第10話 刀は越中則重3


       3


 あの刀、越中則重をどうしても手に入れたい。


 寝物語に親に聞いた越中屈指の名刀。夢にまで憧れた刀。


 佐伯は初めて見たときから林の刀が越中則重だと気付いていた。それからは寝ても覚めてもあの刀が気になり、佐伯はあの刀の虜だった。


 喉から手が出るほどに欲しかった。


 だから長州の者をけしかけて林を殺そうとしたこともあった。だがそれは失敗に終わった。


 それでも諦めきれない佐伯は、いっその事力ずくであの刀を奪おうと思った。


 それで、奪ってから新撰組を脱退する。捕まれば当然切腹だ。いや、長州の間者とバレれば斬首になるだろう。どちらにしろ命はない。


 うまくやる必要がある。


 林を誰にも気が付かれずおびき出し、密かに抹殺する。


 しかし林は夕雲紅天流の使い手だ。これもまた、父から聞いたことがある。だが所詮は古武術の一つだ。後に目がついているわけでもない。


 そうと決まれば佐伯の行動は早かった。


 屯所に帰り、それとなく準備をする。といっても新撰組の隊士たちは個人の持ち物など殆んど持ってはいない。せいぜいが刀と着物が数着程だ。佐伯もそうだった。


 変えの着物は置いていくとして、刀はもちろん腰に。


 林を探した。


 いつも林は芹沢といるが、この日はたまたま一人だった。


「ああ、林くん」と、優しく声をかける。


「あ、佐伯先生。お疲れ様です」


「うん、今帰りかい?」


「はい。少し夜店を見て回ってきました」


 ごくり、とつばを飲み込むようにして佐伯は林の腰にある刀を見る。越中則重。その刀は何よりも美しい。


「なあ、一緒に祇園にでも繰り出さないかい?」


 こうやって誘われて祇園や芸者宿に行くのは新撰組では珍しくないことだ。すぐ近くに島原もあり、とくに輪違屋という妓楼は新撰組の行きつけであった。


「え、今からですか?」


「聞いたところによると林くん、そういう店には顔を出さないそうじゃないか。駄目だよ、男なんだから女遊びも芸の内。道楽という言葉があるだろう。遊びも武道と同じ道なのさ」


「はあ。しかし僕がやっているのは武術のつもりなのですが」


 まあまあ、と押し通す。


 林がこういうふうに頼まれれば断れない性格なのはよく知っていた。


 壬生を出て、朱雀通りへと抜ける。


 そのまま島原の方向へと歩いていく。しかし途中で藪の中に入る。


「どうしたんですか?」


「こっちの方が近道だから」


 なるほど、と林は間抜け面をしてついてくる。なんの疑問も抱いていないようである。


 さて、ここらへんで良いだろうかというところで佐伯はぴたりと立ち止まった。


「なあ、林くん。月が綺麗だね」


「なんですか、藪から棒に」


「いや、ただね――」


 佐伯は刀を抜く。そのまま大上段に振りかぶり、雷鳴のように刀を振り下ろした。


 ――とった。


 裂帛の気合と必殺の間合いより放たれた一撃。これをかわすことなど、たとえ新撰組最強と言われる沖田総司でも無理であろう。そう佐伯は確信した。


 だが、刀は振り抜けない。


 途中で止まっている。


 信じられない光景だった。信じたくない光景だった。


 林が、刀の鞘ごと抜き放ち、横向きに佐伯の刀を受け止めているのだ。


「なんのつもりですか、佐伯先生!」


「知れたことよ!」


 こちらが上から押し込む形だ。競り合いでは有利と見て佐伯はそのまま力を込める。


 だが、林は片肘をつくとそのまま横に転がった。佐伯は刀をはずされ、一度距離をとる。


「まさか、誰かの命令ですか。近藤局長ですか、土方副長ですか」


「違うな」


「ではなぜ! まさか僕を長州の間者と疑っているのですか。でしたら人違いです。勘違いなされるな!」


 ぎりっ、と佐伯は歯を食いしばった。


 なんてまっすぐな思考をした少年だろう。この後におよんでまだ佐伯が悪いとは思っていないのだ。自分が襲われるのは自分に理由があると思っている。


 佐伯は自分の矮小さをはっきりと感じた。だが、それをどす黒い感情で塗りつぶす。剣の勝負では相手に情けなどかけようものなら、一瞬で斬られる。そうなれば、死、あるのみだ。


