第3話 浅葱の羽織と美麗の沖田1
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「で、自分は誰が好きなん?」
山崎が他の平隊士に聞いている。
林が居るのは前川邸の広い屋敷だった。暇な隊士たちが障子の開け放たれた広間に集まってごろごろしている。外は曇り空なので遊びに出かける気にもなれないのだ。
「勘弁して下さいよ、山崎先生」
「ええやんか、ええねんで」
まるで遊郭で遊ぶエロオヤジのように平隊士に迫る。迫られた者は観念したように「自分は土方さんっすね」と白状した。
「へえ、土方副長かいな。自分もなかなか好きもんやな」
「やめてくださいよ、本当に」
「まあまあ、隊の内部事情の調査やって。なあ、林はん」
いきなり話を振られた林は、とっさになんと言っていいか分からず、「バーカ」と子供のように悪態をついた。
この前の大阪くだりの一件での功績で林は調役並監察という階級についた。
調役並監察という仕事は、隊内部の動向を監視する役職であると説明されている。もしも怪しい動き――これは
功績と言ってもついていっただけなのだが、しかし与えられた仕事はしっかりこなす所存であった。
山崎はその仕事を冗談めかして、こうして平隊士の色恋沙汰の情報収集に当たっているのである。ちなみに彼はこの時から、他の平隊士よりも頭一つ抜けている印象があった。この前の大阪もついて行ったのは周知の事実であるし、他にも副長の土方から色々と密命を受けているようだった。
林の次に昇格するのは山崎、とそう言われていた。だから彼は今からもう「先生」なんて敬称を付けられて呼ばれているし、お調子者の本人もその気になっていた。
「ふうん、やっぱり人気なのは偏るで」
「なあ、それ皆に聞くのか?」
「当たり前やん! 自分、監察方の仕事なめとんのちゃうのか!」
「え、いや。そんなつもりはないけど」
しかし隊内の女性で誰が好きかなんてそんな事、考えたこともなかった。
「それで山崎先生、今は誰が人気なんですか?」
他の隊士が興味深そうに聞く。
「今か、せやな――」
「なあ山崎。なんで僕には聞かないんだよ」
別に誰が好きなどというのはないが、声がかからないとなんとなく仲間はずれにされたような気になる。
「は、自分なに言うとんの?」
「そうですよ、林先生!」
「マジで言ってるんですか?」
周りにいた平隊士たちも集まってきて、やいやいと言われる。この先生という呼ばれ方は未だになれない。自分はそんな立場ではないと思う。
「え、僕そんなにおかしな事言ったかな?」
「だって自分、芹沢局長択一やろ?」
うんうん、と他の隊士たちも頷く。
「なんでそうなるんだよ!」
でも、まあ。その通りだった。だがこうして周りにはっきり言われるとなぜだか無性に否定したくなる。恥ずかしいのだ。
「それで、誰が人気なんですか?」
「そうだよ、誰が人気なんだよ」
林も話題をそらすためにそう言った。
「まあ、これで平の隊士からは全員聞いて回ったからな。よし、発表するで!」
おおっ、と歓声が上がる。今、客間にいるのは十人程の平隊士だ。それが一箇所に集まって来ておしくら饅頭のようになる。
山崎はわざわざ紙に書いておいたようで、それを広げた。
案外筆まめだし、達筆な男だ。
「まあ、大方の予想通りやで。一番人気は副長助勤の沖田先生や!」
ああ、やっぱり。と、隊士たちが頷く。
林も納得だった。
確かに、あの人は綺麗だ。
「まさに絶世の美女、玉の肌にくりくりの瞳。透き通った黒髪に淑やかな仕草。剣を握ればまさに水の如く流麗で、その姿は物言う花のようやで。まさにあの人こそ天が遣わした女神や!」
ちなみにわいも沖田先生押しやで、と聞いてもないことを言ってくる。
「あの人、廊下ですれ違った時にふわっと甘い匂いがするんですよね」
「後ろから話しかけると、こう流し目で振り向くじゃないですか。あれがもうゾクゾク来るんですよ」
