第3話 浅葱の羽織と美麗の沖田2


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 八木邸の離れに行くと、そこには芹沢、近藤の両局長以下、副長、助勤が揃っていた。何人か見えないようだが、おおかた警邏に出ているのだろう。


「あら、やっと来ましたわね」


 芹沢は赤くなった顔で、林を迎え入れた。


「どうしたんですか?」


 なんだかただ事ではない気配を感じ、林は姿勢を正した。


「ちょっと林さん、お召し物を脱ぎなさいな」


「えっ!」


 林は自分の着物を掴んで、身を隠すように引く。


 いきなりなんだというのだ、まさかこんな場所で慰み者にするつもりだろうか。芹沢ならばやりかねない。先日も芸者を一人手篭めにしようとして、しかし断られてしまた腹いせに髪を切り裂いたというのだ。


 芹沢は間違いなく乱暴者だ。酒さえ入らなければそうではないし、林の前ではなぜだから猫をかぶっているようだが、その本質としては勝手気ままな女であった。


「局長、困ります」


「いいではありませんか、早くこっちの服へ着替えなさいな」


「へ?」


 そういう事か、と林は顔を赤くした。


 どうやらこの前の金で買った服が届いたらしい。それならそうと先に言ったほしいものだが。


 そう思っていると、隣の部屋から沖田がひょっこり顔をだした。


「着てみました」


 おおっ、と一同が唸った。


 沖田は上質な夏物の上に、羽織ものをしていた。それは特別目立つ浅葱色の羽織で、袖口には白いだんだら模様が入っている。


 それを美人の沖田が着るのだ、十人が十人振り返るような絶世の美女に映った。


「どうかしら? 僕はちょっと派手々々しいと思うのだけど」


「派手で結構なんだ」


 土方は鋭い目を優しげに曲げた。土方は江戸にいた頃から沖田の事を妹――男であるが――のように可愛がっていた。


「その方が我々の宣伝にもなる」


「そうですわ。目立つことは美徳ですわ!」


「ふうん、そういう事ならちょっと恥ずかしいけど着てみようかしら」


 沖田がその場でクルリと回ってみせる。それだけで拍手が起きた。


「さあ、林さんもさっさと着替えてきてくださいな。男の方が着たらどう見えるか知りたいですわ」


「あらあら、芹沢さん。総ちゃんは男よぉ?」


 近藤がのんびりと言った。


「はい?」


 その瞬間、芹沢派の隊士たちは目を皿のように丸くした。近藤一派からすれば周知の事実でも、他の者からすれば青天の霹靂なのである。


「それはマジですの?」


「本当よぉ~」


 芹沢は立ち上がるとずかずかと沖田に近づき、その胸をベタベタと触った。


「え、これは……無い? いや、ちょっとあるような……。うーん、林さん、貴方もちょっと触って確かめて見なさい!」


「え、僕がですか! 嫌ですよ! 恥ずかしいです!」


 そんな、女の子の胸を触るだなんて……。


「もう、やめてください。エッチなんだから」


 いそいそと沖田は下がった。


 芹沢は釈然としない表情をしている。


 林は沖田と入れ替わりに隣の部屋に行き、着物をかえ、だんだらも羽織った。


 確かに派手な見た目だ。遠目からでもよく見えそうな鮮やかな浅葱色をしている。


 浅葱色としてば武士が切腹の時に着る色だが、つまりはいつでも死ぬ覚悟がある、ということなのだろう。


「着ました」と、林も着替えて芹沢たちの居る部屋に戻る。


 沖田と二人で並んで見世物になる。


「いやあ、馬子にもなんとやらですな」と、新見がいつもの悪態をついた。


「あら、似合っていますわよ二人とも」


「これならもう『身ボロ』とは呼ばれないでしょう」と、土方。


「おっほっほ、わたくしが模様を、近藤さんが色を考えたものですからね。誰にも文句など言わせませんわ」


「やっぱり浅葱色は良いわねえ――」


「しかしね、近藤さん。浅葱っていうのはどうも田舎臭いよ」


 新見がにちゃにちゃと笑いながら、口をはさむ。


「だから良いんですよぉ。私たちはどうせ田舎者なんですから」





 その言葉には、どこか近藤なりの毒が含まれていた。相当に自尊心の高い女なのだろう。自分から自虐的になることで他人からバカにされるのを防ごうとしているのだ。


 隣にいる土方はもちろんそういった近藤の心中を察している。この人は昔からこうなのだ、と呆れても居る。だが近藤には芹沢とはまた違った魅力があった。芹沢が暴れ馬のような勢いで全員を引っ張っていく大将ならば、近藤は全く逆。冷静にどっしりと構え他人に安心感を与えるのだ。


