8
翌朝。
今日は時間通りに教室に着く。
教室の奥を見ると、窓際の最後尾の席に鬱乃森がいた。
例の厚い本を机に置き、窓の外を物憂げに眺めている。
(おそろしく絵になるな)
柚木が鬱乃森のことを「お姫様」と呼んでいたのもよくわかる。
俺は、他のクラスメイトの様子を見る。
多くは自分の席につき、スマホをいじっていた。
一部、席が近い者同士が小さな声でささやきあい、たまに笑い声を漏らしている。
しかし、それ以外は静かなものだ。
(結局、昨日の一限のサボりは誰にもバレてなかった)
教室で待ち構えていては帰ってきたクラスメイトに気づかれると思い、俺と柚木は鬱乃森を引っ張って階段上へ逃げ、休み時間が終わる直前を見計らって教室に戻った。
誰にも、気づかれなかった。
二限の数学で宿題が出ていたので、みなスマホを見ながら間違いがないかをチェックするのに夢中だった。
宿題が出ると、勉強ができる生徒が回答を記したノートを動画に撮り、グルチャに上げる。
他の奴らは、動画を見ながら自分のノートのページをめくり、間違いがないか確かめる。
もっとも、その場で引き写しにするような生徒はいない。
宿題という「やるべきもの」をやってこなかった生徒に対する他の生徒からの風当たりは強い。
ささいなことでも落ち度があればたちまち叩かれるのがクラスのグルチャというものだ。
教師もグルチャは見ているというが、直前に自主的な答え合わせをする分には悪くないと思っているらしい。その方が採点も楽だと。
「ユージン、おはよっ!」
突然背後から声をかけられ、俺は飛び上がりそうになった。
振り返ると、そこには柚木がいた。
「柚木か。脅かすなよ」
「教室の入口でぼうっとしてるからいけないんだよ。でも……しししっ。椿っちのことを見ていたね?」
「そ、そういうわけじゃ……」
「絵になるからねえ。気持ちはわかるよ。でも、クラスでは話しかけないでって言われちゃったからなぁ。どうしよっか」
俺と柚木が話していると、窓の外を見ていた鬱乃森がこちらを見た。
本を閉じて鞄に入れ、立ち上がって俺たちの方にやってくる。
とっさに身を引いた俺と柚木の間を通り抜け、鬱乃森が廊下に出る。
すれ違いざま、鬱乃森の唇がわずかに動くのが見えた。
ついてきて。
そう言ったように見えた。
俺と柚木は顔を見合わせ、鬱乃森の後を、少し離れてついていく。
鬱乃森が俺たちを連れて行ったのは、昨日と同じ階段上の空間だった。
「おはよう、椿っち」
「おはよう、奈緒」
「おはよう、鬱乃森」
「…………」
「なんで俺だけ無視するの!? ねえ!?」
鬱乃森は俺の抗議をそ知らぬ顔で受け流すと、開口一番こう言った。
「昨日の約束を果たすわ。これから教室で実験をするからよく見てなさい。あなたたちのクラスがどんな状態にあるか、よくわかるはずよ」
それだけ言って、鬱乃森は階段を降りていく。
「何する気なんだろ?」
「さあ……」
あいつの考えることは本当にわからん。
ともあれ、俺と柚木も教室に戻ることにする。
教室前に着くと、教室の扉の前に鬱乃森が立っていた。
鬱乃森はちらっと俺たちを見ると、何も言わずに教室へと入っていく。
鬱乃森は、すぐそばにいた女子に声をかける。
「おはよう、立花未玖さん。ちょっといいかしら?」
「……用があるなら、LIMEを通してくんない? プロフ見ないと誰だかわかんないし」
ギャル風の女子が、スマホから目を離さないままでそう言った。
鬱乃森は、その背後を通りがかった男子に声をかける。
「川越勇介くん。今いいかしら?」
「わっ! き、教師でもないのに、直接話しかけるなよ! まずはLIMEでメッセしてくれないと、心の準備ができないだろ!?」
一瞬、クラス中の視線が集まって、話しかけられた男子が慌てる。
他の生徒はこちらをちらっと見ただけで、すぐに目を伏せている。
まるで、見てはならないものを見てしまったかのように。
「う、うーん……なるほど」
廊下から一部始終を見ていた柚木が、難しい顔でそう言った。
「わかったかしら? 今の二回の会話で十分でしょ」
廊下に出てきた椿が言う。
「なんで少し得意げなんだ?」
「わたしの理論が当たっていたのだもの。少しくらい得意になったっていいでしょ」
