第6話 再び大阪くだり、力士相手の大立ち回り1


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 梅雨が終わり、夏が来た。


 新撰組の中核である芹沢一派と近藤一派は元々、将軍の上洛に先駆けて京の治安を守るという名目で江戸から上がってきた集団である。清河八郎の謀略により集団の大半は江戸へと帰ってしまったが、芹沢たちは京に残った。


 さて、その将軍は未だに在京中である。そのため不逞浪士たちへの取締は厳しく、新撰組の活躍もあり京都にはそれなりの平穏な時間が流れていた。


 しかし不逞浪士たちは虎視眈々と倒幕の機会を狙っている。


 そのため、京都から少し離れた大阪に根城を構えた。


 最初こそ町奉行所でなんとか対応していたものの、ここ最近は手が回らないほどに浪士たちの起こす問題が多い。そのため、新撰組に協力の要請が来た。


 これを聞いた芹沢は子供のように喜んだ。


「わたくしたちの実力が認められましたわ!」


 人に頼られるのが好きなのである。


 さっそく芹沢は新撰組の中から腕利きを集めた。


 といってもたいていは前と同じである。違うのは新見がいない事。近藤と佐伯が増えた事。あと一人、斎藤一さいとうはじめという無口な女の子も一緒に行くこととなった。


 この斎藤は近藤派の少女である。歳はまだ若く、林や沖田と同じくらいだ。前髪で片目が隠れているせいでいまいち何を考えているのか分からない。陰気な性格であるが、酔えば可愛らしい声で歌を口ずさむ。癖なのだ。


 明石浪人と名乗っており、剣の流派は無外流むがいりゅう、らしい。らしいというのは本人がとにかく無口なので誰もきちんとした流派を聞いていないのだ。近藤や土方も知らないらしく、「天然理心流の食客しょっかくよ」といつも言っていたから、同門ではないようである。


 だが他人から無外流と言われるだけあって居合がすこぶる上手い。


 後年、永倉新八が沖田とこの斎藤の腕前をこう評価した。


「沖田の剣は無双の剣。斎藤の剣は無敵の剣」


 もちろん永倉も神道無念流の達人だ。その永倉からここまでの評価を受けるこの二人の少女の剣。まさしく天才的であった。


 この斎藤はどこか他人と距離をとっている。壬生浪士隊が結成された時も近藤たちとは江戸に来ておらず、後になってひょっこり京都に現れた。


 それで素知らぬ顔で居ついてしまったのだ。


 なので入隊自体は林よりも少し遅いはずなのだが、近藤一派の古くからの馴染みという事で今は副長助勤をしている。




 新撰組一同が大阪に入ったのは夏も盛りの暑い日の事であった。


 大阪についてさっそく宿につめた。


 部屋は三部屋とった。割り振りはこうだ。


 近藤、土方、沖田、斎藤。


 林、永倉、山崎、平山、佐伯。


 そして芹沢だけが格別で、一人部屋だった。


 単純に男と女で部屋を分けただけだろう。一人例外もいるが。


 何日かこの宿につめて、大阪の治安の回復をはかるというのが今回新撰組に与えられた仕事だった。


 警邏の時は全員で一丸となって町を練り歩いた。その際は目立つ浅葱色の羽織を着た。この羽織の効果は絶大だった。


 誰が見てもそこに新撰組がいると分かる。京都では音に聞こえた新撰組だ。数々の不逞浪士を斬ってきた。その噂は大阪までも届いていたのだ。目に見えて治安は回復していった。


 ある日の事である。連日の猛暑で一騎当千の新撰組隊士たちもさすがにまいっていた。そこにきて芹沢が提案をしたのだ。


「そうですわ、夕涼みがてら舟でお酒でも呑みましょう」


 この提案には全員賛同した。


 毎日頑張っている自分たちへの褒美という側面もあった。


 この日ばかりは新撰組の象徴である浅葱色の羽織も着なかった。全員が稽古着のような格好で淀川へと向かった。しかも舟あそびの場で長物は不便と、全員が脇差ししか帯びなかった。


「舟ですか」


 朝っぱらから淀川までの道をぶらぶらと歩く。歩きながら佐伯は笑顔を隠せないように言った。


「好きなんですか?」と林は聞いた。


「いやあ、好きもなにも舟なんてもの乗った事がないからね」


「ほんまですかい? 舟なんて京にもぎょうさんありますやろ?」


「いやあ、機会がなくてね。一度乗ってみたいとは思っていたんだが」


 佐伯はどこか遠くへ思い馳せるような目をした。


 そういえばこの人は越中の出身だったな、と林は思った。そこがどのようなところかは知らないが。


 芹沢が借りたのは小型の屋台船だった。豪気な芹沢のやる事である。小型といってもよく目立つ仰々しいものだった。


「こんなものを昨日の今日で借りてくるなんて、随分と用意が良いんですね」


 土方は何かに気がついたようだ。


「おーっほっほ。実は大阪に来た日から用意していましたのよ」


 いつの間に、とそこにいる隊士たちは目を丸くした。確かに連日の暑さだったのでこれは用意周到というよりほかない。


「さあああ、皆々様。さっさと中に入って、飲み食いしましょうよ」


「うふふ、芹沢さんは本当に隊士の事をよく考えていらるのねぇ」


「ちょっと近藤さんったら。変な事を言わないでくださいまし」


 真っ赤になる芹沢をからかいながら、一同は船の中へ。


 前々から準備をしていただけあって、豪勢な料理が並んでいた。酒もたっぷりあり、全員が好きなだけ呑める量だった。


 林もいつも通り呑まないというのは場が白けそうなので、慣れない酒に口をつけた。新撰組の中で下戸は珍しく、この場でも平素呑まないのは林だけだった。


 上座に芹沢と近藤が並んで座りそれ以外は適当なところに座った。林の隣には斎藤がいる。斎藤は小さな体をしているにぐいぐいと酒を呑む。大丈夫だろうかと思うが、ぜんぜん酔った様子もない。


