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「なあ……」
俺は鬱乃森に話しかける。
だが、鬱乃森は返事をしない。
俺の体調に問題がないことを確かめると、鬱乃森は自分の席(窓際の最後尾)に座り、鞄から分厚い本を取り出して読み始めた。
「なあってば」
「……何?」
鬱乃森は目を本に落としたままで短く答える。
「教室に二人しかいないのに黙ってるのは気まずいんだけど……」
「何か問題がある?」
「だから、気まずいんだってば」
「あなたが気まずいだけでしょう? わたしは気まずくないわ」
「一緒にいるのに無視するなよ」
「なぜ一緒にいると話さなければならないの?」
「そりゃ、一緒にいるのに話さなかったら変だろ」
「どうして変なの?」
そこでようやく鬱乃森は本から目を上げ、俺を見た。
「い、いや、だって、黙ってたら気まずいじゃん」
「話がループしてるわ。気まずかったら何がまずいの?」
鬱乃森が淡々と言う。
言葉はきついが、俺を責めている様子ではない。
もっとも、きつい言葉をぶつけられると、こっちは責められているような気がしてしまう。
「なんていうかさ、怖いじゃん? 黙ってると、怒ってるみたいでさ」
「わたしが怒ってるように見える?」
「……いや、見えないけど」
「ならいいじゃない」
再び、沈黙。
俺が言い返せないでいるうちに、鬱乃森が本へと戻ってしまう。
(と、取り付く島がない!)
だが、窓際で読書に興じる、黒髪がさらさらな美少女の図は、息を呑むほど絵になっていた。
美少女が、目だけをこちらに向けて言った。
「……座ったら?」
そういえば、俺はずっと立ちっぱなしだった。
「あ、ああ……」
と言って席に座ろうとするが、俺の席は鬱乃森の二つ前の席である。
教室に二人しかいない今、そこに座るのは勇気がいる。
いや、俺の席なのだが。
俺は視線をさまよわせる。
鬱乃森から目をそらし、天井を見、教室後ろのロッカーを見、なんとなくで床を見る。
床に、手帳のようなものが落ちていた。
「なんだこれ」
俺は思わずそれを拾う。
レザーのカバーがついた、ちょっと高級そうに見えるシステム手帳だ。
手帳の脇からはいくつものカラフルなインデックスが飛び出している。
俺は何気なく手帳を開き、中を見る。
『川越勇介。出席番号4番。
サッカー部所属。ポジションはFWだが大抵はベンチ。
平井明里のことをよく見ている。好きなのか?
平井明里は
そもそもタイプがぜんぜん違う。川越は見るからに体育会系で、呉川はオシャレな吹奏楽部の指揮者。平井は同じ部のトロンボーン。
あんなにあからさまに視線をかわしあっているのに、なぜみんな気づかないのか。
平井は川越の気持ちに気づいておらず、思わせぶりな態度を取ってしまっている。狙ってないなら酷い悪女。
平井は他の男子への態度も思わせぶりだ。
八方美人の姫気質。
男子にモテる自分大好き!みたいな女子である。
そんな本性に気づかず天然キャラ扱いしてる男子たちがおめでたい。
その筆頭が川越だ。
追記:
休日私服で平井と呉川が駅前のラブホテルに入っていくのを見てしまった。
持っていた一眼レフで、思わず写真を撮ってしまった。われながらナイスショット。腕を組んでホテルに入っていく二人の姿がばっちり撮れた。
翌日、プリントアウトした写真を便箋に入れ、そっと川越の机に忍ばせる。
川越が写真に気づいたのは授業中のことだ。
サーッと音がしそうな勢いで、顔から血の気が引いていく。
「どうしたのですか、君」
と教師(岡本)が川越に聞く。
「い、いえ、なんでもないです」
と川越。
あきらかに尋常じゃない涙声と震えだったが、岡本これを完全にスルー。
あれで気づかないとか逆にすごい。前から思ってたけど、あなた教師に向いてないよ。それとも、生徒の異常なんか知ったこっちゃないと思ってるのか。
川越、机に突っ伏して泣いている。
嗚呼、川越。かわいそうな男の子。
なんとかこの挫折を乗り越えて新しい恋を見つけてほしい。
バレないように声を抑えて笑いながらわたしはそう思ったのだった――』
「川越ェーーーーっ!」
思わず叫んでしまった。
鬱乃森がびくりとして言った。
「ちょっと、いきなり何よ――って、それはぁぁああっ!」
鬱乃森、本をぶん投げて立ち上がり、俺の手から手帳を奪う。
鬱乃森が、上目遣いに俺を見て言った。
「……み、見た?」
