10

 昼休み。

 定例となった屋上でのランチの最中、柚木がだしぬけに言った。


「遊びに行こうよ!」


 俺と鬱乃森は、まるでまぶしいものを見るように目を細めた。


「ど、どうしてそんな顔をするのさ!」

「だって……なあ?」

「何が『なあ』なのかは知らないけれど、きっと理由は違うわ。わたしは友達と遊びに行くという発想に斬新さを感じてショックを受けたのよ」

「俺は、LIMEでのグルチャを通さずに遊びの約束をするなんて小学校低学年以来だなと思ったんだ」


 不思議そうにする奈緒に、俺と鬱乃森がそう答える。


「ふぅん? よくわかんないな。うちの弟なんてみんなそうしてるよ。でも、スマホ持ってる人は誘ってもこないんだってさ。なんでだろ?」

「そりゃ、行くとなったら親に許可を取って、向こうの親に挨拶しなきゃいけないだろ。遊んだ後は、親が向こうの親に電話してお礼を言って、場合によっては菓子折りを持っていく」

「うっわ。めんどくさ! そんなことやってるの!? 子どもの遊びじゃん!」


 柚木が信じられないという顔をする。


「親は遊びに行っていいと口では言うけど、向こうの親とのやりとりにくたびれはててるのを見ると、あ、気軽に行っちゃいけないんだなって思うよ」

「なるほどねぇ……うちなんか、弟の友達が遊びに着てもお菓子も出さないよ。弟たちがわーわー言って遊んでるだけ。親も当然だと思ってるから挨拶なんていちいちしないし」

「はぁ~、そういう世界もあるんだな」


 俺は思わず感心した。


「で、どうなの?」


 柚木が、ずいっと迫って言ってくる。


「いいわよ」


 鬱乃森が、案外気さくにそう言った。


「俺もいいぜ。でも、遊ぶって何をするんだ?」

「そんなにお金のかからないことだねー。映画見て、ファミレスでおしゃべり、みたいな」

「おお……」


 なんか高校生っぽい!

 柚木と二人だったら、デートと呼んでも差し支えないくらいだ。


(女子二人に俺一人ってどうなんだ?)


 しかも、タイプの違う美少女が二人である。


「待ち合わせはどうするの?」


 鬱乃森が、妙なことを言い出した。


 思わず首を傾げる俺。


「待ち合わせ? そんなもん、LIMEで……あっ」


 ここにいる三人は、揃ってスマホを持ってない。


「駅前のよくわかんないオブジェみたいな像の前に、11時でどう?」


 柚木が言った。


「いいわ」

「わかった。遅れないようにしないとな」


 スマホがないから、アラームをかけることができない。

 テレビの自動オン機能でも使うしかないか。

 土日は普段、昼まで爆睡の俺である。


 そんなわけで、俺たち三人は休日に待ち合わせをして遊びに行くことになった。


 俺は遅刻しないかと心配していたが――遅刻したのは、予想外の奴だった。





「来ないわね」


 鬱乃森が、左手首に巻いた高級そうな腕時計を見下ろしながらつぶやいた。


 今日の鬱乃森は、黒いドレスのような私服である。レースが多いが、ゴスロリというほどではない。腕には肘まで覆う長い手袋。膝を隠す長めのスカートに、パンプスと黒いストッキングという出で立ちだ。

 良家の令嬢のような格好である。

 いや、「金はある」とか言ってたから、本当に良家の令嬢なのかもしれないが。

 普通だったら服に着られる状態になりそうなエレガントな格好だが、鬱乃森が着ると、むしろ服の方が引き立て役になっている。


 俺と鬱乃森は、待ち合わせ場所である、駅前の「よくわかんないオブジェ」の前にいた。


「ああ。もう11時半だ。三十分も遅れるなんて、何かあったのかな」


 俺たちが言っているのは柚木のことだ。


 今回の言い出しっぺである柚木が、まだ着いていないのだ。


 こんな時に、LIMEで連絡が取れないのはもどかしい。

 駅に行って、電車が遅れてないかを確認したが、遅延は発生していなかった。


 そうこうするうちに、アスファルトにぽつりぽつりと黒い染みができてきた。

 俺の顔にも雨水が当たる。

 俺は空を見上げ、手のひらを上に向けながら言う。


「雨かよ。弱ったな」


 雨脚は徐々に強くなっていく。


「しかたないわね。近くに行きつけの店があるから、そこに避難しましょう」


 鬱乃森がそう言って、俺が返事もしないうちに歩き出す。


「ここか? なんか高そうな喫茶店だな」

「わたしが出すから気にしなくていいわ」

「いや、さすがに出すけどよ」


 言い合いながら、やたら雰囲気のある古びた喫茶店に入った。

 ゆるくジャズが流れていて、店内にはマスターがグラスを磨く音だけが響いてるような、そんな店だ。


 店内には、他の客の姿は一切なかった。


 俺と鬱乃森は、ウェイトレスに案内されて席に着く。


 メニュー表を開いて、俺は目ん玉が飛び出しそうになった。


(コーヒーが一杯1200円だと……)


