第5話 酒乱の芹沢1
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芹沢鴨。
水戸藩脱藩。現在では新撰組の局長を務めている。
目立つ事が何よりも好きで、それはその容姿にも現れている。日ノ本では珍しい金髪碧眼を持つが、これは自前である。本人は過激な攘夷思想を持っているが、自らのこの容姿は気に入っているようだ。
剣術は神道無念流の免許皆伝。折り紙つきの実力で、新撰組の中でもその強さは五本の指に入る腕前だ。
かつて水戸では天狗党という尊皇攘夷集団に所属していた。しかしそこでも持ち前の酒乱によって投獄され、死罪を言い渡されてしまう。
酒乱によって起こした事件は枚挙にいとまがない。
たとえば鹿児島神社に行ったおり、なにが気に障ったのか拝殿から吊るされていた太鼓をいつもの鉄扇で叩き破ってしまった。
他にも天狗党内で同士三人と攘夷論の口論になり、たった一人でこの三人を斬り殺してしまった。この時芹沢は体に傷一つ受けなかったというのだから、凄まじいものだ。
かねて幕府から睨まれていた天狗党の大幹部であった芹沢は、このかどによって江戸の奉行所へと呼び出しを食らった。
「なぜ太鼓を叩き割ったのだ。神宮の太鼓を叩き割るとは不届き千万ぞ」
「おーっほっほ。たしかに叩き割ったに相違ありませんが、わたくしはもとより尽忠報国の士。したがって神を敬う気持ちがあまりにも多く、参拝のおり感極まって我知らず太鼓を叩いてしまったのですわ。そしたら破れちゃいましたわ!」
一応、筋は通っている言い分である。
「ではその方に続けて尋ねる。たとえ部下とは言えいらずらに三人の命を殺めたな。このことについてはどう申し開きする」
これには芹沢も押し黙った。
そして、絞り出すように、
「わたくしの気持ちなど、誰ぞ知るものですか」
と言い放ち、その後はもう何も言わなかった。
その結果、芹沢は投獄され死罪を言い渡された。
牢獄の中で芹沢はもはやここまでと死を覚悟したのだろう。辞世の句をしたためた。
自らのその細く美しい手の子指を噛み切り、血でしたためた。
――雪霜に色よく花の魁て
散りても後に匂う梅が香――
この意外な文才に牢番たちも驚いたという。
芹沢は絶食し、死を待った。
だがその頃、京都で芹沢の師であった
辛くも処刑を免れた芹沢は、その後故郷の村に戻った。彼女には二人の兄が居たがどちらも水戸藩に仕えており、家の跡取りは芹沢鴨という事になっていた。
優秀な兄二人。できの悪い三女だけが家に取り残された。
実家に帰ってからというものの、芹沢は今までに輪をかけて酒に溺れた。
日がな一日酒を呑み、少しでも気に入らない事があれば暴れだす。まさに狂人の生活である。そんな芹沢だったから周りからは腫れ物のように扱われていた。唯一そんな芹沢の相手をしていたのは、昔から芹沢家に仕えていた平間という老人だけだった。
芹沢は故郷の村でくすぶっていた。尊皇攘夷の志をすっかり捨ててしまったわけではないが、しかし前ほどその思想に魅力を感じなくなっていたのは確かだ。死に肉薄した結果、思想というものの虚しさを知ったのである。
死ねば皆等しく塵芥である。そんな虚無主義的な考えが、芹沢の中に根付いた。
そうなってくるといよいよ人生というものに希望を持てなくなり、酒の量が増えていく。酒を呑んで考えるのは、いつも同じようなことだった。
――わたくしは恩赦によって釈放されたけれど、それは違いますわ。あれは攘夷思想の犯罪者を助けるためのもの。なにくそ、わたくしの気持ちなど誰ぞ知るものですか。
自分のことなど誰も理解してくれない。そんな気持ちが強くなっていた。
ある日、芹沢の屋敷に兄の友人である新見錦が訪ねてきた。
「よお、久しぶり」
新見はあちらから訪ねてきたと言うのに、軽薄そうに笑って軽い挨拶をした。
その隣には見たこともない隻眼の男がいる。といっても噂には聞いている。おそらく平山五郎だろう。どこの出身かは知らないが、自分たちと同じ神道無念流を使う。水戸藩とは縁もゆかりもない癖に、ただ人を切りたいからと天狗党に入った男だ。
言うだけあって腕は中々のものと聞き及んでいる。
「あら、お二人さん。なんのようですの? 酒の相手がほしいなら、ふん。連れ込み宿にでも行くとよろしいですわ」
「まあまあ、そう言わずに」と、新見。
芹沢はそれで、すぐさま目を怒らした。
「あいにくと、わたくしそんな安い女じゃありませんのよ!」
相手が敬愛する兄の友人であろうと、容赦するつもりなどなかった。刀を抜き放ち、立ち上がる芹沢。それに対して平山も刀に手をかけるが、新見が慌てて止めた。
「まあまあ、冗談だよ、冗談。お嬢ちゃん、そう怒りなさんな」
「……ふんっ」
芹沢は鼻を鳴らして刀をしまった。
芹沢の持つ刀は
「それで、本当は何の用ですの? まさか天狗党に戻れとは言いますまいね」
芹沢自身、天狗党にはもう飽き飽きしていた。尊皇攘夷の名のもとに押し借りや狼藉を働くものたち。自分もその一人ではあったのだが、しかし今さらあそこに戻ってバカ騒ぎを繰り返す気にはなれない。
