9
翌朝。
スマホを見ているみんなを邪魔しないようにそっと教室に入る。
なんとなく窓際後ろの鬱乃森の席を見てしまう。
(今日はまだ来てないのか)
だからなんだという話ではあるが、なんとなく拍子抜けしつつ、自分の席に向かおうとした。
その俺の服が、後ろから引っ張られた。
「んなっ」
「しっ」
振り返ってみると、そこには黒髪美少女の姿があった。
もちろん、鬱乃森だ。
これまで気づかなかったが、すぐそばに立たれると俺より頭ひとつ分くらい背が低い。
鬱乃森は、透けるように白い肌をしている。
いや、
(それにしたって白すぎじゃね?)
むしろ、蒼白と言った方が近いような顔色だ。
要するに、顔から血の気が引いている。
「来て」
俺は鬱乃森に黙ってついていくことにした。
鬱乃森は教室からそっと抜け出し、例の屋上前へとやってくる。
「ど、どうしたんだ? 顔色が悪いぞ」
俺が聞くと、
「……ないのよ」
と鬱乃森。
「何がないんだ?」
「手帳よ」
「手帳って……あの、クラスメイトの観察記録が書いてある奴か!?」
「ええ」
「……どこで落とした? 家に忘れたりはしてないのか?」
「家を出る時にはあったわ。教室で鞄を開けた時にもあった。そこでちょっと書き込みをして、戻した……と思うのだけれど、気づいたら鞄のいつものポケットにはなかったの」
俺は鬱乃森の言葉を頭の中で整理する。
「ってことは、教室で落とした線が強いってわけか」
「そうね……」
「ど、どうするんだよ! もしクラスメイトの誰かが拾って、面白半分にでも中身を見たら――」
「わ、わかってるわよ!」
うろたえた俺に、鬱乃森が泣きそうな顔で言った。
「おまえが登校した時クラスには誰がいた?」
「七、八人だったと思うわ」
鬱乃森がクラスメイトの名前を挙げていく。
「今時、落とし物をそのままパクるような奴はいないと思うが……。職員室は? 届けられてなかったか?」
「そ、それはまだだったわ」
ハッとして鬱乃森が言う。
冷静で頭のいい鬱乃森が忘れるなんて、よほど動転してたんだな。
「まずはそこから当たってみるか」
それにしても……もしクラスメイトに拾われて、中身をグルチャにアップなんかされてたら。
吹き飛ぶのは、存在感のない鬱乃森ではなく、むしろクラスの方である。
さすがの鬱乃森も手帳に自分の項目は設けてないだろうから、手帳が鬱乃森のものであることがバレる可能性もある。
が、鬱乃森の存在が無視されている以上、誰の持ち物かわからないままになる可能性も高そうだ。
もしそうなったらうちのクラスは疑心暗鬼でとんでもないことになるだろう。
俺は、見るからにしょげた様子の鬱乃森を連れて、職員室へ向かった。
結局、職員室に落とし物は届けられていなかった。
クラス担任にも確認したが、今朝届けられた落とし物はなかったとのこと。
朝のチャイムが鳴り、俺と鬱乃森は落ち着かないまま、今日の授業を受けることになった。
柚木とは入れ違い、始業前に話すことはできなかったのだが、鬱乃森の様子に何かを感じたのか、俺と話したそうにしていた。
休み時間、俺はクラスメイトの阪下を捕まえて、グルチャで手帳の落とし物を拾わなかったか聞いてくれと頼んだ。
けげんな顔をされたが、スマホを壊したと言うと、
「ええっ! そりゃ大変だったね……」
といたく同情されてしまった。
なお、俺が一昨日の夜からグルチャに参加していなかったことに、比較的仲がいい方のはずの阪下はまったく気づいていなかった。
「一応グルチャには流したけど、今のところ反応なしだね」
「そうか……ありがとう」
グルチャに落とし物を拾った人を探すメッセージを乗せたにもかかわらず、クラスメイトたちはスマホを見たまま微動だにしていない。
阪下に送ってもらったメッセージを見たのかどうかすら、見た目からはよくわからない。
俺は休み時間のたびに、数少ない知り合いに声をかけ、手帳を見なかったかと聞いてみた。
半数くらいはLIME上での事前やりとりなしに話しかけられたことに驚いていた。
なんとか、話しかけたうちの4分の3くらいから話が聞けたが、手帳を見たものは誰もいない。
