第10話 刀は越中則重1
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佐伯又三郎という男がいる。
新撰組にはかなり初期から入隊しており、その真面目な勤務態度とそれなりの剣の腕から副長助勤という高い位を与えられた男である。
加賀藩脱藩。といっても彼が住んでいたのは越中にある加賀の飛び地であった。そのため金沢城のある加賀地域との間に富山藩があった。といってもこの富山藩も所詮加賀藩の支藩である。元々は加賀藩の三代藩主、前田
とはいえこの富山藩と、加賀藩の地域の一部を合わせて越中国という方が通りはよい。だから佐伯は自分の出身を越中高山と言っていた。(現在の富山県)
しかしこれは嘘である。
まるっきりのデタラメではないが、虚実を入り混ぜてある。佐伯は確かに幼い頃は越中高山に住んでいたが、父親が脱藩して長州に行った。もともと武士とはなばかりの武士であり、佐伯の父親の仕事は立山信仰に訪れる修験者の道案内であった。それがたまたま祖父の代で苗字帯刀を許されただけなのだ。
名前は立山開山の立役者である佐伯
戦乱の世であるから立山信仰は盛り上がった。しかしそのため山岳案内の者も増えて需要と供給が成り立たなくなったのだ。
そんなおり、父が長州からの旅人と仲良くなり、いい仕事があるので紹介すると言うことで、加賀藩からは脱藩した。
そのため彼は少年期を長州で過ごし、青年になってから京都に出てきた。
そう、彼は長州の間者として新撰組に入隊したのだった。
しかし八月十八日の政変以降、長州の者たちは京都を追い出されている。佐伯も諜報活動がやりにくくなった。
ある日、佐伯は馴染みの芸者に会いに行った。この女は長州とつながっており、佐伯はいつも新撰組の情報をこの女に渡していたのだ。
「よういらした」と、女の口調はいつもどおりはんなりとしたものだった。
「あまり新しい情報は、ない」
佐伯は苦渋を呑むように言った。
長州の間者として佐伯はここのところ下に見られていた。八月十八日の政変の時、なにも情報を流せなかったからだ。
土方の策略により、副長助勤である佐伯の耳にもあの政変の計画は入ってこなかった。そのため、いきなり勃発したあの会津薩摩連合と長州のにらみ合いも佐伯にとっては寝耳に水だったのだ。
なんとか挽回しようとやっきになって新撰組の内情を探ったが、あまり芳しいものは出てこない。そもそも新撰組という組織の内部は大抵を近藤派が握っている。もちろん総大将は芹沢鴨であるが、たとえば夜の警邏の割り振りなどは近藤派が決めているのだ。近藤派というのは多摩の試衛館時代からの仲間であり、佐伯は違う。
そういう意味では新撰組では一番動きにくい、どちら付かずのコウモリのような立場なのだ。
「佐伯はん、うちとこも長州はんとの連絡は途切れてもうて、しょうじき伝える方法もないのやけど」
「それは、つまりもう来るなということか?」
佐伯は悟った。
女は何も言わない。だがその沈黙が全てを物語っていた。
佐伯は長州に捨てられたのだ。あるいは政変以降、本当に長州と連絡が取れなくなったのかもしれないが、そんな事はどうでも良かった。
自分は捨てられたのだ。
佐伯はやけっぱちになって走った。こうなればもう新撰組にも居られない。と、そう思っていた。今まであんな危険な事をやっていたのは、長州のためだ。そうでなければいつ死ぬかも分からぬ危険な新撰組の職務などできるはずもない。
しかしそこまでしてお国のために尽くしてきたのに、裏切られた。この時の佐伯の心情は計り知れない。
彼は自分が越中出身な事に劣等感を抱いていた。根っからの長州人ではないから、あちらでもよくバカにされた。剣の腕は真面目なのである程度は上達したが、それっきり。学問も容量は良いが天賦の才とよべるようなものは備わっていない。
そんな佐伯がお国のためにやれることといえば、京に出て危険な職務をまっとうするしかなかった。
そういう意味では新撰組はうってつけだった。入った当初は目立たなかったが、今では京都の町で知らぬものはいない。壬生狼、壬生狼と町の人は口々に恐れる。
自分ではうまくやったつもりだった。だが肝心要の長州が没落したのなら打つ手なしだ。佐伯にはどうしようもないことなのだ。
ここから逃げて、どこか遠い所で暮らそうと思った。
それこそ幼い頃に住んだ越中の地が良い。山奥の小さな村だ。町へ降りるには一日がかり。冬になれば雪に閉ざされるが、それでも物好きな修験者たちは毎日のように訪れる。そんな田舎の村に帰ろうと思った。
だが、一つ。たった一つだけ心残りがあった。
よし、こうなれば選別代わりにあの刀を奪ってやろう。そう、佐伯は鬼のように口元を曲げて決心した。
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