それをするには、あまりに大きなものを失いすぎた。
「いや、そんな事は言わねえよ。俺もあそこは辞めた」
「そうですの」
「そのかわりよ、今度江戸で面白い話があるんだ。お嬢ちゃんも一緒にどうだい」
「お嬢ちゃんはおやめなさい。次に言ったら今度こそ切り捨てますわ」
芹沢の剣幕に押されて、新見は冷や汗をかいた。さすがはあの兄二人の妹だ、と思われたかは知らない。
「江戸で浪士隊を結成して、京都に上洛するってんだ。それで将軍様を守りましょうって、中々面白そうな話だろ? うまく行けば幕臣に取り立ててくれるかもしれねえって話だぜ」
「将軍様の?」
正直、芹沢はあまり興味がなかった。
どうやら新見はその浪士隊の中で芹沢を中心として水戸派とでもいうべき集団をつくり、自分も相応の地位について甘い蜜をすすろうという魂胆のようだ。
昔からそういう男なのだ、新見という男は。
「どうだい? こんな場所で酒ばかり呑んでても、早死するだけだぜ。それならここらで一つ、面白いことをやろうじゃないかい」
それもありかな、と芹沢は思った。
どうでも良かったのだ、どうなろうが良かった。
将軍を守るというのも、たしかに面白そうだ。それに――ここが大切なところだが。もしそんな御大層な任務に付けば、不逞浪士たちと戦って死ねるかもしれない。
芹沢は死にたがりだった。
だから、酒を呑んだ。酒は緩慢な自殺であるという言葉もある。つまり彼女はさっさと命を燃やし尽くして死のうとしていたのだ。
もしも京都で切り合いになって死ねるのならば、それは本望である。
「よろしい」と、芹沢は自らも江戸に、そして京都に行くことに決めたのであった。
それからも色々な事があった。
江戸に集まった浪士隊はおおよそ百人。かなりの人数だった。その指揮をとったのは
この男は芹沢の容姿に入れ込んで、事あるごとに芹沢に言い寄ってきた。とうとう腹を立てた芹沢がいつもの鉄扇でえいやと頭を殴ってやると、それから近づいてこなくなった。代わりに「芹沢先生」と呼ぶようになり、一目も二目も置くようになった。
京に行くまでの道中で、芹沢は近藤一派の者たちと一触即発の状態になった。これは元はといえば宿の割当をしていた近藤が芹沢の宿をとるのを忘れてしまったのが原因だ。もちろん百人以上の人間がいるのだ、一人くらい宿をとるのを忘れてしまうかもしれない。芹沢もこれが他人の事だったら笑っていただろうが、あいにくと宿無しになったのは自分だ。
もう我を忘れて怒った。
それで往来に巨大な篝火を焚き、一晩そこで酒を呑んで過ごした。そのために周りの建物を打ち壊したりもした。
近藤は謝ってきたのだが、芹沢は許さなかった。意地になっていたのだ。けれど意地になりながら――こんなつまらない思いをするくらいなら来なければ良かったわ――と思っていた。
なお、この時から芹沢派と近藤派の溝はできていた。
京都についてからも、問題が起こる。
先の清河八郎が、突然何を言い出すか浪士隊を尊王の士として、天皇直属の浪士隊とするなどとのたまいだした。
しかもそれが通ったのだから仰天である。
清川は口がうまかった。京まで来ておいて、同士達に「我々は天皇の隊である!」とふれ周り、返す刀で江戸に戻ると言い出した。
これには大抵の人間が、将軍の臣下よりも天皇の臣下のほうが良いと思ったのだろう。二つ返事で江戸へ帰ることを了承した。
しかし芹沢はそれに待ったをかけた。
「わたくしは、ここに残りますわ!」
「なにゆえだ!」
ここに来ても、実はまだ芹沢を諦めきれていない清川がうろたえた。
「わたくしたちは尽忠報国攘夷の目的を一切果たしておりませぬ。このまま江戸へ帰れば京都へ花見にきたようなものですわ!」
実は芹沢は清川が勤王倒幕派であることを知っていた。
芹沢も尊皇攘夷派ではあり、似ているが倒幕とまでは考えていない。それはどちらかと言えば長州の考えに近い。芹沢はこの倒幕という考えが嫌いだった。どうにもその上に勤皇をつけることによって、帝の権力を使い幕府を倒して自分たちで新政権を作り上げようとしているようにし感じられない。
そしてこの芹沢の読みは、明治維新を持ってその通りであったことが示される。
「我々は将軍様の上洛の警護のためにここに来たのですわ。その初志貫徹もできずに、貴方の言うような大層な事ができますでしょうか、いえ絶対にできませんわ!」
いちいち言うことは最もである。
芹沢は狼藉者であるが馬鹿者ではない。
これには清川ももう何も言い返せずに「勝手にするがいいさ!」と、なった。
この時、京都に残ったのは芹沢が率いた水戸派だけではない。近藤が率いた試衛館派も京都に残った。つまりは芹沢派と近藤派である。
そして、あれよあれよと言う間に、会津藩のお預かりと成り壬生浪士隊が結成されたのだった。
そして今、壬生浪士隊は新撰組と名を変えた。
天下御免の新撰組である。
幕末最強の集団とまで言われた新撰組、しかしその初代局長はこのように奔放な人物であった。
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