「この前、二人っきりで見回りに行ったんですけどね。もう綺麗だのなんのって。町の人からも慕われてますし、横に歩いててむしろ自分なんかがって恥ずかしくなりましたよ」
全員が全員、沖田総司の事を褒めた。
「自分、この前沖田先生が子供たちと遊んでいるの見ましたよ。ああいうの見てたら、ああきっと良い奥さんになるなあって思いました」
「ほんまに人気やなあ。これは競争率高いで」
ふと、林は気になることがあった。芹沢に投票した人間は自分以外にもいるのだろうか。それとなく聞いてみたい。だが、皆の前では恥ずかしい。
もんもんとしていると、広間に永倉がやってきた。
「おおい、林」
「はい、なんです」
「芹沢局長が呼んでいるぞ」
「あい分かりました。今、行きます」
永倉は隊士たちが広い部屋でわざわざ一箇所に集まっていることに疑問を感じたのか、「なにしてるんだ?」と聞いてきた。
「あ、せっかくだから永倉先生も! 今、隊内での艶やかな女性を皆で決めてるんですよ」
「ああ? おいおい、知られたら切腹もんだぞ」
という割には永倉も楽しそうに近づいてきて、腰を下ろした。
「で、誰が人気なんだ?」
「そりゃあ沖田先生ですわ。ほんま、みんな沖田先生ばっかりで」
「お、おおう。沖田か……」
永倉は苦い顔をして、笑った。
「永倉先生は江戸の頃から沖田先生とは一緒なんですよね」
「まあな。俺たちは
江戸の頃の話は、隊内でも知らない者はいない。
近藤局長は昨今の乱れた政治を憂い、京に上って尊王の志を全うしようとした、という。実際は少し違うのだが、隊内ではそういう事で通っている。
本当のところは金が無かっただけなのだ。
だから京に士官のあてがあるというので、道場を閉めて有志の仲間とこちらに出てきた。
それも立ち消えになった今、なんとか会津藩のお預かりになれたのはひとえに芹沢のおかげだ。彼の元水戸天狗党という金看板が、武力を尊ぶ会津候のお目にかなったのだ。
「そういや江戸にいた頃からあいつは人気者だったなあ。きゃあきゃあ言われてたっけ」
「美人ですもんね」と、平隊士の一人。
「ちなみに俺は近藤さんかな。俺はあの人に惚れて試衛館に入り浸ってたんだ。こっちに来る時も、あの人がそういうならって思ったんだよなあ」
「近藤局長もいいっすよね!」
「胸がデカイ!」
「あの包容力! 『あらあら、駄目な子ねえ』って言ってほしい!」
「お前らなあ……自分に正直すぎるだろ。ま、俺も同じだけどな!」
わっはっはと皆で笑い合う。
「さて、行くかな。林、ついてこい」
「はい」
「それとな、お前たち。これは一度しか言わないぞ。心して聞け。決して取り乱すなよ」
なんだろう、とその場にいたものたちは全員、真剣な顔をした。
まるで剣の奥義を伝授されるかのような緊張感だ。
――「あのな、沖田は……男だ」
永遠に思えるほどの重苦しい、沈黙。
それをやぶったのは、山崎だった。
「なんやて!」
その言葉を皮切りに、隊士たちが叫び声をあげる。中には慟哭している者すらいる。
その時、折り悪く沖田がちょうど広間の前を通った。
「あれ、永倉さんと林くん。まだここにいたの? 早くいかないと、怖い怖い土方さんに怒られますよ」
「先生! 沖田先生!」
命知らずの隊士が一人、沖田の足元ににじり寄った。
「なあに? 泣いてるじゃない、大丈夫?」
「先生が男って本当ですか!」
その瞬間、沖田はたわやかな動作で刀の鯉口を切った。
「まあ、女の子じゃない事だけは確かだね」
その笑顔は、ぞっと底冷えするようなものだった。
沖田はその笑顔のまま、刀をチャキッとしまい、鼻歌を歌いながら歩き出した。綺麗な声だった。あれが男だなんて、未だに誰も信じていない。
「お、俺たちも行くか」と永倉。
「はい……」
芹沢に呼ばれているのだった。
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