 どちらが良いというものでもない。


 ただ、両雄並び立たずということは、土方もこの時からなんとなく分かっていた。


 最近、近藤は芹沢に対して嫉妬しているようだ。


 隊内で芹沢の乱暴さが意外にも人気なのである。若い隊士などはそういった豪放さが格好よく映るらしい。


 もちろん隊内で近藤も人気だ。いつも朝の稽古などは近藤が指揮を執る。もともと多摩の田舎では門下生百人を超える道場主であったのだ。他人にものを教えるということに関しては芹沢とくらべても一日の長がある。


 芹沢は神道無念流の免許皆伝とはいえ、他人にものを教える事は殆んどやったことがないのだろう。鍛錬にひょっこり顔をだしても、わからない事ばかり言って隊士から煙たがられている。


 ――「こう、ズバーンと斬るんですわ! そしてグサッと! こうグサッと!」


 教え方も万事こんな調子なのだ。


 だからというか、真面目な者ほど近藤を慕い、不真面目な者ほど芹沢を慕った。


 それで良いと土方は思っている。真面目なものだけがついてこればいいのだ。彼女はこの隊を強くしていこうと思っていた。そこらの藩の侍たちにも負けないほどの、強い浪士隊を作ろうと思っていた。


 そのためには全員を律する規律がいる。ここのところ、彼女はそれを心の中で考えていた。


「そういえばこの服、背中に『誠』の文字が入ってるんですね」林が、自分の羽織を脱いで言った。「この前決めた、隊の心得ですよね」


 土方にとって、林という男は不思議な存在だった。


 芹沢の腰巾着かと思えば、そうでもないようだ。しかし芹沢を慕っているのは確かだ。それなのに真面目。不思議な男だった。


 この前も、こういう事があった。


 隊の指標となる文字を考えようとなった時、芹沢と近藤が対立した。


「わたくしは『尽忠報国』。この四文字が良いと思いますわ」


「あら、私は『誠』が良いと思うのだけど」


 二人とも一歩も引かず、話は平行線だった。


 ついには芹沢が怒りはじめ、刀に手をかけようとする始末だ。それを新見や平間などが必至で止めていた。この二人も、芹沢派と近藤派が真っ向きって対立する事の愚かさを分かっていたのだろう。


 今、もしこの二つの派閥が対立すれば壬生浪士隊はたやすく瓦解する。少なくとも隊の実務を一手に担っているのは近藤派だし、隊の金子を押し借りによって稼いでいるのは芹沢派であった。二人は危うい均衡の元、成り立っていたのだ。


 だというのに、近藤はここで我を突き通そうとした。これは近藤にとって珍しい事だった。いつもならば近藤が困ったように笑いながら引き下がるのだが。


 よっぽど、誠一文字に思い入れがあったのだろう。


「誠という文字こそ、我々武士の本懐なのです」


「武士ねえ」


 と、芹沢は少しバカにしたように呟いた。この女は自分たちが農民の出だと知っている、と土方は察した。


「ああ、そうだ。ここは公平に第三者である林さんを呼んできて、決めてもらいましょう。『尽忠報国』と『誠』と、どちらが良いか」


 なにが公平なものか、と土方は腹の底で怒った。


 林などあきらかに首輪のついた芹沢の子飼いだ。絶対に一も二もなく『尽忠報国』という文字を選ぶ。


 しかしここで断ればこれ以上話合いは続けられない。芹沢にはそういう雰囲気があった。おそらくこれで断れば、切り合いになっていただろう。その時部屋にいたのは、芹沢、新見、平山、平間。対してこちらは近藤と土方だけだった。一人ひとりの技量はどうであれ、人数の差で負けるだろう。


「……分かったわ」


 近藤が渋々というように頷いた。


 それからすぐに平間のじいやが林を呼びに行った。


 林はのこのこと現れた。これで芹沢派が五人。


「ねえちょっと林さん。正直な意見を聞かせてほしいのだけど――」


 かくかくしかじか、隊の指標となる文字を決めるという話をした。この文字は隊旗にも書かれ、屋敷の前にもどうどうと掲げようと言うことになっていた。


「で、どちらが良いと思うかしらん?」


 林はうーんと考えている。


 どうせ芹沢だろう、と土方は半ばあきらめていた。だが、林はあろうことに、


「誠の方が良いでしょう」


 と、言ってのけた。


「なぜですの?」と、芹沢は聞く。


「少し考えたのですが、隊旗に『尽忠報国』じゃああんまりにも長いと思うんです。あ、もちろん良い言葉だとは思いますよ。けれど『誠』の一文字ならしまって見えますし、何より目立ちます。人が見たら一発で覚えてもらえますよ」


