第6話 再び大阪くだり、力士相手の大立ち回り2
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船涼みを終えると、空はもうすっかり紅に染まっていた。
次は遊郭にでも行こうということになり、一同は慣れない大阪の道を歩いた。先頭は芹沢、そのすぐ後ろで山崎が道を教えている。
最近日が長くなったなあ、と林は思いながら、とぼとぼと皆の後ろを歩く。結局、あの後芹沢が癇癪を起こすことはなかったが、どこか林に対して怒っているようだった。
なんとか機嫌を直してもらえないものだろうかと林は歩きながら考える。
そんな歩き方をしているから、注意力が散漫になっていた。少し前を歩いていた斎藤が立ち止まったことに気が付かず、軽くぶつかってしまう。
「あ、申し訳ない」
「……べつに、いい」
斎藤は無表情で腹を抑えている。
どうしたのだろうか、と思った。この無口な女の子は表情の変化がわかりにくい。だから林は彼女の気持ちを考えるしかなかった。
もしかしたらお腹が痛いのかな? 安直にそう思った。
「さっき変なものでも食べた?」
「……そうじゃないと思うけれど」
「お腹が痛い?」
「うん」
これは大変だと思い、林は先頭を行く芹沢に声をかけた。
「芹沢局長!」
「なんですの?」
芹沢が一瞬だけ笑ったような気がしたが、すぐに不機嫌そうな表情を顔いっぱいにへばりつかせた。
「あの、斎藤先生が腹痛だそうで」
「あらそれは大変ね。医者にでも見せましょうか?」
全員が立ち止まって斎藤を囲む。斎藤はあたふたとしながら「そこまで大ごとじゃない」と恥ずかしそうに言う。
「あらぁ、でもお腹の中に変なものでも入っているのかもしれないわぁ。大事をとったほうが良いかもしれないわねぇ」と、近藤。
「病気というのは怖いものだからね」と、沖田。
「……大丈夫、これくらい遊んでいれば治る」
という割には顔が真っ青だ。
取り敢えず病院は行きたくないということで、最初の予定通り遊郭に行くことになった。
「それにしても林さん、斎藤さんの機微に敏感ですこと」
芹沢は嫌味のようにそういうと、ぷいと林にそっぽを向くように歩き出した。
林からすればどうして怒られているのか全く分からない。自分は何か気を悪くする用な事をしただろうか。こんな事は初めてだった。
鈍感なのだ、林信太郎という男は。
(まったく林さんったら、斎藤さんにばっかり構って)
芹沢が心の中で思っていたのは、まあこういう事だ。
川沿いの道を歩く新撰組。
癇癪持ちの芹沢はむかむかしっぱなしで、今にも爆発しそうだ。そんなおり、前からちょんまげを結った力士が歩いてきた。
その巨体たるや、せりざわの二倍はあるのではないかと思われた。
狭い道なので鉢合わせになればどちらかが道を譲らなければならない。普通であれば力士といえど侍が来れば譲るものだが、この時新撰組の面々は軽い着流しのような稽古着しか着ておらず、どこからどうみても浪人崩れといった様子だった。
また先程まで舟遊びをしていたせいもあり、腰の大小も一本しかつけていない。これもいけなかった。
力士は道の真ん中でむんずと仁王立ちした。
「ここは譲らぬ」と、鼻息荒く言う。
しかしイライラしている芹沢も譲る気などない。いや、そもそも前に力士が立っている事すら気がついていない。ああ、林さんったら斎藤ばかり……そんな事を考えたまま、力士の目前まできた。
ふと、顔の先に影が差した。
見れば力士がものすごい形相で睨んでいる。
はあ? と、芹沢はわけが分からなかった。
分からないから思った通りの事を口にした。
「邪魔ですわ」
思った事を口にした瞬間、思うより前に手が出ていた。
目の前の力士に向かって、自慢の三○○匁の鉄扇が下からすくい上げるように振るわれた。鉄扇は力士の顎を強かに打ち、そのまま力士は後ろにきりもみしながら吹きとび昏倒した。もしかしたら死んだかもしれない。
「まったく何ですの。無礼にも程がありますわ」
これには一応は侍である新撰組の面々も同意だった。まさか稽古着だからと言って力士程度に舐められるわけにもいかない。
しかしこれはちとやり過ぎだった。
道の先に、仲間だろうか他の力士が二人いた。そいつらは今の出来事を見てこちらにドタドタと駆けてくる。
「何をしたお前たち!」
「お前とは無礼な物言い。口の利き方を教えて差し上げますわ」
芹沢は苛立ちのはけ口が見つかったと、にやりと笑った。
脇差しを抜く。脇差しとは言っても芹沢のそれは常人の刀ほどの長さがある。これは乱戦になった時万が一にも刀が折れようと、残った部分で戦えるようにするためだ。
ちなみにこれは新撰組内での流行だった。はやらせたのはもう一人の局長である近藤勇。彼女の言葉には不思議な説得力があり、芹沢自身も確かにそうですわねと脇差しを買い替えたくらいだ。
余談であるが、新撰組の隊士たちは現在会津藩から給金を賜っている。お世辞にも多いとは言えない額だ。しかしその金子を殆んどの隊士が刀や脇差し、槍などの武具にあてるものだから、新撰組の隊士たちは身分不相応にも思えるような良い刀を持っていることが多かった。
「ふんっ!」
と、芹沢が袈裟懸けに刀を降る。力士の一人がこちらに向かってきたまま肩の肉から骨からざっくりと切れ、そのままの勢いでどうっと倒れた。即死だった。
そして芹沢はもう一人の右腕を返す刀で切り捨てる。
泣きわめく力士に芹沢は高笑いだ。
「おほほ、文句があるならこの新撰組筆頭局長、芹沢鴨におっしゃいなさい。喧嘩ならいつでも受けて立ちますわ!」
まるで火種をつくるように芹沢は力士を一人逃した。
その力士が見えなくなると、あたりは真夜中のような静けさだった。先程まで少しはいた通行人も隠れているのか誰もいなくなっていた。
「さあて、行きましょうか」
芹沢はなんともなかったかのように先を歩いて行く。
なんという手際だ、と誰もが思った。
土方などは近くで芹沢の実力を見て、恐怖すら抱いた。こいつは殺さなければならない、とも思った。だが殺せるだろうか、少なくとも自分一人で勝てる気はしなかった。
だが土方ははっきりとこの時思ったのだ。
――待っているだけでは駄目だ。芹沢を殺さなければならない。
と。
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