「林くん、長州の間者は俺だよ」


「え?」


「俺が、間者だ!」


 じりじりと間合いを詰める。


 林は明らかに動揺している。信頼していた人間が間者であったなどと信じたくないのだろう。


 ここで畳み掛ける。


「たらっ!」


 刀を降る。


 しかし林は躱す。返す刀でふるが、それも躱す。


 遊ばれている、と佐伯は感じた。


「なぜ反撃してこない!」


「佐伯先生、今ならまだ間に合います。長州の間者なんてやめましょう。そうすれば新撰組の隊士として生きられます!」


「バカにするな、俺は長州の人間だ!」


 しかしこれは嘘だ。


 もう長州の間者などやめた。佐伯は一個人としてここに立っているのだ。ただ自分の欲望のためだけに。越中則重を手に入れるためだけに。


 その思いがあったから、意固地になった。


 林の真っ直ぐさが直視できなくなったのだ。


「構えろ! そして戦え!」


「嫌です、知り合いを殺すなんて!」


「ならば俺がキミを殺す!」


 佐伯はまっすぐに刀をついた。それを林は刀で弾く。


 くそ、と佐伯は体を崩しながら脇差しを抜く。林の脚に突き立てた。


「くっ!」


 だが、林は辛くもそれをそらした。しかし少し切っ先が当たったのか、脚からは血がしたたった。


「本気で殺すぞ」


「どうやら……そのようですね」


 林が刀を構えた。


 剣を天に突き刺すようにあげる、八相の構えだ。夕雲紅天流は鎌倉時代に成立した流派であるから、仰々しい兜をつけることを想定している。だから正式な上段としてこの八相の構えを用いている。


「行くぞ!」と、佐伯。


「来い!」


 林は覚悟を決めたようだ。


 その次の瞬間、佐伯は自らの人生で一番の太刀筋を描いた。この一撃こそ、これまでの人生で剣術を収めてきてたどり着いた最高の一振りだった。


 だが、それが林を斬ることはなかった。


 ――紫電一閃。


 林の刀、越中則重が佐伯を袈裟懸けに切り裂いた。


 どうっ、とその場に倒れた。痛みはなかった。あまりきに切れ味が鋭く、そんなものすら感じないのだ。


 ただ、負けたのだと思った。


「佐伯先生……」


「林、ごめんな」と、思わず佐伯は謝った。


 いいえ、と林は首を横に降った。


「別に……お前の事、嫌いじゃ……なかった、ぜ」


 それが佐伯又三郎の最後の言葉となった。


 林はそのまま佐伯の死体をうっちゃって、壬生の屯所へと帰る。その目には涙がこぼれていた。林は歩きながら、臆面もなく泣いた。


 殺したくなどなかったのだ。






「芹沢局長……」


「あら、どうしたの林さん。入って」


「失礼します」


 林は芹沢の部屋に向かった。芹沢は一人で酒を呑んでいた。その手には本が持たれていたが、読み進めている様子はない。


「夜店は楽しかったかしら?」


「まあ、はい」


 行く前に芹沢も誘ったのだが、断られてしまったのだ。


「どうかしましたか?」


「……あの長州の間者を殺しました」


「あら、お手柄ね。して、誰でしたの?」


「佐伯又三郎さんです」


 芹沢はそうですか、と頷いた。佐伯は副長助勤で、芹沢も覚えていた。


「林さん、わたくしが指示した事にしておきましょう。貴方の独断となるとまた土方さんが何か言うかもしれません」


「はい」


「泣いてるのね」


「……はい」


 芹沢が手招きをする。林が寄るとガバリとその豊満な胸に顔を押し付けられた。抱きしめられ、窒息しそうになる。


「貴方は悪くないのよ。殺されそうになったのでしょう?」


「でも、殺したくなかったんです」


 あの人は、知り合いだから。


「大丈夫よ、大丈夫。林さんは悪くないわ。悪いのは全て長州よ」


 林は泣いた。その言葉が詭弁であるとしても、芹沢が慰めてくれることが嬉しかったのだ。


 林はまだ若く、知り合いの死を受け入れられるほど強くはなかったのだ。


「自分の利益のために人を殺す者は化物よ。けれど貴方は違うわ。だから貴方は人間よ。ね、だから大丈夫。貴方は何も悪いことなんてしていない」


 林は芹沢に抱かれたまま 心地よさを感じていた。


 林には親がいない。だが、今は芹沢が親のように感じた。


 けれど本当は……芹沢の事が好きだったのだ。だからもっと大人になりたいと思った。強くなりたいと。芹沢鴨という美麗な女性を側で支えられるくらいに。


 それが、芹沢に対する恩返しにもなるはずだ。


 つまりは林の義だった。


 外では夏の終わりを告げるように、物悲しい蝉が鳴いていた。それは二人を包む子守唄のようだった。


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