16

 柚木は、無事クラスチャットに参加し、さっそく何人かの女子と仲良くなっていた。


 カースト……というほどではないが、うちのクラスにもなんとはなしにできたグループ間の序列のようなものがある。

 この序列は他のクラスとも部分的に連動しているらしい。

 たとえば、2年生の一軍のグループチャットというのがあるらしくて、そこにはルックスがよかったり部活で活躍してたりする連中だけが参加している。

 もちろん、俺は学年の一軍チャットになんか入っているはずがない。


 柚木はルックス的には十分一軍に入れそうだと思っていたのだが、柚木が今付き合っている友だちは、二軍どころの運動部の女子たちだった。


「ほら、あたしバイトがあるからさー。遊びに誘われても行けないことが多くって」


 一軍女子からの誘いを断っているうちに次第に声がかからなくなったのだという。


(俺の見るところ、それだけじゃないけどな)


 はっきり言って、柚木はかわいい。

 バイトしているだけあって応対に如才がないし、運動神経もいいらしい。


(要するに、一軍女子にやっかまれてる)


 一軍の女子ともなると、たいていの女子よりはかわいいという自覚がある。

 そこに、それ以上にかわいい柚木が加わったらどうなるか。


「運動部の子たちは部活があるからそんなに遊びには行かないからさー。時間的に合うんだよね」


 柚木はいかにも楽しげにそう言っていたので、まあ、一軍女子のことはいいのだろう。


 俺たちが、「スマホは受け取るが通信料は払う」と鬱乃森に告げると、鬱乃森は意外にあっさりうなずいた。


「スマホを受け取ってもらうのが目的だもの」


 予想通りのように言う鬱乃森にピンときた。


「ひょっとして、ドア・イン・ザ・フェイステクニックってやつ?」


 最初に大きすぎる要求をしておいて、相手が断ったら小さな受け入れ可能な要求をする。

 そうすることで、最初からの目的である小さな方の要求を通しやすくなるというテクニックだ。

 鬱乃森になんとか近づこうと読んだ心理学の本に書いてあった。


「あら、よく知ってたわね。まあ、そんなところ。本当に通信料を払ってもよかったのだけれど、ただスマホをあげると言ってももらってくれないと思ったから」


 鬱乃森がドキリとする笑みを浮かべてそう言った。


(勉強のかいがあったな)


 内心で得意になっていると、鬱乃森が真面目な顔になって言った。


「でも、ひとつだけ約束して。わたしをクラスに巻き込まないでほしいの」

「えっ? どういうこと?」


 柚木が聞く。


「加美山君も奈緒も、クラスのチャットに参加するでしょう? そこに、わたしを巻き込まないでほしい。たとえば、他のクラスメイトにわたしを紹介したりしないでほしいのよ」

「そう言うんじゃないかとは思ってたけど……なんでなんだ?」


 俺が聞くと、


「とくに理由はないわ。ひとりの時間を邪魔されるのが嫌なだけ」

「俺たちがこうやって昼休みに屋上に来るのはいいんだよな?」

「あなたと奈緒なら構わないわ。第三者はだめ」


 鬱乃森の言葉に、俺はしばし考える。


「それって、俺たちは特別ってこと?」

「うぬぼれないで。もう知り合ってしまった以上しかたがないというだけよ」


 鬱乃森のつれない言葉に、俺がっくし。


「もっとも、クラスのチャットに入れば、わたしになんか構ってられなくなるでしょ」

「そ、そんなことはないと思うけど」


 柚木が言う。


 一方、俺は、


(たしかに、チャットの対応だけで休み時間が潰れるんだよな)


 鬱乃森の言葉は正しいと思った。


(みんながつながりを求めてくる中で、それを後回しにして鬱乃森に時間を割くのは難しい)


 もちろん、俺はどうにかしてその時間を捻出するつもりではいるが。






 そんな形で、俺はスマホを取り戻し、柚木はスマホを手に入れた。


 柚木は、グルチャのタイムラインにはそんなに現れる感じではなかったが、縁のあった子とはうまくやっているらしい。


 俺の方は……あいかわらずだ。

 男子の目立たない連中とたまにチャットをして、人づてに流れてくる情報を逃さないようにしている。


 だけど、最近、連中とのやりとりに歯がゆさを感じるようになっていた。


 なんというか……響かないのだ。

 スマホゲーの話、マンガアプリの話、そういう話をしていても、当たり障りのないことしか言ってない自分に気づく。

 ただ話題だからというだけで、あまりおもしろいと思えないアプリをダウンロードして、気が向かないままプレイして、やっぱりつまらなくて、でも、連中と会ったら「おもしろかった」と言っている。誰かが「おもしろいよ」と言って勧めてくれたものをけなすなんてできないし。