「それ、おまえのかよ! 『み、見た?』なんてかわいく言って許されるような内容じゃねえだろ!」
「う、うるさいわね。わたしが手帳に何を書こうと勝手でしょ」
「にしたって趣味が悪すぎだろ! 川越が一体何をした!?」
「……よかった、見たのはそこだけだったのね」
「そこがマシとか他はどんだけなんだよ!」
顔を赤くしてつぶやく鬱乃森にそうつっこむ。
手帳のインデックスは「あ行」「か行」「さ行」……となっている。
川越のページが「か行」だったので、他もクラスメイトの名前だろう。
俺は、おそるおそる聞く。
「な、なあ、おまえ……俺の項目にはなんて書いてるんだ?」
「聞きたい?」
「い、いや……」
絶対に知りたくない。
鬱乃森が、ため息をついて言った。
「だって、みんなわたしのことに気づかないんだもの」
「それが寂しくてこんなことを?」
「いえ、誰も気づかないのが面白くてつい」
「確信犯じゃねえか!」
見た目の美少女っぷりに騙されそうになっていたが、やっぱりとんでもない奴だ。
「でも、想像してみて。もしあなたが透明人間になったら何をする?」
「透明人間か……そうだなぁ」
真っ先に想像したのは、
「…………」
「女風呂か女子更衣室に侵入したいっていう顔ね」
「そ、そそそんなこと思ってねえよ!」
思う前に当てられたよ!
「まあ、見られたのがあなただったのは不幸中の幸いね」
「どういう意味だ?」
「あなたは皆本三樹くんや阪下英俊くんのグループでしょう? つながりはスマホのゲーム。ややオタク寄りのコミュニティで、女子はいない。灰色の青春ね」
「ほっとけ!」
「あなたならクラスへの拡散力は低いから、わたしのことが漏れる心配はしないでいいわ。よかったよかった」
「よくねえよ! こうなったら全力で拡散してやるからな!」
「誰もあなたの言うことなんて真に受けないわよ。いつも周りに合わせてるだけなんだから」
「うっせえ! 痛いところ突くなよ! それも手帳に書いてあるのか!?」
「手帳に書いてあるのは、いつも女子のふとももをちら見していることと、ギャル風の女子より清楚系の女子の方が好みらしいってことくらいね。あと、ブラ紐の透けてる女子が好き。具体的には東城寺ゆかりさん」
「当たりだよ、ちくしょう!」
グルチャに入らないわ、授業サボるわの癖に無駄に観察力高えな!
「総じてエロい。ムッツリな分暴走する危険あり。あっ、わたし今危ない……?」
「誰が襲うか、おまえみたいな腹黒女! 危ないのはおまえだろ!」
思わず指を突きつけて鬱乃森に言う。
「ねえ……黙っててくれない? 言いふらされると困っちゃうな……」
鬱乃森が、いきなり上目遣いになって言ってくる。
制服の襟から鎖骨が覗く。スレンダーな方かと思ったら、こいつ、意外と胸がある。
だが、制服の襟はひらひらと揺れるばかり。その奥にある聖域はがっちりと守られている。
俺は、鬱乃森の胸元をガン見していたことに気づき、あわてて目をそらしながら言った。
「う、い、いや、べつに、誰にも言わないけど……」
「よかった。……ふっ。ちょろいわね」
「後半も聞こえてるからな!」
顔を背け、小声で後半を言った鬱乃森にそうつっこむ。
「あーもう……なんか、おまえ相手に気まずいとか言ってたのが馬鹿らしくなってきたよ」
なんだかどっと疲れた。
俺は自分の机に鞄を投げ出し、席に座る。
「授業はいいの?」
「今から行ったらかえって目立つだろ」
「目立たないことを金科玉条にするその生きざま。カメレオンか忍者にでもなりたいの?」
「おまえに目をつけられないで済むならそれもいいかもな。っていうか、ステルスっぷりならおまえの方がひどいじゃねえか」
鬱乃森は何事もなかったかのように席に戻り、手帳をしまって、拾った本を広げている。
「……さっきから何読んでるんだ?」
「これ? 普通の人に看守役と囚人役を割り当てて閉鎖空間で共同生活をさせたらどうなるかっていう心理学の実験について書かれた本」
「どうなったんだ?」
「それがね、傑作なの。普段善良な人でも看守役を割り当てられるととんでもない悪魔になるそうよ」
「おまえらしいなと思ったよ!」
思わず机を叩いて俺が言う。
そこで、いきなり教室後ろのドアが開いた。
「すみません、遅刻しましたぁっ!」
そう言って教室に飛び込んできたのは、これまた見覚えのない女子だった。
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