13

 トイレに行ってから特別教室に行くと、席があらかた埋まっていた。

 空いてることは空いてるが、LIMEでからんだことのないクラスメイトの隣に座るのも気詰まりだ。

 俺が入り口で困っていると、


「ユージン、ユージン!」


 小声で、少し離れた席にいた柚木が俺を呼んでくれる。

 見れば、隣の席が空いている。


「悪い、ありがとう」

「どういたしまして」


 俺と柚木は小声でささやきあう。

 他のクラスメイトはグループで固まっていたり、LIMEをやっていたりして、教室の空気はぴりぴりしていた。


(鬱乃森は……ああ、いるな)


 教室の隅に、ひっそりと純和風の黒髪美少女が座っている。

 鬱乃森は俺の視線に気づくと小さく眉を上げた。

 彼女なりの挨拶だろう。


 授業が始まる。

 田邉の日本史だ。

 今日は戦国時代を扱った映画の上映。

 白黒のかなり古い映画で、画質も音質も悪い。

 最近のスマホに慣れた高校生にはちょっときついクオリティだ。


 隣に座る柚木は、頬杖をついてうつらうつらと船を漕いでいる。

 途中、がくんと顎が落ちて、柚木が目を覚ます。

 柚木はあくびを噛み殺しながら、ノートに何かを書いて俺に見せてきた。


『映画つまんないね』

『そうだな』


 俺もノートに返事を書く。


『眠くなるー。なんか面白いこと話して』

『話ってのは面白くなくてもいいらしいぞ。ソースは椿』

『バイト先のお客さん、話うまいよ? あ、バイトしてるのはファミレスね』

『そりゃ奈緒を口説きたいんだろ。気をつけろよ?』

『やさしー。もしかしてあたしのこと口説いてる?』

『そんなわけないだろ』

『わかってるよー。加美山くんの本命は椿ちんでしょ』


「しっしっし」


 と言いながら、柚木が俺の脇を肘で突いてくる。


 俺は、ちょっと考えてから返事を書く。


『協力してくれるか?』

『えっ、マジ?』

『うん』

『おおー! おめでとう!』

『いや、付き合ってもないのにおめでとうじゃないだろ。実際フラれる確率がどう見ても高そうであきらめたくなる』

『案外、そうでもないんじゃないかなぁ? ま、一筋縄でいかないのは確かだねぇ』


 柚木が俺の顔をまじまじと見てくる。

 顔が赤くなるのがわかって、俺は柚木から目をそらした。

 そらした先に、ちょうど鬱乃森がいて、鬱乃森はちょうどこっちを見ていた。

 要するに目があった。

 あわてて目をそらす俺。


『ういういしいねえ』

『うるさい』

『あたしでよければ協力するよ。だけど、もちろん、お互いの気持ちが大事なんだからね』


 つまり、鬱乃森にその気がなかったらあきらめろってことだな。


『それでいいよ。嫌がってる相手を無理に口説いたってしょうがない』

『なかなか言うじゃん』

『しかし実際問題どうすりゃいいんだ? とっかかりがなさすぎる』

『そうなんだよねー。椿ちんは謎の美少女だからねー』

『クラスの奴らを見てると、まずはLIMEを交換して当たり障りのない話題から距離を詰めてくみたいなんだが』

『椿ちんはスマホ持ってないし。それどころかスマホ嫌いみたいだし。あたしからすればゼイタクな悩みなんだけどなー』

『柚木はやっぱりスマホがほしいか』

『そりゃそうだよ。友だちできないじゃん。まあ、ユージンや椿っちとは出会えたけどさ』

『バイト先ではどうなんだ?』

『似たようなもんだねー。シフトの申請も、お客さんからの注文も、業務用端末に入力するだけで済んじゃうし。極論、他店の知らない人がいきなりシフトに入っても普通に回るよ。LIMEの飲食店オペレーション支援機能が便利でさ』

『へええ』


 ノートの上に、柚木の色ペンの文字と、俺のシャーペンの文字が交互に並ぶ。

 手動のLIMEチャットみたいだな。


『ま、あたしに任せてよ。弟たちのことで慣れてるからさ』

『頼みます柚木先生』

『うむ。といっても具体案はない』

『ないのかよ』

『とりあえずは、ランチの時間を大事にしよ。そこで話題を広げて、椿っちのことをもっと知るんだ。敵を知り、己を知ればってやつ』

『なるほど』

『ユージンは何か知らないの? 椿っちの好きなこと』

『よく本を読んでるよな。文学っぽいのも読んでるけど、いちばん読んでるのは心理学の専門書みたいだ』

『うーん。とっつきづらいね。あたしらバカだし』

『俺はそんなにバカじゃないぞ』

『へっ? 意外と成績よかったの?』

『クラスで5番くらい』

『うーん……微妙。椿っち、学年トップだもんね』

『一応、県の図書館に行って、鬱乃森が読んでた本を借りてきたんだ』


 俺はカバンを開いて、中から分厚い心理学の専門書を取り出す。


『うわっ! 重っ! 厚っ! こんなの読めるの?』

『読んでみたら、意外と読みやすかった。大学の教科書くらいのレベルらしい。高度な予備知識がなくても読めることは読める。問題は、分厚すぎてなかなか進まないことなんだけど』

『なんてけなげなやつなんだ、ユージン。好きなコのためにそこまでするなんて。本気だね!』

『からかうなよ。俺はどうしたらいいかわからないだけだ。少ない情報に飛びついただけだよ』

『でも、あなたの読んでる本を読んでみました! って、ちょっと重いかもね』

『……だよな』


 べつに勧められたわけでもないのに、相手の読んでる本をチェックしたなんて、相手からしたら気持ち悪いかもしれない。


『これはあくまでも、鬱乃森の趣味を知るための努力だ。これを話題にするのは、よほど話の流れがよくない限りやめようと思ってる』

『うん、正解だと思うよ。難しいなぁ……』

『普通、高校生なら、自分がそんなに好きではなくても、流行ってるものを他人との話題用にチェックしておくじゃん? でも、あいつがそんなことするわけがないし』

『うんうん』

『かといって、あいつの趣味?って、俺たちから見て高度すぎるだろ。心理学はまだとっかかりがある方で、化学の実験だとか、機械工作だとか、プログラミングだとか、数学の未解決問題についての論文だとか……どうやってついていけと?』

『うーん……』


 柚木が黙り込む。

 いや、最初から黙って筆談してるんだけど。


『何も、趣味が一致してる必要はないと思うんだ。椿っちはそういう頭良さげなのが好き。でも、ユージンは別のものが好き。だったら、ユージンが好きなものを椿っちにわかってもらうのもいいんじゃない?』

『な、なるほど……それは盲点だった』


 俺は最初から鬱乃森に合わせることばかりを考えていた。

 でも、カップルってそういうもんじゃないはずだ。

 お互いに好きなものがあって、時には意見も合わないけれど、それでも一緒にいることを楽しめる。

 それがカップルなんじゃないだろうか。


『でも、そうは言ったってなぁ。俺、自分で言うのもなんだけど超普通の高校生だぜ? マンガ読んでゲームしてLIMEで友達とチャットする。あとは試験前になったら勉強する。俺に個性なんてないよ』


 書いててだんだん自信がなくなってきた。


『恋愛は、マウンティングじゃないんだからさ。どっちが優れてるとか、どっちが個性的だとかはどうでもいいんじゃない? 普通だからこそ落ち着くってこともあると思うし』

『鬱乃森の好みのタイプってどうなんだろうな?』


 俺の質問に、柚木のペンが止まる。


『うわ、想像つかないねー。まずはそっから聞き出したい! 面白そうだし』

『おい、目的を忘れないでくれよ?』

『実際、いい手だよ。最初からがっついて近づこうとしたら相手も構えるじゃん。今はユージンの熱い想いは胸に秘めておいてもらって、まずは椿っちと仲良くなって、もっとよく知ることだよ』

『そうだな。それも、俺と鬱乃森だけじゃなくて、柚木にもいてもらった方がいい気がする。親しくない男とサシじゃあの鬱乃森だって警戒するだろ』

『かもね。ま、椿っちはあたしにとっても友だちだ。仲良くなるのには賛成』


 俺と柚木の紙上チャットがまとまったところで、映画も終わった。


「映画の感想を書いて提出するように」


 田邉のセリフに、映画をろくに見てなかった俺と柚木は冷や汗をかいた。

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