第5話 酒乱の芹沢2


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 新撰組内に法令ができた。


 局中法度という。考えたのは隊内一の切れ者、土方歳三だ。


 五つの禁令があり、それを破ったものはたとえ誰であろうと切腹させられた。


 ここにその五箇条を書き記しておく。



 一 士道に背く行為

 一 局を脱退する行為

 一 勝手に金策をする行為

 一 勝手に訴訟を取り扱う行為

 一 私闘



 これを見て、芹沢鴨は「まるでわたくしの事を名指しで言っているようですわ」と頬を膨らました。


 それを見て、そこにいた者たちは思わずみんな笑った。


 芹沢にはこういう賑やかしなところがあった。


「そういうつもりではなかったのですが」と、土方。


「たとえばこの勝手な金策というの――わたくしの押し借りの事かしら?」


「あらあら、あれは隊のためにやっていることでしょうから、勝手とは言わないんじゃないかしらぁ?」


「ならよろしいわ!」


 今日の芹沢は珍しく前川邸にいる。しかも素面である!


 話があるから来てほしいと呼ばれたのだ。当然の如く林も「ついてきなさい!」と言われてついてきた。


 部屋にいるのは近藤派と芹沢派は芹沢鴨本人と林だけだ。


 しかし近藤派が揃っているにもかかわらず、永倉の姿だけがなかった。


「にしても土方さん。破ればそく死刑というのは、あまりにも酷すぎるんじゃないのかなと僕は思うけど」


 沖田が冗談でしょ、とでも言うように土方の事を上目遣いで見つめた。


「酷いものか。私たちは素性も知れぬ浪人集団だ。これくらいの厳しい掟を作らなければ局を維持することなどできない」


 たしかに土方の言うとおりだという事になり、この件はかたがついた。


 この話が終わってしまうと、今度は永倉の話題になった。


「そういえば新八くんはどこに言ったのかしら?」


 近藤がキョロキョロと首を振る。


「ああ、永倉さんならわたくしがちょっと公用で使いに出していますわ」


「芹沢さんが?」


 近藤が、糸目のまま訝しげに芹沢を見つめた。


「すこし腹に据えかねることがありまして。とはいえわたくしが行けばまた問題が大きくなりますからね。永倉さんに行ってもらっているんですわ」


 なんの事だろう、と近藤派の者たちが首をかしげる。


 もちろん林は経緯を知っていた。




 ことの発端はいつもの通り、芹沢の酒乱である。


 彼女の酒癖の悪さは隊内を飛び越して、京の町でも有名だった。


 酔えばところ構わず暴れる、それに時々脱ぐ。そのたびに平間のじいやが困っているのだが、本人はまったく治す気がないようだ。


 とうとうその芹沢に他の藩から会津藩に苦情が入った。


 あまりにも酷すぎる、と。


 直接呼び出されお叱りを受けた芹沢はその場ではしゅんとしていたのだが、その帰りに島原で呑んだのがいけなかった。そこで気を大きくして、反省するのではなく告げ口した相手に怒り心頭となった。


 会津藩にそれを伝えたのは水口藩の公用方である、というのを調べさせた。そして今朝、永倉を呼び出していつもの調子で、


「あら、永倉さん。暇そうね」


「いえ、今から朝の稽古があるんですが……」


「わたくし、この前水口藩の公用方にコケにされましたの。わたくしの酒乱が迷惑とはもっての他の言い分ですわ。というわけで永倉さん。この不届き者をここに連れてきなさい」