 そんな欲求不満を抱えたまま、二週間が経っていた。


 もちろん、鬱乃森との関係はちっとも進まない。

 昼休みも、グルチャに参加していると毎回抜け出すわけにはいかなくなる。

 あいついなくね? みたいなことを誰かがつぶやいたりしたら、言い訳しないわけにはいかないからな。

 それでも二日に一回は屋上に通っている。

 鬱乃森は相変わらず分厚い本を読みながら、何をしゃべるでもなく、しかし俺を拒むでもなくチェアに座ってくつろいでいた。


 今日はそこに、柚木が加わった。


「あれ? ひさしぶりだな」


 俺が言うと、


「うん、昼ってなかなか抜けられなくってさー」


 柚木が申し訳なさそうに言った。


「べつに、無理に来なくていいのよ?」


 鬱乃森は、歓迎の言葉もなしにそう言った。


「いやいや。あたしは椿っちの友達を自認してるからね!」

「わたしなんかより、LIMEでつながれる普通の友達を大事にしなさいよ」


 鬱乃森が珍しく苦笑した。


「今日はどうしたの?」


 鬱乃森が柚木に聞く。


「あー……なんていうかさ。手応えがなくてめげそうになってる」


 柚木はそう言ってため息をつく。


「先週の土日に、一緒に遊びに行ったんだ。あたし、友達と遊びに行くなんてひさしぶりでさ。楽しみにして行ったんだけど」

「何かあったの?」

「くりおねべあーのデコ電車とか、白くまパフェとか、ぱんだの観覧車とか、楽しみにしてたんだけどさ」

「ああ、クマダ遊園地に行ったんだ」


 そういえば、クラスのチャットでも話題になっていた。


「そそ。あたし、くりおねべあー好きなんだ。わくわくして行ったんだよ。友達と一緒だし、絶対楽しいって思って。けど、みんな、LIMEに投稿する写真ばっか撮ってるんだよね。その場で写真をチャットに上げてさ。いいねがついたかどうか確認するの。その間、写メとかよくわかんないあたしは放りっぱなし」

「それは……」


 スマホに夢中になる「友達」と、その輪に入れず孤立する柚木の図。

 柚木の困った顔が目に浮かぶようだ。


「悪気がないのはわかるんだけどね。こっちの様子なんて見てないから、あっちは気まずいとも思ってないし。放ってかれてるって思ってるのはあたしだけ。あたしが勝手に浮いてるだけなんだ」


 はあ、と柚木がため息。


「ま、愚痴なんだけどね。徐々にスマホの操作を覚えていけば入っていけるのかもしれないし。どっちにせよあっちはスマホに夢中であたしが困ってるのには気づかないんだから、あたしがうまくやりすごせばその場は何の問題もなく終わるわけだし。でもね、思ったんだ。そんなやりかたで仲良くなっても、その友達はあくまでもLIMEの『友だち』と同じなんだなって」


 俺と鬱乃森は黙り込む。


「あたしが変なのかな。スマホが持てるようになって嬉しい! とか、うちが貧乏で苦しい! とか、バイトのシフトがきつい! とか、そういう話をしたいよ。そういうあたしの生の感情をわかってほしいんだ。でも、話すことはくりおねべあーなんだ。あたしはくりおねべあー大好きだけど、大好きって言っちゃうのは言いすぎで、もっと軽い感じで『かわいいよね~』『そうだね~』って、当たり障りのない感じで話さないとダメなんだ。軽い話のネタに、ガチで興味のあることを持ち出しちゃいけない雰囲気っていうかさ」

「なんか、わかるよ。俺も、ダチと話すのは、ガチで好きなものじゃなくて、当たり障りのないもののことだ。流行ってるものなら間違いないからな。もし相手があまり好きじゃなかったとしても、とりあえず流行ってるもののことなら、『そうなんだ』くらいで流してくれるし」


 柚木のセリフにうなずく俺。

 そんな俺たちを見て、鬱乃森が興味深そうな顔をした。


「それってつまり、こういうことかしら? 『私はこれが好きなんだ』と言ってしまうと、相手が違う意見を持っていた場合に、相手に心にもない同意を求めることになってしまう。その上、万一反論でもされたら自分が傷つくことになる。だから、あえて当たり障りのない話題を選ぶ」

「あいかわらず容赦なくまとめるな。でもまあ、そんな感じだ」


 俺がうなずくと、


「でも、もし自分が好きなものを、相手も好きだったとしたら、話がとても盛り上がる可能性もあるわよね?」

「まあ……そうだな」

「その可能性を捨ててでも、自分が好きなものを嫌いと言われたり、相手に嫌いなものを好きと言わせてしまったりするリスクを避けたいの?」

「うーん……そう言われると。だけど、互いの『好き』が一致する確率はかなり低いだろ? 高いリターンを求めて、そんなリスクを取る気にはなれないよ。大事なのは、関係が悪くならないことであって、よい関係を築くことじゃないから。って、めっちゃ冷たく聞こえるかもだけど」


 俺と鬱乃森の会話を聞いて、柚木が手を打った。


「そ、そういう感じだよ! みんな、仲良くなろうとはしてないんだ! 仲が悪くならないようにしようとしてるんだ! だから、あたしから近づくと遠ざかっちゃうんだね!」


 柚木が明るい顔になる。

 ……いや、言ってる中身はちっとも明るくないんだけどな。


 柚木は、俺と鬱乃森を交互に見てから言った。


「だから、あたしらの関係は特別なんだね! クラスの子たちとも付き合ってくけど……これからもよろしくね、椿っち、ユージン!」


 笑って言う柚木に、俺と鬱乃森は思わず顔を見合わせ――


「ぷっ」

「ぶっ」


 同時に噴き出していた。


「あっ! ちょっと、なんで笑うのさ!」


 頬を膨らませて言う柚木に、俺と鬱乃森は揃って腹を抱えて、なかなか返事ができなかった。

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