 どんな高級な豆を使ったらそんな値段になるのか。

 しかも、メニューには他の飲み物が書いてない。

 1200円コーヒー一本である。

 ケーキくらいはあるようだが。


 俺の様子を見て、鬱乃森が噴き出した。


「ぷっ……心配しないでいいわ。ここの払いはわたしがするから」

「い、いや、そんなわけには……」

「スマホが壊れてお金が入り用なんでしょ? わたしにとっては大した額じゃないから気にしないで。店を選んだのはわたしだし」

「う、だ、だが……」

「男の沽券に関わるとか思ってるなら、筋違いもいいところよ。経済力に応じて応分の負担をする。それでいいじゃない」

「そ、そこまで言うなら」


 意地でも払う!と言いたかったが、1200円である。

 鬱乃森はマジで金持ちっぽいし、これ以上遠慮したらかえって機嫌を損ねるだろう。


「漱石の『坊っちゃん』を読んだことはある?」


 鬱乃森が聞いてくる。


「中学の読書感想文で読んだな。内容は覚えてない」


 赤シャツがやっつけられてざまーみろと思いました的な感想を書いた気がする。

 感想文には△が付いて帰ってきた。

 何を書けば○になったのかはいまだによくわからない。


「『坊っちゃん』の中に、主人公である坊っちゃんが職場の同僚である山嵐に、奢られた氷水の代金を返そうとするというシーンがあるわ。坊っちゃんは山嵐の悪い噂を聞いて、先日氷水を奢られたのが嫌になって返そうとするのね。でも、山嵐は受け取らない。一銭五厘はそのまま二人の机の間に置かれたままになる」

