第11話 暗殺3
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八木邸を足早に出る五人の暗殺者たち。
このあと、近くの宿に行き着替える手はずとなっていた。そして足のつきそうなもの一切を処分し、明日の朝にはいけしゃあしゃあと隣の前川邸に戻る。
どうせ後一時間もすれば騒ぎになるだろう。そのときにはもう、五人は宿で宴会の続きをやっている。祝勝会というやつだ。
足取りは軽い。積年の恨み、というには一緒にいた期間は短かったが因縁の相手であることには間違いない芹沢を討ったのだ。気分も高揚するというもの。それともいましがた殺人をおかしてきたという高揚感だろうか。土方はこれまで何人もの人間を切ってきた。多摩の田舎にいるときからだ。しかしこれは格別だった。今までとはまったく違う。
だが他の人間はそうでもなさそうである。若い藤堂や、年長者の山岡ですら浮かない目をしている。いつも元気だけが取り柄で走り回っている原田も、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
唯一、沖田だけが何時も通り。
その沖田はスキップするような気楽さで少しだけ先行していた。だが、その足が止まる。土方を含めた後ろの四人に対して、手で「待て」としめした。
五人の行く手を阻むように、月光を背にして立っている男が一人。
「お前たち……いま、どこから出てきた」
すでに抜刀している。
抜き身の刀が月光にギラギラと光っている。
そしてその男――林信太郎の表情は氷のように冷たい。まるでやつ自身が一振りの刀であるかのような、そんな静謐な恐ろしさを秘めていた。
全員でかかるべきだ、と土方は思った。そうでなければ勝てない。それどころか、一斉に袋叩きにしようとしてもこちらの一人二人は斬られる覚悟でいかなければ。
それだけの雰囲気が林にはあった。
林は温厚な彼には珍しく、怒髪天の状態だった。しかし彼は怒れば怒るほどに冷静になり真顔になり、そして沈着とする性格だった。だから他人から見ればそれは底抜けの闇のように見えるのだ。
林の目は、五人をにらみながらも虚空を見つめている。
「僕が行きますよ」
沖田が小声で言った。
近藤には林だけはどうしても手に入れたいと言われていた。だが、土方には止めることができなかった。沖田の目、それがいつもと違うのだ。先程までの飄々とした様子から一転し、本気の臨戦態勢になっている。沖田のこんな様子、土方はこれまでに片手で数えるほどしか見たことがない。
こうなれば手助けもできない。むしろ人数がいればいるほど沖田の足手まといになる。
しなやかな動作で、沖田は刀を青眼に構えた。まったく隙きのない構え。
対して林は構えない。ただ呆然としたように刀を無造作に握っているだけだ。沖田の構えと比べれば隙だらけである。いや、隙しかないと言っても過言ではない。
それでも沖田は攻めあぐねた。なぜかは沖田にすら分からない。しかしどこから攻めいっても返されるような気がするのだ。
剣先で相手を誘うも、林はまったく乗ってこない。
それどころか悠然とした足取りで間合いをつめてくる。まるで小春日和を散歩しているような気軽さだ。
その歩みに合わせて、先に動いたのは天才沖田総司。その上段から振り下ろされた一撃はまさしく稲光のような速さだった。
しかしそれに林は無造作であわせる。
鈍い音がして刀がぶつかり合う。そんなことをすれば刀は普通曲がり、使い物にならなくなるはずだ。だが林の越中則重にはいっさいの刃こぼれもなければ不自然にひん曲がった様子もない。
一合、二合、三合と打ち合うが、林はその全てを止めてみせた。
やがて沖田の刀が使い物にならないほどに折れ曲がった。沖田は刀を捨て、不自然に右手を後ろに出した。そこに阿吽の呼吸で土方は刀を放り投げる。
林の方から攻めてきた――。
沖田は刀を受け取り、一息に抜き放つ。
間一髪、間に合った。沖田の刀が今度は林のそれを止めた。もしもできなければ今頃沖田の頭がかち割られていた。
しばらくの鍔迫り合い。沖田の方から下がった。
あの沖田が押されている。それはこれまで沖田を最強と信じて疑わなかった試衛館の面々にとって信じられない光景だった。
沖田が呼吸を深く切り替えた。それはため息にも似た深呼吸だった。
――あれを出すのか?
沖田の得意技、三段突き。それはその名のとおり一瞬で三段の突きを出すというものだが、沖田の神速にかかればこの三段の突きがまるで一度にしか見えない。沖田の天性の才能と、そして剣に対するたゆまぬ努力が生み出した誰にも真似できない奥の手だった。
突きといえば刀を寝かせて肩口から繰り出す平手突きがよく想像される。だが沖田の三段突きは違う。青眼の構えより一呼吸の間に三発の突きが決まる。その一瞬は目にも止まらない。踏み込みの足音と共に相手の頭、喉、みぞおちが潰れている。
無言のまま、沖田の呼吸が止まった。そして次の瞬間、沖田の体が消えた。
だが次の瞬間、沖田の体は伸び切った体勢で止まっていた。
三段突き、不発。
林がいつ動いたのか、誰にも分からなかった。だが、沖田の握っていた刀が根本から折れている。いや、それは折れるなんてものではない。玉鋼からつくられた刀が斬られていたのだ。
まずい、と思った瞬間に土方は短刀を林めがけて投げつけている。原田が槍を繰り出す。他の二人も刀を抜いた。
林がたまらず距離をとった。その好機を逃しはしない。
「逃げるぞ!」
土方は叫んだ。
声で刺客の正体が看破される可能性もあった。だがそんなことは言っていられない。今は足並みをそろえて尻尾を巻く必要があったのだ。
全員が走り出す。
林は追ってこない。それで土方はほっと一息ついた。
「あれが、本当に林ですか? いつものやつと同一人物ですか?」
藤堂が覆面を脱ぎ捨てて慌てたように言う。思えばこいつは大阪下りのときもいなかった。林の腕前を近くで見たのは初めてなのだろう。
「そうだ。あいつは強い、近藤局長が欲しがる理由も分かっただろう」
「飼いならせますかな?」と、年長者の山岡は顔をしかめる。
「そうするしかないだろう」
原田は困ったように笑っていた。この小さな少女はその体より大きい槍を振り回して恐ろしい割に、人懐っこい笑顔をするので皆に好かれている。林とも仲良しだったはずだ。
「お兄ちゃんはすごいのね」
そんな中、沖田だけがしかめっ面で無言である。
「総司……」と、土方はいたわるように声をかけた。
この天才からすれば人生で初めての敗北だっただろう。
「実力は、互角でした」
そんな言い訳じみた事、初めて聞いた。
「ああ」と、土方は答える。
「刀……もっと良い刀さえあれば。三段突きだって決まっていた。勝っていました!」その目にはいつにもない闘志が込められていた。「歳さん、次は負けません。かならず勝ちますからね」
「その意気だ」
沖田は笑った。
その目にはいつもよりも澱んだ暗さがあった。それは彼がその人生で初めて、自分の好敵手を見つけた瞬間でもあった。
「はっはっは! これだから剣は面白いのよ!」
女言葉でやけくそ気味に沖田は叫ぶ。
その声に、空に浮かぶ月までもが驚いたように雲に隠れた。
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