最終話 壬生義狼


 芹沢鴨の葬式は新見錦の葬式と合わせて、たいそう盛大に行われた。


 隊士は全員が参加した。また、近所の者たちも大勢押しかけた。商家からは嫌われることの多かった芹沢だったが、意外と町人からは人気があったのかと思ったがそうではなく、どうやら誰しもが参加しなければ後が怖いと思っただけのようだ。


 それでも芹沢――とそして新見のために大勢の人が集まってくれるのが林にはなんとなく嬉しかった。


 けっきょく芹沢の死体を最初に発見したのは林だった。林はそのなます切りにされた死体にだんだらの羽織をかけてやり、夜が明けるまで泣き続けた。その様子に誰も声をかけることはできず、けっきょく林が泣き止む朝まで芹沢の死体はそのままにされていた。


 犯人は斉藤が言ったように長州の刺客であるとされた。それ以外に芹沢の命を狙う人間がいないとされたからだ。林もそれを信じた。信じることにした。


 あるいはどこか些細なおかしさを感じていたかもしれない。


 あの夜戦った相手、あれは誰だったのだろうか? 見知った剣筋のような気もする。それにあの声。そしてどうして斉藤は襲撃のことを知っていた?


 だがそんなもの全て、どうでもいいことだった。


 芹沢が死んだ、ただそれだけが結果だった。


 林は自らの義のありどころを失ったのだ。芹沢の力になろうと思ったその決意が水泡に帰した。もう彼には生きる意味すらなかった。


 それでもこの場にいるのはどうしてだろうか?


 それは怒りだった。林にはもう何もない。だからこそ、自分から芹沢を奪った長州に復讐してやろうと思っていた。それならばこの新選組という組織に籍を置いておくのは何かと都合が良い。


 籍を置く……。


 平間のじいやはいつの間にかいなくなっていた。おそらく長州の刺客から逃げてそのまま出奔したのだろう。もう帰ってくることはないだろうな、と林は思っていた。


 葬式が始まる。林は涙さえ枯れさせていたので、もう何も感じることもなかった。


 弔事を読んだのは近藤だ。近藤はまったく堂々とした様子だったが、しかし途中で感傷が溢れたのか男泣きをした。


「芹沢局長はわたくしたち武士の模範となるような偉丈夫でしたわ。その彼女が志半ばで倒れたのは残念でありません。わたくしたち残された新選組の隊士は『尽忠報国』という芹沢局長の信念を受け継ぎ、これからも邁進していくことをここに誓います」


 本当に偉大な人だったのだ。


 長州なんぞに殺されるべき人ではなかった。この国の未来を憂いた義狼だったのだ。


「林、残念だったな」


 葬式が終わり、ぼうっとしていると土方が話しかけてきた。これは案外珍しいことだ。土方の方から話をふられたことなど数えるほどしかないだろう。というかここ数日土方は林を避けているようだった。


 当然だ、林には知る由もないが土方は林が自分たちのやった暗殺に気付いているのかと疑っていたのだ。


 そしてその判定をいま下そうとしていた。


 もしも知られていた場合、生かしてはおけない。


「ああ、土方先生。……はい」


「長州の刺客と戦ったのだろう?」


「それは何度も報告しました。相手には逃げられましたよ、誰一人として殺せなかった」


「いや、よくやったさ。五人相手の大立ち回り。誰もキミを責めてなどいない」

 林はうつむきがちだった顔を上げた。この人はなんの話をしに声をかけてきたのだろうか? 分からない。


 林の目は深い深い穴のように虚空だった。


「土方先生……義ってなんでしょうか?」


「義?」


「はい。芹沢局長は我々は壬生の狼ではなく義に生きる狼。義狼であるとおっしゃいました」


「そうだったな」


「でも義ってなんでしょうか。国のため? 誰かのため? 土方先生はどうお考えですか」


 まさかこいつ、気付いているのか? 土方の背中に冷や汗が流れる。林の目に気圧されている。なんて哀れな目をする男だ。まるで人間ではない、なにか神がかりと対面しているような気がする。


「義とは、それぞれの中にある正義のことだろう」


「ですね」


「俺」と、土方は無理をして言った。「俺にとって義というのはこの新選組そのものだ。新選組を強くする、それだけが正義だ」


「ならば僕は……長州を討ちましょう。芹沢局長の復讐のために」


 ああ、そうか。この目は復讐者の目なのだ。土方は気がついた。


 どうやら林には刺客のことを気付いた様子はないようだった。


「そうか。これからもよくやってくれ」


 そう言って土方は林の肩を気安く叩いた。林は黙礼してその場を後にする。


 葬式会場である壬生寺から林が出ると、どこかで見たことのある女の姿があった。


「あ、あの……」


「ああ。貴女ですか」


 声をかけられて思い出す。その女は芹沢と林が初めて会った日、助けたあの女だ。


「あの、その節はありがとうございました」


「いいえ。当然のことをしたまでです」


「新選組に入られたんですね。あの、お礼も遅くなってしまい、申し訳ありません。本当はもっと早くにうかがいたかったんですが、どうしても暇がとれなくて」


「良いんですよ」


「誰か亡くなられたんですか?」


 そうか、この人は知らないのかと林は思った。


 言えば悲しむだろうか。ならば言わない方が良いのかも知れない。


「ええ。とても偉大な人が」


「そうなんですか。それがご愁傷様です。あの、女性の方は? 奇麗な金の髪をした美しい、あの人です。名前はたしか芹沢様と言った……」


「あの人には僕から伝えておきますよ、感謝に来たと」


「そうですか?」


 女性はどこか物足りなさそうな顔をしていたが、林は笑ってごまかした。


 林は小さく礼をすると歩きだした。


 一人の気安さは心地いい。この京に入った時も一人だった。その時を思い出す。対して時は経っていないのに、今よりももっと身軽だった気がするのはなぜだろう。


 林の頬を京都の生暖かい風が撫でた。


 ふと後ろを振り向く。芹沢が笑っている気がしたのだ。しかしそれは気の所為だった。


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しんせんぐみ♡義狼伝 KOKUYØ @kokuyo001

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