぐ。

 中身なんてない、ただうわっつらだけ優しいような気がする・・・・言葉の羅列。

 鬱乃森がはっきりと拒絶した以上、鬱乃森にクラTを着せればどうしたって強制になる。

 それを取り繕える便利な言葉なんてあるはずがない。


「そ、そういえば、鬱乃森はスマホを持ってないんだったな」


 その場の緊張感に耐えかねて、教師が話をそらした。


「はい」


「スマホくらい持ったらどうだ? 鬱乃森の家は裕福だろう?」


「家が裕福だと、どうしてスマホを持たなければならないのですか?」


「どうしてって……そりゃ、必要だろ」


 教師は信じられないという顔をする。


「みんなが持ってるものを持ってない、それもお金がないわけでもないっていうのはどうなんだ?」


「協調性がないと言いたいのですか?」


「そ、そんなことは言ってない」


 ハラスメントと取られかねないことを教師は言わない。

 今の時代、教師が生徒の協調性のなさを指摘するには、スクールカウンセラーの参考意見が必要だ。もしスクールカウンセラーが首を縦に振ったら、その生徒は念入りな「心のケア」を受けることになる。


「では、どういう意図の発言だったのでしょうか?」


「どういう意図って……言ったままだよ。今時、高校生活にスマホは必要だ」


「わたしは必要だとは思いません。授業には関係のないものですし、クラスメイトとは本来面と向かって会話をするべきでしょう。LIMEを通してではなく」


 いつのまにか周囲に他の教師が集まってきた。

 口は挟まず、ただ見てるだけ。

 いや、よく見てみると、教師たちの多くがスマホを手にしていた。


(教師のグルチャか)


 目の前にいる困った生徒への対処法を、スマホ上で相談しあってるのだろうか。

 それによって俺たちにプレッシャーをかけようとしてるのか。もしそうならなかなか効果的な方法かもしれない。


 が、教師たちは自覚的にやってるわけではないようだ。

 困ったから、反射的にスマホを見た。

 それだけのことだ。


 俺と鬱乃森は、周囲で交されてるチャットの中身を知ることはできない。

 俺の手がぬめってきた。脇や手のひらから、脂汗がにじんでくる。


 俺は、隣の鬱乃森をちらりと見る。

 鬱乃森は、やはりというべきか、いつも通りの仏頂面だ。


 俺と鬱乃森、教師たちのあいだに、居心地の悪い空気が流れる。


 そこで、教師たちをかき分けて、白髪の教師が現れた。


「スマホがいらない。結構ではないですか」


 突然、そう声をかけてきたのは、日本史教師の田邊だった。もう六十近い年齢だろう。白くて長い眉が、垂れた目の上にかぶさっている。


「今は個性を伸ばす時期。生徒に空気を読めとばかり言うのはどうかと思いますよ」


「う、いや、しかし、大事なことでしょう」


「個性を殺し、まわりに合わせることが、ですか? 文科省も経営者団体も、旧弊を破る、独創性の高い人材の育成を求めているはずですね? 

 決まりきった仕事は遠からず人工知能に代替される。人間にしかできない、感性を生かした仕事のできる人材が、これからのこの国には必要なのだと」


「そ、それはそうですが⋯⋯」


「みなさん。スマホをしまいなさい。目の前の生徒の訴えに答えるのに、どうしてスマホが必要なのです?」


 田邊の言葉に、教師たちがはっとした。


(まるで、自分がスマホを見てることに気づいてなかったみたいな反応だな)


 ばつが悪そうにする教師は、年かさのほうだ。

 若い教師は、何が悪いのかわからないという顔で、再びスマホに目を落とす。


 田邊は小さくため息をついた。


「鬱乃森さんと加美山君だったね。ついてきなさい」


 俺と鬱乃森は顔を見合わせ、おとなしく、田邊のあとについてくことにした。

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