第8話 花と水2


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 8月の夕方とは思えないほど、肌寒い日だった。


 土方は先程から数名の同士と共に水戸屋敷の前につめている。同士というのは、


 沖田、山岡、永倉、藤堂、斎藤


 ――である。


 どれも試衛館道場の頃からの仲間であり、当然近藤派の人間たちだった。


「遅いですね」と、藤堂が苛立ったように言った。「いったい中で何の話をしているんだか」


 この男は育ちの良さそうな顔をしており、実際学もあるのだがどうしても他人を下に見る癖がある。


「まあまあ、そう慌てずに。藤堂くんはもう少し辛抱を覚えなくてはいけませんよ」


 そう諌めたのは山岡だ。柔和な表情と言葉。一事が万事この調子であるから、おそらく怒るということができないのだろう。なぜか近藤には好かれていたが、土方はこの男を毛嫌いしていた。


 この二人は、林が新撰組に入隊した時に、受付にいた二人である。


「はあ、ったくよお。無体だなあ。本当に無体だ」


 そう気だるそうに言うのは永倉である。神道無念流免許皆伝の達人、この男より強いのは、新撰組でもおそらく数名。かなりの使い手だ。


「嫌なら帰っても良いんだぞ、永倉」


 と、土方はきつく言った。


「そうツンケンする事もねえだろ。俺だって近藤さんの言ってることは分かるからよ、だからこうして付いて来たんじゃねえか」


「なら黙っていろ。まったく江戸の者はおしゃべりでかなわん」


 そういう土方は多摩の田舎の出身である。


「あ、出てきたんじゃないかしらん」


 沖田が目ざとく見つけたようだ。


「よし、行くぞ」と土方は号令をかけた。


 水戸屋敷の前にはニヤニヤと笑っている男が一人。よっぽど中での話が楽しかったのだろう。


 新見錦だ。


「あれ、新見先生じゃないですか。奇遇ですね、こんなところで」


 まず声をかけたのは神道無念流で同門の永倉だ。これは手はず通り。


「あ、なんだなんだ。お前らおそろいで。ぞろぞろとこれから呑みにでも行くのか?」


「そうなんですよ、どうですか新見先生も一緒に」


「いやあ、俺は遠慮しておくよ」


 断られる可能性も高い。それは想定内である。


 ここで伝家の宝刀の出番だ。


「ええ、僕は新見先生の話、聞きたいなぁ」


 沖田総司である。


 色白の美少女、ではなく美男子。なのだがこのさいどっちでもいい。


「お、おう。そうか?」


 新見は人形のように美しい沖田に詰め寄られて、デレデレと鼻の下を伸ばす。


「はい、ぜひ。天狗党の頃の話とか。大活躍だったんでしょ、新見先生って」


「ま、まあな。あの争乱は実質俺が仕切ってたようなもんだしな」


「ええ、俺も聞きたいです」と、若い藤堂も言う。


「自分も興味があるな」と永倉。


 ここでダメ押しの、土方。


「勉強させてください」


 頭を少し下げる。いつもは得体が知れないやつだと思っていたのだろう、その土方が頭を下げて教えを請うた。こうしてちやほやしてやれば新見も悪い気はしないだろう。


「じゃあ、ちょっとだけな」


 こうして土方たちはまんまと新見を祇園にある山緒やまのおという貸座敷へと連れ込んだ。そこにはもとより新見の分の膳も酒も用意されていたが、新見はまったく不審がることもなくそれを食べた。呑んだ。


 全員でおだて、新見の話を聞く。


 気分をよくした新見は酒も周り、やがてフラフラと千鳥足になった。


「さて、新見副長。あらためて今日は話があるのですが」


「なんだ、話?」


 なんでも言っみろ、と新見は馬鹿笑いをした。酔っていた。


「では、言います。ここで腹を斬っていただきたい」


「なっ――」


 土方が刀を抜く。


 新見はそばにあった刀をとろうとするが、それを瞬時に沖田が蹴り飛ばして遠くへやる。新見は慌てて立ち上がり、後ろに数歩歩いて壁にドンとぶつかった。


 土方は愛刀の和泉守兼定いずみのかみかねさだを突きの構えで持った。


「腹を斬っていただけないなら、ここで斬首という事になりますが。よろしいですか」


 他の者も次々に刀を抜く。居合が流儀の斎藤だけは腰だめに刀を構えて出口をがっちりと塞いだ。


「な、なぜ俺を殺す!」


 酔いのひいた青い顔で、新見が聞く。


「なぜ? 知れたことでしょう」


「お前たち、新撰組を乗っ取るつもりか」


「もとよりあれは誰のものでもありません。指揮系統を統一させるだけですよ。近藤さんを頭に立てて、ね」


「だが俺を殺す正当な理由がない! お前たち、俺を殺してみろ。誰もそんな事は認めんぞ!」


「理由ならあるでしょう。私がつくった局中法度に、勝手な金策をしてはならぬ、というものがありましたね。そして貴方は勝手な押し借りを働いた、つまりは切腹です」


 新見はがくりと膝をついた。


「俺は……隊のために押し借りをしたのだぞ」


「またまた、新見さん。そんな事言って。知ってるんですよ、そのお金を自分の懐に入れて、遊んでたじゃないですか」


 笑顔で言ったのは沖田だ。この男女はこの笑顔のまま人を斬るので、そこら辺の強面の人斬りよりもよっぽど恐ろしい。


 どうぞ、と土方は脇差しを新見の前に放り投げた。


「永倉くん、介錯をしてやれ」


「あ、ああ」


「くそ、大きな流れの見えぬ愚か者どもが。俺を殺してどうなるものか」


 新見は着物の前をはだけさせ、短刀を腹に突き立てた。かと思うと、くわっと目を見開いて立ち上がり、土方に向かってきた。


 その新見の手を、まず沖田が落とした。


 パツン、と走っている新見の手を横から斬ったのだ。神業の速さと正確さである。


 そして手をなくした新見を袈裟懸けに土方はばっさりとやった。こちらは落ち着いている。確実に、斬った。


 断末魔の悲鳴が上がる。


 その悲鳴が消え去るまで、土方は新見をグサグサと刺し続けた。


「立派な切腹だった」


 と、土方は言った。


「あはは、すごい皮肉ですねそれって」


 沖田は笑っている。


 永倉が申し訳なさそうに新見の死体に手を合わせた。


「武士の死に様とは……こんなものではない」と、呟く永倉。


「本当だよねえ。僕は畳の上で死にますからね、土方さん」


 沖田が屈託なく笑った。


 しかしこの沖田は、これから五年後に結核で死ぬ。


 辞世の句は


 ――動かねば闇にへだるや花と水


 と、言われている。


 花は沖田自身の事で、水は土方の事だという。病魔に蝕まれ、戦えぬ自分は土方と離れ離れになってしまった、という意味らしい。


 が、これは根拠もあまりないのでおそらく後世の創作であろう。


 しかし沖田は花と例えられるのがぴったりの少女面をした少年だった。


「こんな死に方嫌だなあ」


 と、沖田はまた笑った。


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