「すみません、遅刻しましたぁっ!」


 教室に入ってくるなり、そいつは両手を合掌して頭上にかかげ、教壇に向かってガバッと頭を下げていた。


「…………」

「…………」


 俺と鬱乃森は思わず顔を見合わせてしまう。


「へっ? あれ? みんな、いないの?」


 その間に顔を起こしたそいつが、額に手を当て、教室中を見回しながら言う。


 改めて、そいつの様子を観察してみる。

 ふわっとした明るい茶髪を、頭のサイドでシュシュを使って留めている。

 顔もリップくらいはしているが、化粧は薄い方だろう。

 目が大きく、瞳がやたらキラキラしてる。

 顔立ちはかわいいと美人の中間くらいの感じで、活発そうな印象だ。

 制服は、上は襟を大きめに開けたブラウス、スカートは短め。腰に、脱いだサマーセーターを巻いている。

 やや派手な見た目だが、ギャルというほどではない。

 教室にいたら雰囲気が明るくなるに違いない、ムードメーカータイプの女子に見える。


 のだが……


(どうして見覚えがないんだ……?)


 無害を装っていた鬱乃森と違い、目の前の女子は活発そうだ。

 クラスメイトだったら目立ってしかたがないと思うのだが。


 俺が女子の顔を凝視していると、鬱乃森が言った。


柚木ゆずき奈緒なおさんね。今日の一限は移動教室らしいわ。田邉の史跡巡りでしょう」

「おっ、君は、いつも窓辺に座って読書をしてるお姫様だね! あたしの名前、知っててくれたんだ! ありがと~」


 女子――柚木? が鬱乃森の手を握ってそう言った。


 さしもの鬱乃森も、この反応には戸惑っている。


「でも、ごめんね! あたし、お姫様の名前、知らないんだ! クラスメイトの名前もあんまりわかんないんだけど……」

「……ふう、今日は千客万来ね。鬱乃森椿よ、柚木さん」

「うつのもりさんか。どういう字?」


 柚木の言葉に、鬱乃森は空中に漢字を書いた。


「うん、一字目の時点でわからなかった!」


 柚木がからからと笑う。


「じゃ、椿っちだね」

「えっ」

「だってぇ、うつのもりって長いじゃん。あたしのことも奈緒でいいからさ」

「え、あ、う、そうね……」


 鬱乃森が困っている。

 その間に、俺は柚木に聞いてみることにした。


「なあ、悪いんだけど、俺は柚木のことを今日初めて見るよ。本当にこのクラスなのか?」

「君は……ええっと、あれだね、スマホでゲームっぽいことやってる男子だ!」


 柚木の俺への印象もそんなものらしい。

 女子からの評価がそんなだと、わかってはいてもちょっと悲しい。

 教室でスマホゲーやるのやめよかな……。


「ちょ、何落ち込んでるのさ!」

「い、いや、落ち込んでは……」

「いるわよね? クラスメイトの女子からの認識が『なんかオタクっぽい人。恋愛対象になるなんてマジありえなーい』だったのだから」

「そこまでは言われてねーよ!」


 裏の意図としてはそんなに外れてなさそうなのがキツすぎる!

 人の傷をえぐるのがうまい奴め!


「それで、悪いんだけどお名前は?」

「俺か? 加美山友人だよ」

「漢字は? 読めない漢字ってのはなしだよ?」

「なしって言われてもどうしようもないだろうが。でも俺の字はそんなに難しくない。加藤、美しい、山、友人ゆうじん

「覚えやすい! じゃ、ユージンって呼ぶね!」

友人ともひとでいいだろ!」

「あたしのことは奈緒でいいからさー」

「う、そ、それは……」


 女子をファーストネームで呼ぶだと……?