「ふーん、目立つ。まあ確かにそうねえ。目立つのは良い事ですわ。じゃあ、そっちにしましょうか」


 土方は心底驚いた。今までただの添え物だと思っていた林が、はっきりと意見を言ってあまつさえ芹沢を納得させてしまったのだ。


 ――こいつは中々できる。


 この日から土方は林を見直した。


 というわけで、隊旗の文字は無事に誠一文字となった。


 今、その誠の文字を背中に背負って若い二人が楽しそうにしている。林と沖田だ。この二人はお似合いかもしれないなあ、と土方は少し思った。


 こうなってくれば気になるのは林の腕の方だ。


 なんでも夕雲紅天流という剣術を使うらしい。この前少しだけ近藤に聞いたが、大化の時代からあると言われる古武術中の古武術らしく、その名付け親は一説によると歌人として名高い大伴家持おおとものやかもちであると言われる。


 自らも「豊玉ほうぎょく」という俳号を持つ土方は、歌人である大伴家持にも並々ならぬ思い入れがあった。と言っても好きな方の思いれではない。反面教師としての思い入れだ。


 土方の句は実直な、言ってしまえば質実剛健としたものだ。それに比べて大伴家持などは雅で、いささか耽美のきらいがありすぎる。


 例えば花を題材にしたもの一つとっても、歌と句の違いはあるものの、



 ――なでしこは、咲きて散りぬと、人は言へど、我がしめし野の、花にあらやもめ



 ――梅の花、一輪咲いても、梅は梅



 と、こうなる。


 大伴家持が遠回しに女性の恋心の変化を歌っているのに対して、土方のそれはどことなく捨て鉢で、抜身の刀のような印象だ。


 とはいえ、どちらが良いものかは一目瞭然であろう。


 土方のそれは周りから下手の横好きとよく言われた。本人もそれを自覚しているから、自分の俳句を他人にはことさら見せなかった。


 さて、その耽美な大伴家持が名付けたという夕雲紅天流。たしかに名前からしてどことなく流麗な雰囲気がする。


 どのような剣なのか、常々見てみたいと思っていたが今まで機会がなかった。


 まあ、おいおいその時も来るだろうと土方は思っていた。




 夕方になって、壬生寺の境内に隊士たちが集められた。


 ぞろぞろと集まってくる隊士たち。林もその中にいた。


「なんやろうなあ」と、山崎が不安そうに言う。


 林はもちろん何をするのか知っていたので「なんだろうねえ」なんて気軽に返事をした。


 全員が集まると、やがて例の浅葱色の羽織を着た近藤と土方、そして沖田が現れた。三人の美女の姿に、男性の隊士たちがごくりと喉を鳴らす。


「あれがほんまに男かいな!」


 山崎は血走らせ、瞼の裏に焼き付けようとするように穴があくほどの様子で沖田を見ている。


「さあ、案外本当は女なのかもよ」


 昔は武士の家系などでも女の子を男と偽って育てることがあったという。だが今ではそんな事は皆無だ。


「あかん、あんな可愛い子が女なわけあらへん」


 それは逆だろう、とつっこみを入れようとしたが、やめた。どうやら近藤局長が口を開くようだ。


「えー、皆さん夜ご飯は食べましたかぁ?」


 どこか舌足らずな甘ったるい声で、近藤が聞く。


 中には「食べました!」と元気に答える平隊士もいる。それを聞いて近藤はニコニコと笑う。


「近藤さん、そういう話じゃないです」


「あらあら、そうだったかしらあ? 悪いけど歳ちゃん、私の代わりに言ってくれるかしら」


「もとよりそのつもりです」土方は頷いて、平隊士たちに向き直った。「お前たち、聞け!」


 それで、全員が直立不動の姿勢をとった。


 土方の怖さはみな、朝の鍛錬で嫌というほど身にしみている。もっとも、林はいつも特別扱いで鍛錬には出ず日がな一日芹沢と遊んでいるのだが。


「これから皆に壬生浪士隊の隊服を渡す。今後、市中見廻りの際にはこの服を着用すること!」


 おおっ、と歓声が上がった。


 貧乏な隊士たちは着の身着のままで、さすがに自分たちの成りが不潔である事は気にしていたのだ。


 そんな折り、服を支給してくれるというのだ。これには飛び上がって喜んだ。


「ええ服やな、これ」


「うん」


 隊士たちは一列に並んで沖田の手から服をもらう。それはなんだか未来の偶像が作り出す、握手会のような光景であった。


 この一件で、壬生浪士隊の結束は確固たるものとなった。全員が隊に帰属意識を持ったのだ。


 そしてさらに駄目押しとばかりに、隊士達が喜んだ出来事がある。いや、これは芹沢や近藤も同じだった。全員が手放しで喜んだ。


 会津候から隊の名前を賜ったのである。


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