「……そうだったっけ?」


 とにかく眠かったという記憶しかない。


「そうなのよ。で、二人の誤解が解けた時、坊っちゃんはその一銭五厘を引っ込めるの。相手が信用できるなら奢られてやってもいい、ということね」

「なるほど、俺も鬱乃森を信じて奢られることにするか」

「ここからなら、待ち合わせ場所も見えるでしょう?」

「ああ……たしかに」


 窓の外を見ると、待ち合わせ場所である「よくわかんないオブジェ」が見えた。


 俺がそっちを見ている間に、鬱乃森はバッグから本を取り出して読み始めている。

 ハードカバーだが、そんなに厚くはない。

 さすがに遊びに行くのにあからさまに重そうな本は避けたのだろう。


 本を読む鬱乃森を観察する。

 おしゃれな喫茶店の窓辺で本を読む美少女。

 そのまま絵になりそうな光景だ。


 コーヒーが運ばれてきた時も、軽く頷いただけで本から目を離さない。


 俺の方は、1200円のコーヒーとやらを啜ってみる。


 ……うん、ちがいがよくわからない。

 そりゃ、缶コーヒーと違うことはわかるけど。


 窓の外の雨は、強まりもせず弱まりもしない。

 ただ、しとしとと降っている。


 いくら、鬱乃森がスマホで写メを撮って待ち受けにしたくなるほどの美少女だといっても、ずっとこのままでは退屈だ。


 なにせ、俺にはスマホがない。

 鬱乃森と違って本なんて持ち歩かないから暇の潰しようがないのだ。


 思わずあくびを噛み殺した俺に、鬱乃森がそっと視線を上げた。


「こういうの、何て言うか知ってる?」

「……いや」


 俺は鬱乃森が声をかけてきたことにちょっと驚きながら首を振る。


「待ちぼうけ、よ。今日は貴重な経験をしてるわね」

「スマホがあったら連絡がついてるもんな」


 LIMEには待ち合わせの支援機能がある。

 カメラを起動して周囲を写すと、近くにいる「友達」の姿をハイライトしてくれるのだ。

 もちろん、位置情報を使った方向案内もある。


 鬱乃森を観察していると、なんとなく、鬱乃森も退屈しているように思えた。

 目は字面を追っているが、今にもあくびをしそうな顔をしている。

 本の表紙を覗く。

 タイトルは『ゴドーを待ちながら』。

 小説だろうか。


「その本、面白いの?」

「つまらないわ」


 じゃあなんで読んでるんだよ。


「読んでみる?」


 本を渡され、開いてみる。


 数分間は、がんばった。


「……これ、何が面白いんだ?」

「だから、つまらないと言ったでしょ。前衛的な舞台の脚本ね。上演した際には客が残らずいなくなったらしいわ」

「これをありがたがってる奴の気がしれん」

「気が合うわね、わたしもよ」

「それなら、なんかしゃべろうぜ」

「何を?」


 鬱乃森に聞かれて考える。


(この場にあった会話、ね)


 クラスではいないことになってる美少女と、一杯1200円のコーヒーを出す喫茶店で待ちぼうけを食っている。

 そんな状況にふさわしい話題のストックは残念ながらない。


 しかたなく、俺はストックにあるすべらない話をすることにした。


 が、クラスメイトなら愛想笑いくらいは引き出せるはずのオチに、鬱乃森はくすりともしない。


「無理にオチをつけなくてもいいのよ?」

「その本みたいにか?」

「これは読むための本じゃないわ。評論家が高尚な議論を展開して、文学わかる俺かっけーと自慢するための本ね」

「マジでなんで読んでたんだよ」

「待ち合わせと言ったらこれだと思ったんだけど、失敗だったわ」


 鬱乃森がコーヒーに口をつける。


「わたしは笑わせるために盛った話じゃなくて、あなたの事実が聞きたいの」

「事実ね。つまんねーぞ?」

「話っていうのは笑えるからするものじゃないわ」

「そうなのか?」

「ええ。それに、あなた自体はどうしようもなくつまらない人だけれど、あなたの経験はわたしの経験とは違うのだから、わたしにとっては聞いて面白い可能性があるわ」

「……そうかい」


 エグいことを言って薄く笑う鬱乃森。

 こんなんでもかわいいと思っちゃうんだから、美少女は得だよな。


「そうだな。じゃあ、クラスメイトが普段やってる会話の話をしよう」

「へえ。面白くなさそうね」

「ちょうどいいだろ? ええっと、クラスメイトの会話で鉄板なのは、今ならパッキンだろうな。『うっへーい!』って知ってる?」


 俺は「うっへーい!」のところで白目をむき、両手で「ウサギ」を作ってそう言った。


 鬱乃森が、実に醒めた目つきで俺を見る。


 やめろ! そんな目で見られると死にたくなるだろ。


「何それ? お笑い芸人?」

「チューバーだよ」

「チュ……?」

「LIME動画の有名人のこと」

「ああ……」


 鬱乃森も、LIME動画の存在くらいは知ってるようだ。


「みんな笑うんだ。つられて俺も笑う。なんつーか、これをやったら笑うんだって決まってて、そのとおりに笑う。そうすると、これをやったら笑うんだって決まってるっていうお約束を、お互いにわかってるってことが確認できる。……なんかややこしいな。おまえならわかるだろ?」

「わかるわ。同じ世界に生きてますという証に笑うのね。本当は面白くないのに」

「いや、そこがややこしいところでさ。本当は面白くないのにつられて笑ってるんだけど、笑ったらそれなりに面白かったような気がしてくるんだ」

「無理にでも笑顔を作れば気分が明るくなる、ということは実験で確かめられているわ。心理学では古典的な実験ね」

「インテリか!」


 ビシッとつっこんでみる俺。

 鬱乃森はきょとんとしている。

 通じなかったか。

 鬱乃森向けに少し昔っぽいネタをぶっこんでみたのに。


「でもさ、そうやってみんなと馬鹿笑いをした後、別れて一人になった途端に、がくっとくるんだ。あー楽しかった、とはならないんだよな。逆に気分が沈むっていうか。虚無感? みたいな?」

「虚無感で合ってるわよ。それより、もう少しちゃんとした話し方をしたら? 女子高生じゃあるまいし」

「女子高生に言われるとは思わなかった」


 はあ、とため息をつく。


「それで?」

「えっ?」

「その続きよ。一緒に遊んで笑いあっても、場の空気で笑わされてるだけだから別れた後虚無感に襲われる。そこまではわかったわ」


 きれいにまとめるな。あ、記憶力がいいんだっけ。


「あ、ああ……だから、集まって騒ぐってこと自体、みんな限界を感じてるんだと思うんだよ。だから、最近はわざわざ集まろうとはしないんだ。LIME上で雑談したりLIMEニュースで流れてきた占いや心理テストで盛り上がったりしてる」

