19
お手伝いさんは、お茶とともに今日の新聞を持ってきていた。
全国紙が3誌もある。左派を代表する新聞と、右派を代表する新聞と、経済専門紙の3つだ。
「紙の新聞なんてひさしぶりに見たぜ」
「ほんと。うちも取ってないなぁ」
そのままなんとなくの流れで、ちょうど三つある新聞を三人で順番に回し読みする。
⋯⋯うん、高校生の遊びじゃないよな。
でも、やってみると案外楽しかった。
同じ政治ニュースでも、新聞のスタンスで言ってることがけっこうちがう。
LIMEニュースで記事を読む場合、こっちの好みに合ったものがAIによってあらかじめ選別されている。
自分の気分がよくなるニュースには触れやすいが、そうでないニュースには触れにくい。
ちょっと前に、日本のどこかで大きめの地震があり、何十人かの死者が出た。
それだけ大きなニュースでも、クラスの女子の中には知らないやつがいた。
なんでも、人が死ぬようなニュースは怖いから見ないようにしてるって話で、それに応じてLIMEが、災害やテロ、凶悪事件などのニュースを表示しなくなったのだろう。
「うん、まぁ、こうして見ると新聞も役に立つ⋯⋯か?」
「でもなんか、ちょっとイヤな感じだなぁ。この新聞は政府の批判ばっかだし、言いがかりみたいなこともたくさん書いてる。逆にこっちの新聞は政府をなにがなんでも擁護しようって感じで、思いこみで書いてることも多いよね」
「さらに言うなら、経済専門紙のほうは、経営者の団体と繋がってるから、財界に不利なことは書かないわ」
柚木の言葉を、鬱乃森が補足する。
「うーん。比べてみれば事実がわかる⋯⋯のか?」
「さぁ、それはどうかしらね。それぞれが自分たちの政治的立場や経済的利益に基づいて、思いこみで書いてる記事を読み比べたところで、どこまで事実に迫れるものか」
「ネットはダメ、新聞やテレビはイイ!⋯⋯なーんて単純な話じゃないんだね」
「付け加えるなら、新聞だって今の時代ネットの影響は受けているわ。
新聞記者がLIMEでつながってるのは、やっぱり主義信条の似通った相手でしょう。取材対象への取材申し込みもLIMEを通して行われるから、取材の範囲そのものが偏るのよ。
書こうとする記事の内容に沿った相手に取材し、事前に決めておいた通りの記事に仕立て上げる。そのときに、反対意見の持ち主を取材したり、現場に出て事実関係を調査したりはしてないわ。そんなことをしても、自分の新聞を読んでる人たちが喜ぶような記事にはならないもの。
最近は、ウェブ上でいいね!がつきにくい記事を書くと、デスクに怒られるのだそうよ」
昔はもう少しマシだったらしいけれど、と鬱乃森。
「そんな⋯⋯じゃあ、新聞に書いてあることも、SNSやブログに書いてあることとたいして変わらないってことか?」
「現実は、複雑すぎるのよ。短い記事でまとめきれるものじゃないわ。読み手の理解力だって限られてるから、どうしたって情報の取捨選択は必要になる。
そして、そこで捨てられてしまったニュースは、最初からなかったことになる。世の中はどうなってるかという共通した認識を持つことは、ますます難しくなってるわ。
ある人は外国が今にも攻めてくると思ってるし、ある人は国の財政はすぐにでも破綻すると思ってる。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
でも、それぞれの立場で、自分好みの情報を大量に摂取してるから、それぞれがそれなり以上の理論武装をしていて、素人には何が正しいか判断できなくなる。
いえ、彼ら自身ですら、何が正しいのかわかってないのかもしれないわ。彼らはこうなったらいいという願望を口にしてるだけ」
「いや、さすがに外国が攻めてこればいいとは思ってないんじゃ?」
「わからないわよ? 攻めてきたほうが、愛国心が盛り上がって、自分好みの言説が世の中を流通するようになる。評論家、学者、コメンテーターとしての自分の価値も上がる。自覚してやってるわけではないでしょうけれど、結果としてそうなるわ。
もっとも、じゃあ、外国が攻めてくるおそれがまったくないと言い切れるかといえば、そんなこともないわ。ただ、彼らの発言は、彼らの政治的立場と切っては離せないというだけ。
彼らの説く危機が本当かどうかは、膨大な事実関係を洗ってはじめて判断できるのだけれど、人がアクセスできる情報には限りがあるから、何が真実かは実質的には判断不能ということになる。
わかるのは、そのニュースが『好みかそうでないか』だけ。外国の横暴に対して『義憤』を示すのが好きな人もいれば、そういう嫌な話は聞きたくないって人もいる。悪いニュースでも冷静に事実関係を把握しようと努める人は少数派だわ。
結果として、左派新聞、右派新聞、経済紙それぞれの好む言説空間は、接点をなくして島宇宙になってしまう。
SNSでも一緒よ。ビッグデータの分析を通して、好き嫌いに応じた島宇宙がたくさん形成されている。人は居心地のいい自分の宇宙からは出たがらない。たまに出たとしても、他の宇宙だって好みによって支えられた島宇宙にすぎないのだから、情報の真偽は判断できない。わかるのは、保守とかリベラルとか、エコとか脱原発とか、愛国とか外国人排斥とか、その人の感情的な『好み』だけ。
だから、左派と右派が義論をしても、生産的な結果が出ることはない。それぞれ、自分の好みにあった主張をし、相手の話なんて最初から聞く気がないんだから。あらかじめ、相手を論破するためのマニュアルを用意していて、それを互いにぶつけ合い、勝った負けたは自分たちの尺度で判断する」
「うう⋯⋯難しいよう」
鬱乃森の長い演説に、柚木が音を上げた。
俺も似たような気分だ。
「ああ⋯⋯ごめんなさい。わたしも自分の関心ばかりを語ってしまったわ。悪い癖ね」
「いや、勉強になったよ」
鬱乃森が関心を持ってることには、俺も関心がある。
邪な関心かもしれないけどな。
「勉強⋯⋯。うぅん、そういうつもりじゃなかったんだけど。
わたしは自分の考えを述べるのが好きだけれど、自分の考えが絶対に正しいとは思ってないわ。変だと思ったら素直にそう言ってくれたほうが助かるのよ」
「俺の頭じゃ、鬱乃森の議論につっこみを入れるのは難しいな」
「あたしもー」
俺と柚木の答えに、鬱乃森が少し残念そうにする。
(こいつと関係を深めたいなら、少しずつでもやってく必要があるんだろうな)
議論の中身はともかく、こんなに熱心に語る鬱乃森を見るのは珍しい。
鬱乃森が、そのよく回る頭で普段いったい何を考えてるのか。
「難しい」なんて言葉で逃げてないで、俺は知ろうと努力したい。
「そうね。じゃあ、もうすこし身近な話をしましょうか」
そう言って鬱乃森は席を立ち、スクラップブックを持って戻ってきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます