11
「二人とも、ごめん!」
柚木が、例の頭を下げて合掌した両手を前に出すというポーズをとる。
「あなたが理由もなしに遅れるとは思えないわ。どうしたの?」
鬱乃森が聞く。
「弟が熱出しちゃってさ。母さんが帰ってくるまでついてなきゃいけなくなっちゃって」
「そういうことならしかたないじゃない。それより、何か飲む? といってもここはホットかアイスかしか選べないけど」
「ごめん、あたし、コーヒーがダメでさ」
柚木が少し声量を落として言った。
「アイスティーでよければ出すよ」
カウンターからマスターがそう声をかけてくる。
「えっ、いいんですか?」
鬱乃森が珍しく驚いてそう言った。
「そういうお連れさんもいるからね。アイスティーはサービスだ。お代はいらない」
「そんなわけには……」
「君も、さっき言っていたろう。一銭五厘だと思いなさい」
笑って言うマスターに、鬱乃森が困った顔をした。
鬱乃森が、珍しくやりこめられている。
ウェイトレスが持ってきたアイスティーを、柚木がぐびぐびと音を立てて飲んだ。
「はああ。ここまで走ってきたから喉乾いてたんだ。ありがとう、マスターさん」
「どういたしまして」
鬱乃森が席を詰め、そこに柚木が座った。
柚木の今日の格好は、ホットパンツにタンクトップ、七分袖のパーカーというものだ。
ボーイッシュで活動的な柚木にふさわしい。
「椿っち、超エレガント!」
「ありがとう。奈緒も似合ってるわ」
俺の前で、美少女二人が互いの服装を褒め合っている。
こうしていると、鬱乃森も女子なんだなと思えてくる。
「それで、どうしようかしら。見る予定だった映画は時間をすぎてしまったわね」
「そうなんだよね。よかったらなんだけど、これはどう?」
柚木がパーカーのポケットから、チケットのようなものを取り出した。
「動物園?」
俺が言うと、
「うん。母さんの仕事場なんだ」
「へええ。飼育員ってこと?」
「そそ。今日は朝から担当してる動物の出産だったんだよね。それが終わったら弟の熱だし。母さんも大変だわ。で、友達を待たせちゃったんならってことで、この券をくれた」
俺と鬱乃森は顔を見合わせる。
「いいんじゃないか?」
「わたしもいいわ」
「じゃ、決定だね!」
笑顔で言った柚木だったが、直後、ぐーっと腹の音がした。
柚木が腹を押さえて赤くなる。
俺は言った。
「まずはメシだな」
昼飯を駅前で済ませた俺たちは、電車に乗って動物園までやってきた。
そんなに大きな動物園じゃない。
土日にもかかわらず、人混みというほどではなかった。
「あっ、見て! あのカバ!」
柚木が目を爛々と輝かせて、次から次へと動物の檻に近づいていく。
「ひゃっはー! キリンだぁっ!」
これも柚木。
「おおお、今日は象が起きてるぞ! これはレアだ!」
もちろんこれも柚木。
「コアラだわ!」
これは鬱乃森。
「サル山よ! しかもちゃんと生態展示をしてるから、サルの序列がちゃんとわかる!」
これも鬱乃森。
「ゴリラのマウンティングよ! 本物は初めて見たわ!」
……うん、これも鬱乃森である。
「おいおまえ、キャラが壊れるくらいテンション上がってんな」
思わず鬱乃森にそうつっこむ。
鬱乃森は少し顔を赤くして、
「だ、だって、思った以上にレベルの高い動物園だったんだもの」
「そうなのか?」
「ええ。単に動物を飾ってるだけじゃなく、動物の生態が伺えるよう、いろいろな工夫をしているのよ」
「椿っち、さすがぁ。そのせいで予算がなくて、職員はひいひい言ってるんだけどねー」
柚木がそう補足する。
「でも、椿っちがこんなに喜んでくれるとは思わなかったよ。これなら最初からこっちにすればよかったね!」
来た時間が遅めだったので、もう日が暮れかけている。
未練ありげな鬱乃森を引きずるようにして、俺たちは動物園を後にした。
その、帰りの電車。
「高校生になっても、遊べるもんだな」
俺は一日を振り返ってそう言った。
「わたしも、貴重な経験をさせてもらったわ」
「まさか、待ちぼうけが?」
「まさか。動物園よ」
鬱乃森がくすりと笑う。
「でも、最近は大変なんだよ。みんな、インターネットで見て満足しちゃうから、あんまり動物園にまで来ないんだってさ」
「ああ、そうかもな」
スマホがある時の俺だったら、仲間内でグルチャして、適当に流れてきたネタに反応して、それで一日が潰れている。
動物が見たい?
LIME動画にいっぱいアップされてるでしょ。
そう言われるのがオチだ。
「二人が楽しんでくれてよかった。ほら、高校入って初めての友達じゃない。ちょっと緊張してたんだよね」
柚木が言う。
「そうなのか? とてもそうは見えなかったけど」
「そうなんだよ! ほら、あたしってばスマホ持ってないし。話が合うか不安でさ」
たしかに、もし今日柚木と会うのが俺だけだったら、間がもたなかった可能性は高い。
何を聞いていいのか、何を聞いたら地雷なのかがまったくわからないから、俺から話を振るのも難しかっただろう。
「鬱乃森のおかげだな」
俺は言う。
「わたし?」
鬱乃森が、意外そうに言った。
「俺はスマホ持ってる側の人間だったし。スマホなしで遊べって言われたら、何をしていいんだかわからなかったと思うよ」
「まず、あなたが奈緒みたいなかわいい女の子相手に、デートまで漕ぎ着けられたとしての話ね」
「わかっとるわ」
サドい顔で言ってくる鬱乃森にそう返す。
「でも……そうね。奈緒は、クラスの中心にいていい女の子だわ。それができていないのはスマホがないせい、か」
鬱乃森は、なぜか複雑そうな顔をした。
そして言う。
「決めた。わたしは、奈緒と――ついでに加美山くんに、プレゼントをあげるわ」
「プレゼント?」
いきなりよくわからないことを言い出した鬱乃森に聞き返す。
「二人の誕生日は、ちょうど今月過ぎたところでしょう?」
「な、なんで知ってるんだよ」
「クラスメイトの情報は把握してるわ」
ああ、あの手帳に書いてあるのか。
「ちょっと遅い誕生日プレゼントね。明日――は、ちょっと間に合わないでしょうけど、明後日を楽しみにしていて」
そう言ってひとりで笑う鬱乃森に。
なんとなく、俺は不安なものを抱いていた。
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