「悪びれないな」
「悪くないもの」
椿が笑う。
控えめな笑みだが、顔がいいものだからドキリとした。
「二人とも、わたしのことを認識していなかった。せいぜい、『よく知らないクラスメイトの一人』という程度の認識ね」
こんな美人が同じクラスにいたのに話題にすらなっていなかった。
椿の言うように、みんなには「見えてない」のだろう。
そこで、朝のチャイムが鳴る。
「……ここでは目立つわね。昼はお弁当を持って、さっきの階段上に集合」
「あんな埃っぽいところで飯を食うのかよ」
「いいえ。もっといい場所に案内してあげるわ」
朝の会話はそれでおしまいとなり、俺、鬱乃森、柚木の三人は、言葉をかわすことなくそれぞれ別に教室に戻った。
そして、昼休み。
階段上に行くと、既に鬱乃森と柚木が待っていた。
「遅いわね」
「悪い。いつもは友達と飯を食ってるからな。断るのに手間がかかった」
「まあいいわ」
鬱乃森はそう言うと、スカートのポケットからキーケースを取り出した。
あの手帳と同じ革製の、ちょっとお高そうなキーケースだ。
鬱乃森はその中から電子キーを選び、階段上にある、屋上への扉のノブにかざす。
ピー、と電子音がして、扉の鍵がカチッと開いた。
「お、おい。ここは立入禁止だろ? なんでここの鍵なんて持ってるんだ?」
「これ? これは屋上の鍵なんかじゃないわ。この学園のマスターキーよ」
「マスターキーだって!? それこそ、どうして鬱乃森がそんなものを……」
「原始的な仕組みだったから、複製させてもらったのよ」
「は、犯罪だろ! ていうかそんなことまでできんのかよ」
文系少女かと思っていたが、コンピューターにも強いのか。
「さしものわたしも、LIMEばっかやってるクラスメイトに囲まれているのは気詰まりなこともあってね。こうしてセーフティハウスを用意させてもらったのよ」
鬱乃森は扉を開き、屋上へと出ていってしまう。
俺と柚木もおそるおそるその後に続く。
「ドアは閉めておいて」
鬱乃森の言葉に、俺は今出てきた扉を閉める。
扉はオートロックらしく、ガチャリと音を立てて開かなくなった。
その間に、柚木が屋上を見て声を上げた。
「ふわあ……綺麗だね!」
うちの高校は高台にある。
屋上は一面空が見渡せて、眼下には山の谷間に広がる市街地も望める。
が、柚木が歓声を上げたのは風景ではない。
屋上の真ん中にある花壇を見てのことだろう。
花壇の脇には植物菜園があり、小さなビニールハウスまである。
一方、俺は他のものに気を取られていた。
絵のキャンパスや画材、石膏像、木彫りの彫刻らしきもの。
配線が剥き出しになった何台ものコンピューター。町工場なんかにあるような工作機械が何台か。
アート系なのか技術系なのかはっきりしてほしい。
それらは屋上の上に建てられたガレージのようなものの中に収まっていた。
ガレージの奥には、よく見ると本棚もある。難しげなタイトルが並んでいて、俺には何の本だかわからない。
「なんだこりゃ」
とりとめのない物置を見て、俺は思わずつぶやいた。
「ここはわたしの秘密基地よ」
鬱乃森がにやりと笑った。
「なにせ、学校の授業が退屈でしかたなくて……抜けても気づかれない授業はサボって、ここで何かをやってるわ」
「何かって?」
「その時によってさまざまね。花を育てたり、野菜を育てたり、絵を描いたり、彫刻をしたり、工作をしたり、プログラムを書いたり」
「趣味が多彩すぎるだろ」
俺がつっこむ間に、鬱乃森はガレージからパラソル付きのテーブルを引っ張り出してきた。
椅子がそのそばに重ねてあったので、俺と柚木はあわてて手伝う。
「さあ、ランチにしましょう。今日はまだ暑すぎもせず、肌寒くもない絶好の天井日和だわ」
なんだか煙に巻かれたような気がしながらも、腹が減っていたのでとりあえず飯にする。
俺、鬱乃森、柚木が弁当の包みを開く。
俺は普通にご飯といくつかのおかず。
鬱乃森は漆塗りの高そうな箱に入った弁当で、中身は豪華な懐石風。
柚木はサンドイッチだった。
「うひゃー! 椿ちんの弁当、高そう!」
柚木が俺が言おうとして言わなかったことを躊躇なく言った。