「そういえば、最近は高校生が外で遊んでる姿を見ないわね」


 と、現役女子高生が、妙に年寄りくさいコメントをする。


「おまえはお年寄りか。でもたぶんそういうことだ。一緒にいると笑いをとらなくちゃいけない雰囲気になる。笑いを取る方も笑う方も大変だろ。それならいっそLIMEで、『ウケる』って返した方が楽じゃん? だって、そいつら、LIMEのお笑い動画を何度も見てネタを仕込んで来てるんだぜ? 笑わなきゃいけない空気になるだろ」

「彼らのがんばりに免じて笑ってあげていたわけね」


 鬱乃森がうなずいた。


「なぜ彼らはそうまでして笑いを取ろうとするのかしら。芸人でもないのに」

「間を持たせるため、かな」

「べつにもたなくてもいいじゃない」

「気まずいだろ」

「わたしは気にしないわよ?」

「他の奴は気にするんだよ。で、気まずい場面に他の誰かが話しかけてくれると、ホッとした顔をして去っていくんだ。だからつながりを保つには意地でもおしゃべりを続けなくちゃならない。自分の顔も相手の顔もひきつってても、おしゃべりだけは続けるんだ」

「実体験があるみたいね」

「いつものことだよ」

「『空気』にしても『間』にしても、みんな存在しないはずのものをおそれてるのね」


 鬱乃森がうなずく。


「どうして、そんなにも空気を読もうとするのかしら。ちょっと気まずいくらい、よくあることだと思うのだけれど」

「ま、そりゃ……モテたいからか? そうやって笑いを取ろうとするのはだいたい男子だし」

「モテるの?」

「モテるみたいだな。くっついては別れしてる」

「安定した恋愛関係が築けてないだけじゃない。むしろ恋愛は下手なんじゃないかしら。不特定多数にモテても不毛だわ」

「それは言えてるな。同時に付き合えるのは一人なんだし」


 今時、二股なんてかけたらすぐにわかる。

 クラスの大半のカップルは、付き合い始めるとペア画というものを設定する。

 これはLIMEのその人のアカウントのトップ画面に表示されるから、相手にさとられずに二股をかけることは不可能だ。

 ……ちなみに、そのカップルが別れた時にはペア画はひっそりを削除され、別の無難な画像へと差し替えられる。俺もクラス内でそういう例を何度か見た。


「俺、思うんだけどさ、恋愛って、運命のひとりが見つけられればそれでいいんじゃないか? 不特定多数にモテたいって願望が俺にはよくわからん」

「友達が何人、フォロワーが何人、みたいな発想と同じなんじゃないかしら。こんなにも多くの異性からモテてる俺かっこいい! 俺にはそれだけの価値があるんだ! ……そういうことよね」

「俺、女子を口説くの、苦手なんだよ。かわいい子に近づいて、話ができればそれなりにうれしいけどさ。継続的な関係を持つつもりもないのに上っ面だけの言葉でいい気分にさせてお持ち帰り……なんていうのはさ……なんていうか」

「不誠実?」

「そうそう。不誠実だと思うんだよ。他のカップルみてりゃわかるけど、くっついては別れてるような奴って、たしかに外面は魅力的だけど、話してみると意外なほどにつまらないっていうかさ。逆に、見た目はそれほどでもないけど、ほどほどの相手を見つけて長く付き合ってるカップルって、なんかいいよな。男の方も女の方も感じがいいんだ」

「よく、恋愛が上手いという人がいるけれど、それはあなたのいうとっかえひっかえ型の人よね。でも、そういう人は相手と深い関係を築く力がないから次々に相手を変えているだけなのかもしれない。本当に恋愛が上手いのは、とりたててかっこいいわけでもかわいいわけでもないけど、付き合った相手のことを大切にして、長期的な関係を築いている人の方なのではないかしら」

「だよなぁ!」


 あれ……結構盛り上がってないか?


 俺は初めてこいつとの会話に手応えを感じだしていたのだが、そこで、喫茶店の扉が音を立てて開いた。



「いたっ! 椿っち、ユージン!」



 喫茶店に入ってきたのは――私服姿の柚木だった。

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