(となると、俺の交際圏外のクラスメイトが拾ったのか? 厄介だな……)
俺は今スマホを持っていない。
知り合いじゃない相手に話しかけるには、事前にLIMEで話を通しておくのが常識だ。
それすら、グルチャで交流がない相手にいきなりメッセージを送るのは失礼だと言われている。
休み時間が終わって席に戻るたびに、俺は大きくため息をついた。
けっこううるさかったかもしれないが、クラスメイトたちはスマホを見ていて気づかない。
俺の二つ後ろの席の鬱乃森だけが、俺に申し訳なさそうな視線を送ってきた。
そのまま、俺たちは昼休みを迎えた。
俺と鬱乃森は、昼休みに入るなり、屋上へ向かった。
昨日もランチを食べたのと同じ席で弁当を開く。
「……見つからなかったな」
「ええ……」
鬱乃森も、休み時間ごとに教室の後ろや廊下、トイレなどを見て回っていた。
俺と鬱乃森が休み時間にちょこちょこと動き回っていたことになるが、気にして声をかけてくるような奴はもちろんいない。
唯一、柚木だけがもの問いたげな視線を送ってきていたが、ちょうど日直らしく、休み時間は忙しそうにしていた。
「そういやおまえって、日直はどうしてるんだ?」
「出席番号順でわたしとペアになる男子は、わたしが黙っていても勝手にやってくれるわね」
「おいおい」
「わたしも、なるべく先に仕事はするのよ? わたしがやっていれば彼はやらないし、彼がやっていればわたしはやらない。どちらかといえば、彼がスマホを見ている間にわたしが黒板を消したりしていることが多いわね」
「なるほど、黙ったままなんとなくで分担してるわけか」
俺と鬱乃森がそんな話をしていると、屋上の扉が開いた。
「やっほー! 椿っち、ユージン!」
扉から現れたのは、もちろん柚木である。
「今日はどったの? なんか、教室でもそわそわしてたけど」
柚木がいきなり核心をついてきた。
「鬱乃森の奴が、大事な手帳を落としちまってな。探してたんだ」
「手帳かぁ。うーん、見た覚えはないなぁ」
「そうか……」
ひょっとしてと思ったのだが、柚木も手帳は見てないらしい。
「午後はあたしも探してみるよ! でも、教室はもう見たんだよね?」
「教室、廊下、トイレ……朝行った場所は全部見たわ」
「そっかぁ。落とし物は?」
「職員室で確認したが、なかったよ」
「うむむ。じゃあ、誰かが拾ったのかな。拾ったのに届け出ないってのはなんでだろうね?」
柚木の言葉に、俺と鬱乃森は黙り込む。
(拾ったのに届けない理由は、あんまり考えたくないな)
個人で面白がって読んでいる。
あとでグルチャに丸上げしようと思ってる。
仲間内だけで回し見して、笑いものにしようとしてる。
鬱乃森が著者だということは、すぐにはわからないかもしれないが、名簿などを当たられたら一発だ。
その時、鬱乃森がどんな目に遭うか。
せっかくのランチライムも、盛り上がらないままで終わってしまった。
五限と六限の間の休み時間は、柚木も捜索を手伝ってくれた。
しかし、やっぱり見つからない。
今日の最終時限である六限が終わりに差し掛かった頃、俺はなんとなく自分の机の中に手を入れた。
「ん?」
何か、覚えのないものが入っていた。
俺は、それを引っ張り出す。
出てきたのは――高級そうな革の手帳。
「あったああああああああ!」
教室中のクラスメイトがびっくりした顔で俺を見た。
教壇の上で、教師も目を丸くしてこっちを見ている。
俺は赤くなるやら青くなるやらで言葉が出ない。
「う、あ、そ、その……すみません、なくしたと思ったものがあったんでつい……」
頭を下げて自分の席に座りなおす。
すると、教室の右側前の方に座る柚木がこっちを見、ウインクしながら親指を立てた。
俺はサムズアップを柚木に返し、火照った顔を冷ましながら意識を授業に戻す。
放課後、みんなが帰り始めたところで、俺は鬱乃森に捕まった。
柚木もこっちに来て、屋上前まで行く。
「ほら、これだろ。なんでか知らないけど、俺の机の中に入ってた」
俺はそう言って手帳を鬱乃森に渡した。
「ありがとう。たぶん、床に手帳が落ちてるのを見た誰かが、そのそばの席のあなたのものだと勘違いして、あなたの机に入れたのね」
