第4話 その名は新選組1
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その日、突然の下知により壬生浪士隊の上役が会津藩のお屋敷に呼び出された。
なにぶん急な事だったので浪士隊は服の用意もできていない。立派な紋付袴など誰も持っていないのである。
「きっと先日の事で褒美があるのだろう」
ボソッと言ったのは、隻眼の平山五郎である。
「ああ、凄かったらしいですね」と、林は答えた。
平山は水戸の人という話だが、これははっきりしていない。本人もそうだとも違うとも言わない。
おそらく、水戸の人間ではないのだろう。
この頃、水戸者の間では一文字の名前を名乗る事が流行っていた。芹沢鴨も、新見錦も一文字名だ。しかし平山は、五郎である。まったく色気も
さて、先日の事というのは会津候の前での御前試合の話である。
実力者揃いで通っている壬生浪士隊の腕を会津候が一度見てみたいと言い出したのだ。それでわざわざ会津屋敷まで出向き、ニ対ニの乱戦を行った。
土方、藤堂。
対、
平山、佐伯。
である。
芹沢派の一人は佐伯又三郎である。本当は新見が御前試合にたつはずだったのだが、当日の朝からいきなり腹の痛みを訴えて急遽代役がたてられた。
佐伯が選ばれた理由はあまりはっきりしていないが、芹沢のいつもの気まぐれと言えばそうだ。たまたまそこら辺に居て、しかも壬生浪士隊が出来た頃ばかりの頃からの人間で芹沢も顔と名前は覚えていた。
また中々いい男ぶりであったので、まあ会津候の前に出しても
結果として佐伯は大金星を上げた。平山が土方と鍔迫り合いを演じている間に、見事藤堂を討ち取ったのである。
佐伯の剣は鋭かった。今までは教本通りのお上品な剣しか使えなかったのだが、いつの間にか一皮むけたようだ。人を斬るという経験が彼を強くさせた。
これには会津候もそうだが、壬生浪士隊の隊士たちも驚いた。その褒美として、佐伯は副長助勤の役割を与えられた。山崎ではなく、佐伯が林の次に偉くなったのだ。それも林を飛び越して、である。
副長助勤である藤堂に勝ったから、彼も副長助勤になったというわけだ。
しかしその佐伯は今日の会津屋敷には呼ばれていない。呼ばれたのは、
芹沢、近藤、新見、土方、山南の局長副局長合わせて五人と、沖田、永倉、藤堂である。その人選の意味は分からないが、何にせよ八人である。
つまりは八人分の衣装が必要なのだが、これは八木家に借りる事になった。
当主の八木源之丞は芹沢に頼まれて、「貸すのはやぶさかではありませんが……」と言葉を濁した。
「何か問題でも?」
「いえ、わたくし共の着物を貸すとなると、全員の家紋が同じになってしまいますが」
これはかなり滑稽な光景である。いかにも借り物でござい、という感じだ。だが芹沢は、
「おーっほっほ!」
と、高笑いで一笑に付した。
「そんな小さな事、気にしませんわ! そもそもわたくしたち壬生浪士隊は家族同然。その朋輩が同じ家紋で何がおかしいというのですの!」
そういう訳で、全員が八木源之丞に着物を借りた。
ぞろぞろと八人が会津屋敷へと行くのを、林は門前で見送ったのだった。
「じゃあ、俺たちは警邏に出るか」
平山がそう言って、浅葱色の羽織を林に投げてきた。取り敢えずこれだけ羽織って行くぞという事だろう。
どういう訳かこの無口な平山という男、林には好意を抱いているようだ。もっともそれを口にだすようなことすらしないが。
二人で京の狭い町を歩く。
本当に無口な男だった。会話がないのにまったく気まずさを感じていないようだ。
しかも妙なことに林を自分の右側に立たせた。普通左目がないのだからそちらを死角として林には左側に立ってもらったほうが良さそうなものだ。
しばらく二人して無言で歩いて、初めて平山が口を開いたのはとある簡素な茶屋の前であった。
「少し呑んでいくか?」
「いいでしょう」
「俺が奢ろう」
この申し出は林としてももちろん嬉しいものだったが、一応は「良いんですか?」と聞いておく。
「なあに、お前さんはまだ若いんだ。こういうのは年寄りが払うもんだ」
とはいえ、林は酒をあまり呑めない。
それでも平山としては一緒に居て、酒の相手をしてくれるだけで嬉しいのだろう。
平山の酒の飲み方は、酔えば酔うほどに無口になるものだった。酔って騒ぎ出す芹沢や新見とは正反対だ。だから、時にはこうして酒を嗜まないような者と、ゆっくりと呑みたいのだろう。
