第7話 大和屋炎上3
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芹沢の大和屋焼き討ちは、京の都をド派手に騒がした。
この事は当然のごとく幕府の重鎮の知るところとなった。それどころか宮家の方々のお耳汚しまでもをする結果となった。
これには新撰組を監督している立場にある会津藩も、とうとう堪忍袋の緒を切らした。これまで芹沢の勇猛さや、京都の治安を守る新撰組の実績によって目をつぶっていた部分があったが、まさか火事を起こした事を朝廷に対して庇いだてするわけにもいかない。芹沢は会津屋敷へと呼び出され、これまでになく厳しくお叱りを受けた。
また、この時とある藩から会津藩に苦情が寄せられていた。
とある藩とはどこか。
それは芹沢の古巣である水戸藩である。
水戸藩の公用方がわざわざ会津藩に出向いて新撰組ではなく芹沢鴨個人を名指しして厳しい処罰を願い出たのである。
水戸藩と会津藩は公務の場においてそれほど近しい関係ではない。会津藩は根っからの幕臣であり、一方の水戸藩はつい数年前までは芹沢の所属した天狗党のようにかなり過激な攘夷思想を持っていた。だが水戸の国では今その攘夷論者のほとんどは粛清された。それは芹沢が部下三人を切り殺し天狗党を抜けた直後の事だった。
そういった攘夷思想を捨てた水戸藩であるから、芹沢鴨の暴挙は許せなかったのであろう。というのは水戸藩の言い分を聞いた会津藩の見解であった。
芹沢は会津藩より謹慎を言い渡された。
それは無期限のものであり、あるいは途中で切腹を言い渡されるかもしれなかった。
これに密かに喜んだのはもう一人の局長である近藤勇だ。彼女は今の間に新撰組の実権を握ってしまおうと考えていた。
そして動き出した近藤、参謀役の土方の両名。
最初に狙われたのは、芹沢派の復調である新見錦だった。
京都に血風が吹く。血の雨が降る。血は血でしか洗えない。
新撰組には二つの頭がある。英雄並び立つとはいかないものだ。
今、ここに新撰組の黎明期は晩年を迎えた――。
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