「ユージンの机は置き勉でいっぱいだもんねー。何かが落ちてもおかしくないし」
鬱乃森の推理を、柚木がそう補足する。
「安心したぜ。これがよからぬ奴に渡ってたらと思うとぞっとする」
「えっ、これってそんなすごいものだったの!? 何!? 何が書いてあるの!?」
俺の言葉に柚木ががぜん食い込んでくる。
(しまった)
失言だったな。
鬱乃森が俺をぎろりと睨む。
俺は冷や汗をかきながら柚木に言う。
「こ、これはだな……そ、そう! 威力としては核兵器級の、国家プロジェクトの極秘資料で……」
「……なんで椿っちが国家プロジェクトに参加してるのさ」
「うっ。そ、その……鬱乃森は、政府に依頼されて教師や生徒の調査をしてるんだ。ほ、ほら、レストランやホテルの覆面調査員っているだろ? 今はネットで学校へのレビューが見られる時代だから、その裏付けをとる意味で、極秘裏に調査に協力してる内部協力者がいるんだよ」
でっちあげを始めた俺を、鬱乃森がさらに睨んでくる。
柚木の方は、俺のでっちあげを信じたようだ。
「えっ、ほんと? それってすごいね!」
「だ、だろ? だから、手帳をクラスメイトに見られるわけにはいかなかったんだ……」
「でも、どうしてユージンはそんなことを知ってるの? 昨日まで椿っちとは知り合いじゃなかったんだよね?」
「う……」
一瞬で破綻した。
(し、しょうがないだろ!)
嘘なんてめったにつかないんだから。
困り果てた俺に、鬱乃森が呆れたようにため息をついた。
そして言う。
「……彼には、わたしの調査に協力してもらうことになったのよ。わたしは知っての通りクラスからは浮いているから、もっと事情に詳しい人から話を聞く必要があって」
「なるほど、そうなんだ! あたしも協力したいけど、そういうことならダメか~。あたしもクラスに友達いないし」
鬱乃森のフォローに、柚木がなんとか納得してくれた。
その後は他愛のない雑談をし、三人一緒に学校を出る。
登下校路は途中まで一緒だったが、柚木はバイトがあるから駅に向かう。
徒歩通学の俺と鬱乃森だけが残された。
鬱乃森は、少し足を速めて、俺より数歩前を歩いている。
進行方向先には夕陽が沈んでいくところだ。
鬱乃森の姿は、黄昏色の背景になじんでよく見えない。
鬱乃森が、前を向いたままでぽつりと言った。
「……ありがとう。助かったわ」
俺は頬をかいて言う。
「そりゃどうも。でも、結局間の抜けたオチだったよな。まさか俺の机の中に入ってたとは。散々探し回ったのがアホらしくなるぜ。もっと早く気づけばよかった」
「それはそうだけど……わたしが言っているのは、『探してくれてありがとう』ということよ。結果が出ようと出まいと、オチがつこうとつくまいと、あなたが一生懸命探してくれたことに変わりはない。だから、ありがとう」
鬱乃森は前を向いたままこちらに顔を向けようとしない。
「おまえの手帳がクラスメイトの目に触れたら、クラスが崩壊しかねないからな。まったく、あんな危険なもん、二度と落とすんじゃねーぞ」
っていうか、昨日は俺の前でも落としてた。
万能秀才美少女のくせに、変なところで隙のある奴だ。
鬱乃森が、ため息をついて言った。
「今日ので懲りたわよ。鍵付きのカバーを買って、中身を入れ替えようかしら」
「いや、そもそも落とさないようにしてくれよ。紐かなんかで鞄と繋いでおいたら?」
「それもいいわね。昔からどうもそそっかしくて嫌になるわ」
俺は足を速めて鬱乃森の隣に並ぶ。
鬱乃森は一瞬びくっとしたが、逃げようとはしなかった。
「ま、結果よければすべてよしだ。次からは気をつければいい。落ち込むことはないよ」
「お、落ち込んでなんてないわ」
鬱乃森がぷいと顔をそらす。
その横顔が赤いのは、照れのせいか夕陽のせいか。
長いまつげが赤く染まり、やわらかな鼻や頬のラインが夕陽色に縁取られている。
隣を歩く少女の現実離れした綺麗さに、俺はしばし時を忘れた。
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