「家の者には普通でいいと言ってるのだけれど。これくらいのものでなければ家格が保てないとかなんとか言って持たされるのよ」
「家格も何も、おまえひとりで食ってるじゃねえか」
「いいのよ。あの人たちは、もう、わたしには大して興味がないのだし……。自分たちの見栄の問題なんでしょ。わたしは美味しいものが食べられてラッキーというところね」
「なんだかよくわかんないけど、羨ましー」
「柚木さんは? もしかして、お手製のサンドイッチ?」
「そうだよー。あたしは自分の分と三人の弟の分を毎朝作ってるんだけどさ。さすがに四人分だと凝ったものは作れないんだよね」
なんか、どっちの家も複雑そうだな。
うちは平々凡々の家庭で、俺の弁当も母親が作ってくれている。
うまくもまずくもないが感謝して食っている。たまに飯が固くなっていて閉口することがあるが、文句を言うのは筋違いだ。
「ところで、朝のことだけどよ。たしかに鬱乃森が実験した意味はわかった。あんな態度を取られるんじゃ、LIMEを使ってない奴がいないことになっててもおかしくはないな」
「他にも、いくつか理由はあるわ」
「どんな?」
「ここの学校は、教室が広いように感じないかしら」
「ああ、昔はもっと生徒数が多かったんだってな。今は少子化と入試定員の削減でひとクラス当たりの人数が減ったって聞いた」
「選択教科も増えたから、クラスメイトといってもあんまり一緒にいる時間はないよね」
鬱乃森の言葉に、俺と柚木がそう相槌を打つ。
「どちらも正解ね。要するに、教室の人口密度が減った分、教室の広さにゆとりがあるのよ。以前は今の教室に40人以上の生徒がいたというから驚きよね」
「40人!? ぎゅうぎゅうだろ」
「それだけくっついていれば、いやがおうにも接点ができる。もちろん、その接点はいいものには限られないわ。柵の中に鶏を詰め込むと、つつき合って優劣を決めるという話は知ってる?」
「たしか生物でやったよな」
「昔の学校であったという『いじめ』は、そういう生物学的な原因もあったのではないかしら。今はそれが解消された。もしクラスメイトと関わりたくないと思ったら、ある程度は関わらないでいることができる。LIMEをやっていなければ、だけれど」
「なるほどな……」
こうして説明されると、クラスメイトの存在自体に気づかないという現象も、ありえるように思えてくる。
柚木が言った。
「難しい話はよくわかんないけどさ……みんなと仲良くするにはやっぱスマホがいるってことだよね?」
「仲良く……かはわからないけれど、つながりを持つには必要でしょうね。なにせ、クラスメイトたちは、学校外の時間でも、LIMEのチャットでのずっとおしゃべりをしてるんだもの。いつしかLIME上の動きの方が現実の動きよりも重要になってしまって、クラスで接点を持つのはLIMEで『お友達』になった相手だけ。それ以外の相手に話しかけられても対応できない」
「うー……それで、あたしが話しかけても相手にしてもらえなかったんだね」
「奈緒が悪いのではないわ。わたしが実験で見せたとおりよ。朝話しかけたのが、わたしでも、あなたでも、加美山くんでも同じだったでしょう」
「うーん。そういうことなら、なおさらバイトをがんばらなきゃなぁ。弟たちの世話をするのが嫌なわけじゃないけどさ、この歳から所帯じみるのもたまらなくって。なんとかおしゃれして今時の女子高生風にしようとしてるんだけど、それだけじゃダメなんだね……」
「柚木がおしゃれなのはそういうことなのか。そのシュシュ、明るめの髪によく似合ってるよ」
「ありがとー。でもこれ、300円ショップで買った奴だよ」
「マジで! けっこうおしゃれなもん置いてるんだな」
「そそ。ファッションは工夫だよー。お金をかけなくたってやりようはあるんだから!」
そんな風に語る柚木を、鬱乃森は興味深そうに見つめている。
(あの手帳に何が書かれるんだろうな)
俺も言動に気をつけないと、何を書かれるかわからない。
そんな心配をしていたのだが……その後に起きた出来事は、俺の予想の斜め上を行くものだった。
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