 これは良い機会だろうか、と林は斎藤に話しかけてみた。


「斎藤先生」


「……なに?」


「料理、美味しいですね」


「……」


 無視された。と思ったらコクリと頷いた。同意してくれたらしい。


「そういえば先生は無外流をやるんですよね」


 斎藤はこれにもうんともすんとも言わない。今度は同意も否定もなしだ。場が持たなくなって林は一人で喋った。


「僕は夕雲紅天流っていう剣術なんです。知ってますか?」


「知っている」


「へえ」


 これは珍しいことだった。


 京に来てからこっち、会う人会う人に夕雲紅天流とはなんだといううろんな表情をされてきた。しかしこうして知っているという人もいたのだ。初めてだった。


「近藤局長に……聞いた」


「夕雲紅天流を?」


「……そう」


 どういう事だろう、と思うがこれ以上は答えてくれなさそうだ。どうやら近藤局長が夕雲紅天流についてよく知っているようだぞ、と林は思った。


 実のところ林自身、自分の流派についてはよく知らない。


 幼いころ、流行り病で両親が死んだ。そして自分も瀕死だったところを師匠に拾われ、なんとか一命をとりとめた。その後はずっと師匠と一緒に暮らしてきた。


 師匠である十一代目夕雲紅天は林に剣を仕込んだものの、その成り立ちなどは一切説明しなかった。だから林は夕雲紅天流について、一通りの技が使えるものの何も知らないというチグハグな状況になっていた。


 そんな中で飛び出してきて、誰も夕雲紅天流について知らないのだ。もしかしたらそんなもの存在しないのではないかとすら思っていた。


 だがこうして知っている人がいて一安心だった。


 なんだか斎藤に感謝の気持ちが芽生えた。ともすれば、どこかこの無口な不思議ちゃんの事が可愛くも見えてきた。


 林は少し酔っていた。


「ねえ斎藤先生。今度道場で手合わせしてもらえませんか?」


「……悪くない」


「でも斎藤先生も道場にはあまり顔を出しませんよね」


「……私は一人で研鑽を積むのが好き。ああいう暑苦しくて汗臭いところは嫌い」


「そうなんですね」


 二人の間の共通の話題と言えば、剣術の話だけだ。まさかこんな楽しい席でどこぞの脱藩浪士を斬ったなどと血なまぐさい話をするわけにもいかない。だからこうして自分たちの力量の話をした。


 だがあまり話は盛り上がらず、斎藤は無表情だった。


 しかしそこに、近くにいた沖田がちゃちゃを入れた。


「あれ? 斎藤くん、珍しく楽しそうだね」


 知らなかった、斎藤は楽しそうだったのだ。


「……別に」


 違ったらしい。


「またまた、照れないの」


 沖田の横には山崎がおり、この大阪浪人は酔った勢いであろう事か沖田と手をつなごうとしている。しかしそれをのらりくらりとかわされているようだ。


 その腹いせか、こちらに矛先を向けてきた。


「お、なんや? 林先生、もしかして斎藤先生をくどいとんのか?」


 一応、山崎はこの中で唯一平隊士の身分だ。林先生という言い方も間違ってはいない。いないのだが、嫌味にしか聞こえない。


「ち、違うよ!」


「そんな照れんでもええがな!」


「照れてない!」


「なんだなんだ、林も隅に置けねえなあ」隅の方で佐伯と平山とだんまり酒を呑んでいた永倉が、楽しそうに笑う。「まさかあの斎藤とねんごろとはね」


「そんなんじゃないですってば!」


 いえばいうほど、というやつである。


 なんだか知らないが、屋台船の中には林が斎藤を口説いていたという雰囲気ができあがっていた。


「あらあら、あらあら。歳ちゃん、隊内恋愛は局中法度で禁止されていたかしら?」


「そうですね。強いて言うなら士道に背く行為、でしょうか?」


「あらあら大変ねえ」


 おいおい勘弁してくれよ、と林は芹沢を仰ぎ見る。


 しかし芹沢は「お盛んねえ」とニコニコ笑っている。


 それがまた怖かった。


 べらぼうに怖い。いつ爆発するのか分からない、そういう仮りそめの笑顔だ。口元は笑っているのに目だけは笑っていないのだ。まるで睨みつけるように林と斎藤を見つめている。そして、そのまま目をそらさずに酒を呑む。


 それは隙のない構えのようだった。


 その様子にさすがに全員気がついたのか、林をからかうのはやめた。後には曖昧な笑いだけが残った。まさかこんな場所でこのまえの角屋のように暴れられては困る。下手をすれば舟が沈没しかねない。


「あらあら皆さん、どうしましたの。いきなり静かになって、もっと盛り上がりましょうよ」


 芹沢は一人高い笑いしながら、いけしゃあしゃあと言った。


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