「まあ、分かりましたけど」


 面倒くさそうに八木邸の離れを出て行く永倉に林は声をかけた。


「大丈夫ですか?」


「まあ、なんとか上手くやるさ」


 永倉は爽やかに笑ってみせると、大股で歩いていった。


 いい男ぶりだった。




 さて、それから二刻程たった今現在。


 芹沢たちは前川邸に居る。


 そこへ永倉が帰ってきた。


「ああ、ここに居たんですか。芹沢局長」


「あら永倉さん。おかえりなさいまし」


 後ろに水口藩の公用方でもいるのかな、と林は恐る恐る見てみる。だが誰も居ないようだ。一安心。これで本当に連れてこようものなら芹沢の事だ、無礼討ちにしかねない。


 そんな事をすればさすがに新撰組もただではすまなかっただろう。


「それで、例の件はどうなりました?」


「例の件ってなにかしらなぁ? 新八くんったら私たちに内緒で随分と芹沢さんと仲が良いのね」


 近藤が言うと、永倉はしどろもどろになり「違いますよ」と頭を掻いた。


「水口藩の公用方から芹沢局長に苦情が来たんです。それで自分が話をつけてきました」


「聞いてないぞ」と、土方が広いデコを光らせて永倉を睨んだ。


「何分急の事でしたからね。まったく、朝起きて呼び出されたおと思ったらこれだ」


「ああ、それで永倉さん朝の稽古に居なかったのね。僕、代わりにやってたんだよ」


「そりゃあ災難だったな」――平隊士の方が、である。


 沖田は自分で剣を握れば天才的なのだが、それをまったくの天性の才能でやっているため他人にものを教えるということが下手なのだ。だから必要以上に相手を痛めつけて「どうして避けられないのかしら?」なんて本気で言っているのだ。


 そういうわけで、沖田との稽古は誰もが嫌がる。


「それで、水口の公用方は? もちろん連れてきたのでしょうね」


「いえ、さすがにあちらも仕事もあり、手が離せないということで。代わりにこの詫び状を貰ってきました」


 永倉は懐からそれを取り出して、芹沢に渡す。


 芹沢は早速それを開き読んで、そして高笑いを始めた。


「おーっほっほ。愉快愉快! あちらさん、わたくしに陳謝してしかも今度一席設けると申しておりますわ。ん? にしても急ですわね。近藤さん、明日の夜は開いていて?」


「あら、空いてますけど。……それがどうしたのかしら?」


「だってここに新撰組隊士御一同を招待したく存じ上げる候と書いてありますわ」


 ほら、林さん。と、芹沢は詫び状を林に渡す。


 林はさっと目を通す。


「確かに書いてありますね」


「ちょっと貸してみろ」


 ひったくったのは土方だ。


「本当ですね。近藤さん、どうします?」


「誘われたのなら喜んで行きましょうね~」


「皆で宴会ね。僕、嬉しいな。そういうの初めてじゃない?」と、沖田。


「ではそうと決まれば明日の夜ですわ! さっそく他の隊士にも触れ回らなければいけませんわ!」


 芹沢は立ち上がったかと思うと、さっさと部屋を出ていってしまった。


 いつもならこうした平隊士への伝達などは人任せにするくせに、こういうお祭り騒ぎだけは率先してやるのだ。本当に目立つことなら大好きなのだ、芹沢という女性は。


「楽しそうねぇ」と、近藤は呆れたように笑った。


「こういう事だけ行動が早いな」と、土方も驚いているようだ。


「でも僕、ああいう芹沢先生の一本気なところ好きだなあ」


 沖田が茫洋とつぶやいた。


 そうなのだ、と林も心の中で同意した。


 芹沢鴨という人間は酒さえ飲まなければ素晴らしい人なのだ。人を笑わせ、一本気で、剣も上手く知力もある。


 しかも子供好きな所があるのだ。


 この前など、八木邸の子どもたちと一緒に遊んでいるところを林は目撃した。その時も芹沢は素面のようだった。


 芹沢は子どもたちに絵を描いてやっていた。なかなか絵心があるようで、子どもたちはキャッキャと喜んでは、もっと描いてくれと芹沢にねだっていた。


「しょうがないですわねえ」と芹沢も嬉しそうだった。


 それと、これは新見に聞いた話であるが、芹沢はこれまた八木邸の子どもたちに剣術を教えてやっているらしい。


「本当に変な人だよな、新撰組の稽古には絶対に出ないくせに、ガキどもには稽古をつけてやるんだから」


「そうですね」と、林は答えたが、なんだかそのほうが芹沢らしいと思ったのも確かだ。


 なぜだかは知らないが、芹沢は既存の概念とは少し離れた場所にいるのが似合う。


 あの人はきっと何者にも縛られないのだ。花畑を舞う蝶のように、優雅に、自由なのだ。


 林は芹沢鴨という人を、そういう人だと思っていた。




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