「ユージンは女子とデートをしたこともない喪男だから、柚木さんのファーストネームを呼ぶのが恥ずかしいのよ」

「うっさいわ!」

「椿っちも呼んでくれてないじゃん」

「う、でも、初対面の相手を名前呼びなんて……」


 尻込みする鬱乃森に、


「ふーん? なんだか似たもの同士だね、椿っちとユージン」

「「どこが!?」」

「そういうとこー」


 思わず声を合わせて抗議した俺と鬱乃森に、柚木が笑う。


 そこで、鬱乃森が言った。


「せっかくだからわたしと話さない?」

「椿っちと? もっちろん! 前から気になってたんだ~! すっごく絵になる子がいるなって」

「おい、俺の時と対応が違わないか?」


 俺の時はガン無視して本読んでたろ。あの、読んでる奴の人格が疑われそうな奴。


「何言ってるのよ。普段の教室でわたしに気づきもしなかったスマホの世界の住人と話したって面白くもないわ。スマホを見ている時のあなたはここにいない。スマホがなくなってすら、グルチャがどうなってるかが気になって気になって挙句の果てには死にかけてたような人間よ。あなたとわたしは住んでいる世界が違うわ」

「うっ、そ、それは……」

「ちょっと椿っち! ケンカ腰はよくないよ! さっきの話、この3人でおしゃべりするっていうんなら受ける! でも、椿っちがユージンをのけ者にするっていうなら受けない!」


 柚木の断固とした言葉に、俺と鬱乃森が柚木を見る。

 鬱乃森と柚木が見つめ合う。

 折れたのは鬱乃森だった。


「……わかったわ。奈緒の言い分が正しいことを認める」

「ふふん。ハブられる身の辛さはわかってるつもりだからねー。そういうのはスマホでも現実でもいけないよ!」


 鬱乃森が自分の非を認めた。

 その上、柚木のことを奈緒と呼んでいる。

 今の一幕に、鬱乃森が柚木を認める何かがあったということか。


「おい、俺はまだ話すともなんとも言ってないんだが」


 話が勝手に進んでいたので、なんとなく逆らってみる。

 水を差した俺に、鬱乃森が冷たい目を向けてくる。


「今から、職員室で他の教師にクラスの出かけた先を聞いて合流したい?」

「冗っ談!」


 柚木が顔をしかめて言った。

 同感だ。田邊のうんちくに付き合ってもいいことなんて何もない。うんちく、受験に関係ないし。


「将来の役に立たない授業なんて、先生の自己満だし! 授業料あたしが払ってるんだぞ! 返せって感じよ! きーっ!」

「え? 授業料自分で払ってるのか?」


 思わず聞いてから、


(あっ……触れない方がいいことだったか)


 と思った。


 が、柚木は気にした様子もなく、


「そうよ! うちは貧乏なの! なにせ弟が3人もいるし。スマホすら買えないくらいなんだから!」

「おまえもかよ」


 鬱乃森に続いて、柚木までスマホを持っていないとは。


「へっ? あたしもって?」

「わたしも持ってないのよ、スマホ」

「椿っちも貧乏なの?」

「いえ、お金ならあるわ」

「嫌みか」

「事実を言っただけよ」

「二人って仲悪いの?」

「いや……ていうかさっき初めて話したばかりだ」

「仲が良い悪いを論じられるほど接点がないわ。しいていえば路傍の石と同じくらいには仲がいいかしら。石の方がしゃべらない分だけマシかもしれないけど」

「おまっ!」


 なぜこいつはこうも俺に当たりが厳しいのか。


「柚木は、スマホはほしくないのか?」

「ほしいに決まってるじゃない!」


 柚木が、初めて怒ったように言った。


「みんなスマホ持ってるんだよ? で、よくわからないけど、それ使って『遊びに行こう』とか『宿題の範囲教えて~』とか『好きな人ができたの』『告っちゃえ』とかやってるんでしょ!? あたしが話しかけても、ライム?のアカウント名は? ってそれしか聞いてくれないんだから! 『ない』って答えたら『えっ……』ってなって会話終了だよ!」

「そ、そんなことあんのか? 柚木なら自然に友達ができそうなもんなのに」

「ユージン! 友達は自然になんてできないよ! 勇気を出して近づいて、でもうまく合わなくて気まずくなってってことを何度も何度も繰り返して、ようやくしっくり行く相手が見つかるもんなんだよ! ……って、お母さんが言ってた」

「体験談じゃないのかよ。でも、お母さんの言うことは正解かもな」


 LIMEのグルチャでもそうだ。

 グルチャで誰かのコメントに無難なコメントを返して名前を覚えてもらう。

 誰かが情報を求めてたら教えてあげる。

 そういう実績を積み重ねてから、自分と合いそうな相手に直接メッセージを送ってみる。

 でも、相手が嫌がったらそれでおしまいだ。ブロックされないうちに引き下がるのが正しい。


 柚木が、胸を張って言った。


「スマホなくして青春なし、よ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る