食べ盛りの林は蕎麦を頼んだ。しかし本当のところ言うと京都の蕎麦はあまり好きではない。どうも薄味なのだ。
師匠と修行をしていた時、時々江戸の町まで連れて行ってもらい食べた蕎麦は美味かった。ああいう蕎麦が食べたいのだが、やはりそこは地域性だろう。
平山は無言で酒を呑んでいる。
林はさらにいろいろなものを食べる。線は細いがよく食べる。時々平山は思い出したかのように「美味いか?」と聞いてくる。「はい!」と林は答えた。
やがてそれなりに酒も回ってきた頃、茶屋に四人の浪人が入ってきた。
その浪人は林と平山を取り囲むように立った。
「壬生浪士隊、平山五郎とお見受けする」
「そうだが、なんだ?」
平山はおちょこを起き、片目でギロリと浪人を睨んだ。
「そちらは監察方、林信太郎だな」
「そうですけど、なんで僕の名前を知ってるんですか?」
浪人たちが刀に手をかけた。
その刹那、平山は立ち上がり一番近くに居た男に当て身を食らわし、そのまま刀を抜き放ち逆袈裟に切り上げた。
林は自分の前にあった蕎麦ツユの入っている椀の中身を、刀に手をかけた男の顔にかける。そして椅子から転げ落ちるように降り、側転をしながら距離をとる。それが止まる頃には、同時に刀を抜いている。
「何者だ! 名を名乗れ!」
平山が青眼に刀を構え、怒鳴った。
「名などない! 我々はお前たちに天誅を下しにきたのだ!」
「ふん、長州の者か!」
茶屋にいた他の客が我先にと逃げ出す。
店主はさすがこの店と心中するつもりなのか、奥でブルブルと震えている。林はとっさに申し訳ないと思った。
三人の浪人たちが林と平山を囲む。二人は背中合わせになり、相手の出方をうかがった。
「おい、林。俺が叫んだ瞬間に飛び出せ。しゃにむに切れば一人くらいは殺れる」
「分かりました――」
林は刀を八相に構えた。
夕雲紅天流には五つの型がある。これはそのうちの一つ、第一の型・苛烈だ。
「いくぞ、いち、にの、今だ!」
その言葉と同時に林は飛び出した。とにかく相手よりも先に剣を振り下ろす。そういう意味では薩摩の示現流にも似た振り方だ。
ばすっ、と相手の頭が真っ二つに割れた。一瞬で絶命しただろう。
しかし敵は後二人。そのうちの一人は平山が対応しているが――もう一人はこちらに向かってきた。
振り下ろした刀を林は手放し、代わりに頭をかち割った相手の刀を奪い取る。その刀を支柱のようにして、ふわりと上空に飛んだ。
「あっ!」
相手の驚愕した顔。
なぜだか全てがとてもゆっくりに見えた。
上空で林は脇差しを抜き、そのまま重力まかせに相手の肩に突き立てる。
無名の脇差しだ、切れ味は悪い分、痛い。
林はしなやかな猫のように着地して、無手で構えた。
夕雲紅天流には合気の心得もある。無手と言えどもある程度は戦えるのだ。
しかし相手は肩を抑えてその場にうずくまる。その隙きを逃さず、林は最初に殺した男の頭から丹念に刀を抜いた。銘も知らぬ刀だが、師匠からの借り物なのだ。
相手は肩の痛みをこらえて、刀を上段に構える。
死ぬ気で向かってくるつもりなのだ。林は抜いた刀を無造作に構え――向かってくる相手をいなし、その背中に一太刀、刀を浴びせた。
それで、二人目の男も死んだ。
平山の方ももう終わっていたようで、先程まで呑んでいた酒で手を清めていた。
「ふん、半端な刺客よこしやがって」
「平山先生、大丈夫ですか?」
「馬鹿野郎! 誰にもの言ってんだ。こんなもん楽勝だ。むしろお前こそ大丈夫かよ」
「ええ、僕も無傷です」
「ふん、さすが芹沢さんの肝いりだな。おおい、店主。酒だ、酒!」
「まだ呑むんですか?」
「当たり前だ、お前もやるか?」
「いえ、僕は他の隊士を呼んできますよ」
「そうか。……おい、林」
「はい」
「気をつけろよ。どうもここのところ、こういうのが多い。これは新見のクソ野郎が言ってた事だがな、浪士隊の中に長州の間者が居るんじゃないかって話だ」
「間者――?」
「まあ、俺たちもそれくらい偉くなったって事だ」
確かに浪士隊の名は京都で日に日に有名になっていた。今ではもう彼らの事を『身ボロ』などという人は一人も居ない。
「気をつけろよ」と、平山はもう一度言った。
「分かりました」
林は死体の服で、刀についた血を拭いた。
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